AM 2:37

 彼も眠るのか。
 ぼやけた視界で彼の寝顔を確認して、寝惚けた頭でそう思った。ベッド脇に置いている時計を見ると時刻は午前二時を半分過ぎた所だった。
 目の前で眠っているヒソカは私の腰に未だ腕を回したまま、規則正しい寝息をたててぐっすりと眠っているように見える。
 ヒソカの寝顔を見たのは初めてだった。彼はいつも私が眠ったのを見届けてから自身も眠りにつき、起きるのは私よりも早い。いつも私を朝食の匂いを引き連れて起こしてくれる。だから、彼が眠っているところを見たことがなかった。
 奇術師を名乗る彼には未だに謎が多くて、その謎の一つが彼の睡眠事情について。実の所、寝ていないんじゃないかと考えることもあった。。生物として生まれてきた以上、睡眠というのは生きる上で必要な行動に違いないのだけど、ショートスリーパーという特殊体質の人もいる。彼もそういった体質なのかと思っていたけれど、そうじゃなかったらしい。
 もっと寝顔を見たいと思い私は彼に手を伸ばす。いつもオールバックで纏められている赤毛は、眠る時は下ろされている。長い前髪は鬱陶しくないのだろうか。
 そっと彼の髪に触れて少し撫でてみる。彼の起きる気配はない。そのまま顔がよく見えるようにかきあげてみる。
 こうして見ると、本当に彼は整った顔をしている。目は切れ長でかっこいいし、鼻も高くて薄い唇も魅力的。こうして眠っている姿は顔の良い好青年なのに、話してみると戦闘狂だからもったいない。
 そんなことを考えていると、突然彼の瞼がゆっくりと開かれた。びっくりして思わず身が強ばる。

「……

 金色の瞳が私を見つめる。いつもの思惑に満ちたような、獣のような鋭さはなくて、寝起きだからかどこか柔らかさを含んでいる。
 さっきまで起きる気配なんて見せていなかったのに、悪いことしちゃったかな。

「おこした?」

 自分から発された声は掠れて舌っ足らずだった。寝起きだからだろうか。
 彼は問いに答えることなく、私の腰に回していた腕に力を再度込めなおして抱き寄せる。

「寝込みを襲うなんて、どこで覚えてきたのかな
「そんなつもりじゃないよ」

 彼の声は明瞭で、機嫌の良さそうな声色だ。片方の腕で私を抱き寄せ、もう片方の手は先程私が彼にしていたように髪に触れていた。弄ぶようにして毛先を指に絡めている。

「じゃあどんなつもりだったの?」
「ねがお、めずらしかったから」

 回答が予想外だったのか、彼は一瞬目を見開く。でもすぐに表情は元に戻って、いつものようにそう、と相槌を打った。
 彼の髪をかきあげていた手を滑らせて彼の頬へと寄せる。ヒソカは甘えるように頬を自ら擦り寄せてきた。吊り上がった目も相まってまるで猫のように思える仕草に私は思わず笑みがこぼれた。

「君から触れてくれるのも、珍しいね
「そう?」

 ヒソカからのボディタッチが多いだけだと思うけど。彼が言うなら珍しいことなんだろう。彼の頬から手のひらを通じて伝わる温度が心地いい。抱きしめられている安心感も相まって私を再び眠気が誘う。
 ヒソカも私の毛先を弄んでいた手を移動させて、私の頬に寄せてきた。彼の仕草と同じようにして擦り寄れば、彼は可愛い、と声を洩らす。

「眠くないなら何か作るけど、どうする?」
「ううん、だいじょうぶ。もう、ねるから」

 ヒソカの寝顔、もう少し見ておきたかったんだけど。残念。名残惜しさを頭の隅に感じたけれど、眠くてもうそれどころじゃなかった。
抗うことなく重くなった瞼を下ろすと、瞼越しに柔らかいものが触れて、小さくリップ音が鳴り響く。おやすみの挨拶のつもりかな。
 頬に触れていた手のひらは頭へと移され私の頭を優しく撫でてくれていた。落ち着く。安心する。この手が何人もの命を奪っていることを私は知っているのに、全くもって危機感を抱かないから不思議。
 規則正しく撫でてくれる手つきが、私の意識をどんどんと眠りの底へと誘っていく。もう、寝そう。
 その時、ふと一つの疑問が頭へと浮かんできた。本当になんてことない、つまらない疑問。ヒソカは本当に寝ていたんだろうか。
 寝起きの私の声は掠れていた。けれど彼の声は掠れていなかったし、眠気も孕んでいなかった。話し方も明瞭ではっきりとしたものだったし。彼は嘘つきだ。そして重要な場面でなくとも意味のない嘘をつくからタチが悪い。
 私が起きそうなタイミングで彼が寝たフリをした可能性も考えられる。なんでそんなことをしたかというと、単に好奇心が勝ったんだろう。彼女の前で眠ってみたらどんな反応をするか、なんていう些細な問いの答えを知りたくて。
 まあ、普通に彼が起きたときすぐに意識がハッキリするという可能性ももちろんある。
 だから本当に、この解釈すらどうでもいいのだ。眠りにつく前に思いついた、きっと起きた頃には忘れてしまう些細な疑問。彼と付き合っていく上でも、これからの人生にも全く関わりのないもの。考えても仕方のないことだ。
 意識を完全に落とす前に彼の胸の中に額を寄せてみると、頭上から喉を震わせた笑い声が聞こえてきた。

「おやすみ

 微睡む意識の中、宵闇の視界の中、鼓膜を揺らす低く心地の良い声音が私を眠りへと引き寄せた。
 結局彼の睡眠事情について、真相は闇の中のまま。解明されることは、きっとない。彼は嘘が上手いからね。