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 目の前には一台のカメラ。私を照らすスポットライト。そして、オレンジ色の髪をツインテールに纏めた女性が一人。彼女はこの天空闘技場で実況を勤めているコッコ。彼女の実況があってこそ、天空闘技場の試合とも言えるほどの有名実況者だ。
 ポケットに入れていたコンパクトミラーを取り出して、前髪を軽くなおす。化粧直しをする時間まではなかった。
 今日は試合へ向けたインタビュー動画を撮る日。明日に行う、所謂因縁の相手との試合。今から緊張で、心臓を丸ごと吐き出してしまいそう。

「そろそろ、カメラを回してもよろしいでしょうか?」

 いつもの元気でハツラツとした声で私に問うコッコ。慌ててミラーをポケットに突っ込んで、深呼吸をする。何度かこうしてインタビューは受けているけれど、いつも緊張してしまう。
 今回は、対戦相手が相手なだけに、余計のこと。

「いつでも大丈夫。よろしくお願いします」

 そう声をかければ、少し間が空いてカメラマンがカメラの録画ボタンを押した。コッコは私にマイクを向ける。

「ヒソカ選手との因縁の対決を明日に控えて、今どのようなお気持ちですか?」
「どんな気持ち……。素直にもう一度彼と試合できるのが楽しみっていう気持ちと、少しの恐怖、かな。カストロ戦のこともあったし」

 ヒソカの戦績は九勝、三敗。そのうち七回はヒソカのKO勝ちで、対戦相手はもれなくヒソカの手によって殺されている。三回負けているのはヒソカの不戦敗だ。
 出場した試合では負け知らず。そして、彼のお眼鏡に叶わなければ対戦相手はもれなく殺されてしまう。カストロと私はヒソカに殺されずに済んだ、言わば生き残りのような存在だった。
 だけど、カストロは先月の試合で死んでしまった。ヒソカに殺されてしまった。踊り狂って死ぬと宣言され、その通りに殺された。
残る生存者は、私一人というわけ。

「恐怖。ということは、ご自身も殺される可能性があると」
「可能性というか、十中八九殺されると思う」

 あっけらかんと笑って答える私に、コッコは目を見開いた。そんなに驚くことかな。残党狩りのために戦いを申し込まれたと私は勝手に思っているのだけど。
 だって、私はヒソカに一撃も与えられなかったから。全て防がれ避けられて、一点もヒソカから奪えなかった。そんな見込みのない私を、彼はなぜ生かし、そして再戦しようと考えたのか。
 答えは簡単。殺す価値もない人間とみなされた。あるいは彼が気分ではなかった。再戦は私の力量をもう一度図るため。
 私が彼の期待に応えられなかった場合、今回こそ、私は殺されるだろう。ヒソカの手によって。
 正直に言って、私は、彼の期待に応えられるような戦いをする自信はない。唯一ヒソカがポイントを取られたカストロでさえ、彼に殺されたのだし。

「でもなんか、彼にだったら殺されてもいいと思うんです。多分私、彼のこと……」

 思わず口から滑った言葉に、コッコは更に目を丸くした。見開いた瞼から、その瞳がこぼれ落ちてしまいそうなほどに。私はそんな表情の彼女に対しても、曖昧に微笑むことしかできなかった。

*

 再戦を申し込んできたのは意外にもヒソカからだった。天空闘技場で与えられた部屋で、戦闘準備期間中の修行を行っている時、突然部屋の電話が鳴り響いた。電話というか、各部屋に備え付けられている天空闘技場内の内線。この電話をかけてくるのは、同じ階層の選手しかいない。
 誰からだろう。不思議に思いながらも通話ボタンを押して受話器を耳へと押し当てた。

「やあ 久しぶりだね

 電話の向こうから聞こえてきたゾワゾワと背を撫でるような特徴的な声に、思わず受話器を落としそうになる。
 まさか、ヒソカから電話がかかってくるなんて。力の抜けかけた手で慌てて受話器を握りなおし、僅かに震える声で彼に問う。

「なんの用」
「キミも分かっているだろう?」

 思わず身が強ばる。昨日のカストロ戦を思い出した。ああ、彼は、次は私を狙っているのか。

「再戦要求さ

 自分の鼓動だけが耳に聞こえる。額から流れる冷や汗の感覚が無駄に鮮明だ。受話器の向こう側から音は聞こえない。私の言葉を待っている。急かすわけもなく、ただ淡々と。
 断るか? いや、ここで引き下がるほど私は臆病じゃない。

「……分かった。受ける」
「日時共に君が指定していいよ。楽しみにしてる

 ガチャリ、と一方的に切られた電話。私も受話器を置き、糸が切れた人形のようにベッドへと横たわる。ベッドのスプリングはギシりと軋む音をたてながらも、柔らかく私を受け止めてくれた。
 ヒソカと、戦うのか。もう一度。あの時の恐怖を、いや、あの時以上の恐怖を受け止めなければならない。そして、その恐怖に抗うことも必要だ。

 再戦の日程は一ヶ月後に指定した。戦闘準備期間をギリギリまで使って彼の一戦に備えようと思ったから。できる限りの修行をして、できる限りの努力と、彼との戦いのイメージトレーニングも行った。これら全て、意味があるとは思えなかったけれど。
 ヒソカと私には差がありすぎる。力、技量、そして戦闘経験による知識において。ヒソカの念能力は至ってシンプル。伸び縮みするような念と、布なんかを擬態させる念。シンプルだからこそ厄介で、彼の性格をそのまま表したようなタチの悪い能力。
 攻略法なんてあるのだろうか。思いついたとしても、ヒソカに通用するんだろうか。ぐるぐると思考だけが目まぐるしく渦巻くだけで、これといって有効な一手は思いつかなかった。

 指定日が一日、また一日と近付くにつれ彼のことが更に怖くなった。恐ろしくなった。カストロ戦や他の選手との試合映像をいくら見直しても、勝つイメージが全く沸かなかったから。
 でも同時に楽しみでもあった。ヒソカと戦ったのは一年も前のこと。当時の私は念能力も覚えたてで、そして少し自分の強さを見誤っていた。自分は強いと、そう思い込んで鍛錬を積んでいなかった。
 そんな時に出会ったのがヒソカだった。対峙した途端、彼の強さがすぐに分かった。そして理解した。圧倒的な強さを誇る彼を前にして、自分は強者ではないということを。
 結果は10対0。圧倒的な力の前に、為す術なく惨敗した。

 でも、今は違う。鍛錬だって積んだ。血のにじむような努力もした。だからこそ、彼と戦うのが楽しみで、それでいて恐ろしい。全てが無駄な努力だったと言われるのが酷く恐ろしい。けれど彼とまた手合わせできるのが楽しみでもある。
 自分の技術を自分自身で理解するには、自分より強い人間と戦うことが必要。ヒソカは、きっと私の技を全て受け流して、また圧倒的な力で私を倒しにかかってくる。
 自分より弱い相手と戦っても自分自身を知ることはできない。弱い相手に、私がこれまで戦って勝ってきた天空闘技場の対戦相手に評価されても嬉しくない。自分の戦いを一つの賭け事としか認識していない戦闘経験0の観客に評価されたとしても同様だ。
 強者に、評価されたい。ヒソカは全力で私を殺しにかかってくる。勝たなくたっていい。下克上だと彼に十点分の攻撃を与えなくたっていい。ただ彼にもう一度評価され、生き延びる。それが今の私にできる最大限のこと。