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「どうぞ」
「ありがとう

 彼が頼んだのはなんてことないウイスキーだった。別段高級品でも、安物でもないウイスキー。ヒソカはそれを一つ口に含むと、私を見上げた。
 なにか強請るような表情。話でもしたいということか。普段来るような人なら、なんてことない話題を振るのだけど、ヒソカとなると何を話していいか一瞬迷う。けど結局彼に振った話題はなんてことないものにした。

「私の店、覚えててくれたんだね。名刺はすぐ捨ててたから」
「捨ててないよ 隠しただけさ

 ヒソカは右手をくるりと回す。すると、人差し指と中指の間に紙が挟まれていた。さっきまで何も持ってはいなかったのに。しかもその紙は私の店の名刺だった。
 びっくりして思わず瞬きを一つすると、その一瞬で彼の手の中にあったカードは消えてしまっていた。なんとも器用なことだ。

「まあ、来てくれて嬉しいよ。今日は誰も来ないと思ってたから」
「偶然通りかかったからね ボク以外にお客は来てないの?」
「来てない。仕事で関わった人たちだけ誘ってるから、普段から誰も来ないよ」

 自分で言っておきながら悲しくなる。だけども事実なんだから仕方がない。それに、一人だけの空間というのも悪くない。店の内装も気に入っているし、いくら居ても飽きることがない。
 ヒソカは私の話を興味なさそうに聞き流し、どこからともなくトランプの束を取り出した。シャッフルしたりカードを見つめたり、時間を持て余すようにしてカードを弄び、時折ウイスキーを口に運ぶ。
 私はというと、彼はいつ帰るのかとそればかり考えていた。雨が止むまで、と言ってたから止んだら帰るのだろう。
 けれど、雨が止む様子は一向にない。予備の傘をスタッフルームに置いてあるから、彼に傘を貸すことは可能だ。追い出す気はさらさらないけれど、朝まで居座られるのも勘弁。

「ヒソカはさ」

 沈黙に耐えられず口を開いた。やることもなかったし、ラジオの話題を聞き流すのも飽きてきたから。ヒソカは目線だけをこちらに向ける。

「なんで私と仕事しようと思ったの?」

 純粋な疑問だった。彼が依頼してくる人物の調査は簡単なものが多かったから。能力を極めている彼だけで十分な調査が出来るほどに。
 儲かるから断っていないだけで、ずっと彼から依頼を頼まれる理由が分からなかった。あまりにも彼にとっての利点がなさすぎる。仕事中に聞くのも野暮だから黙っていたけれど、折角の機会だから聞いてみることにした。
 ヒソカはウイスキーを一口飲むと、広げていたトランプを一つの束に戻しテーブルの上に置いた。

「というか、どこから私のこと知ったの」

 彼の答えを待たず質問に質問を重ねる。私は別に顔は広くない。その証拠にこの店に誘ったのは二十もいない。本業の方も、同業者の中で私の情報が共有されて、聞きつけた新規の客がたまに来る程度。
 だけど彼は同業者と仲良くつるむような性格をしていないし、多分私の客の誰一人として知り合いじゃない。私のことをどこから嗅ぎつけたのか甚だ疑問だった。

「キミを知ったのは偶然 仕事を一緒にしてるのは、単に都合がいいから
「なのに私に殺気飛ばしてるの?」
「気付いてたのかい
「気付かない方がおかしいでしょ」

 ヒソカはニタリと妖しい笑みを浮かべる。彼が言っているのは嘘が半分、真実が半分といった具合だろう。都合がいいから仕事をしているのは本当だろうけど、私を知ったきっかけをはぐらかしたのが嘘くさい。いや、二つとも嘘の可能性もあるか。
 こうして悩んだところで無駄なことは分かっている。彼の嘘に付き合っていると、坩堝にハマるから聞き流すのが吉なことも。

「気付いてるなら遊んでくれれば良かったのに
「……まさか、私がヒソカの言うお遊びに付き合うまで私に無駄な仕事頼むつもりだったの?」

 ご名答、なんて言いながら彼は残り僅かになったロックグラスに口を付けた。琥珀色の液体が彼の中へと飲み込まれていく。
 空になったグラスを私に差し出して、彼はもう一度微笑んだ。

「気付いてたなら話は早い いつ遊んでくれる?」
「一生お断り。同じものでいい?」

 彼の返答を待たずに私はグラスを変えてまた氷をグラスの中に入れる。ボトルを手に取りウイスキーを注ぎ、また彼の前に置いた。

「期待してもらってるとこ悪いけど、私そんな強くないよ。金のムダだったね」
「キミが強いかどうかはボクが決める
「それでも無理。負け戦はしない主義なの」
「残念

 ヒソカはハッキリ言って強い。そこら辺の念能力者より遥かに。
 私は、彼の殺しを偶然にも一度だけ間近で見たことがある。情報共有をしていた時、たまたま標的が近くを通りかかった。彼はそれを見つけると、私の話を遮りいとも簡単にそいつを殺した。
 一瞬の出来事だった。鮮血が散る暇もない程の華麗な技。倒れた死体に向けられていた無関心な視線。一ヶ月前の出来事なのに、今も鮮明に覚えている。私の知り合いでそれ程の力量を持った奴は、彼だけだったから。
 あの行為は本気ではない。むしろ手馴れすぎていて、彼にとっては日常行為にも等しいものに見えた。たとえば蛇口を捻ってコップに水を注ぐとか、ドアノブを回して扉を開けるとか、そのくらいの行為と同程度の力しか使っていない。
 彼の本気が分からない。勝てるイメージが湧かない。きっと戦えば簡単に殺される。そんな一方的な惨殺行為を受け入れるほど、私に自殺願望も、強者との戦いを望む心意気も持ち合わせていない。

「戦いはしないけど、酒ならあるからまた寄ってよ」
「どうしよかなあ ボクって気まぐれだから

 そう言って彼はトランプを指先で撫でる。まあ、来ないだろう。誘っておいてなんだけど、今日彼がここに来るのは私も彼自身も想定外の出来事だ。ヒソカは最初来る気なんてハナからなかったのは確かなわけだし。
 だから、この空間でヒソカと会うのはこれが最初で最後。戦う意思がないと示したから、彼も私への興味を失っただろう。……逆に燃えるタイプだったら厄介なんだけど。

 結局、ヒソカは深夜零時を迎える前に店を出ていった。私がトイレに立った時に出ていったようで、カウンターに戻ると彼はいなかった。代わりとして明らかに今回の会計には多すぎる、一万ジェニーがコップの下に挟まれていた。
 返す機会もないだろうし、多めのチップとして受け取っておこう。私はその紙切れを三つ折りにして、ポケットの中へと入れた。そのままラジオの電源を落とし、店の入口へと足を向ける。
 気になってドアを開けてみると、雨はまだ降っていた。先程より雨足は弱くなっていたが、ヒソカは濡れて帰っているだろう。言ってくれれば、傘くらいあげたのに。
 そんなことを思いながら私は店の鍵を閉める。さて、閉店作業に取りかかるとしよう。