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 彼が風呂敷を結び直したと同時に、昼休み終了を知らせる予鈴が校内に響き渡る。そろそろ教室に戻らないと。次の時間の政経、先生も緩いし寝ようかな。五時間目ってどうしても眠くなっちゃうし。

「そろそろ戻りますね」
「私も行くよ」

 彼の背を追うようにして私も階段を下りる。こう見ると、やっぱり身長高いよなあ。花京院くんよりも身長が高い男子は何人かいるけれど、バスケ部だったりバレー部だったり運動部の子たちばっかりだ。
 だけど花京院くんは帰宅部なのに、背が高い。親からの遺伝なのか、昔スポーツをしていたのか、どっちなんだろう。

 お互い会釈も会話もなく、彼は隣の教室へと入って行ってしまった。屋上への階段の踊り場以外では、いつもこうだ。お互い会話も、挨拶もない。私からも話しかけないし、彼からも話しかけない。
 けれど、そんな関係だからなんとなく気が軽い。濃い関わりがなくても良い関係だと自負している。
 授業が始まってしまう前にトイレでも行こう。ロッカーから教科書とノートを取り出し席に置いて、私はお手洗いへと向かった。

 用を済ませて手を洗っていると、突然二人組の女の子が私の後ろに立っていた。確か同じクラスの女の子。名前は、ちょっと覚えてないけど。

「なんか用」

 思ったより声がぶっきらぼうになってしまった。花京院くん以外と話すのは久々だから、声の調子を間違えてしまった。
 女の子の一人はちょっと気の弱そうな感じ。もう一人は気が強そうな感じ。というか、私に敵対心を向けているような気もする。

「だ、大丈夫だよ……。もう授業も始まるし」
「何言ってんの! ここで聞いておかないと、あんた告白しないじゃん」

 告白? 誰に? 私? そんな訳ないか。何の話だろう。

「貴方、花京院くんとどういう関係なの? はっきり答えて」

 突然こちらに向き直ったかと思うと、単刀直入にそんなことを聞かれてしまった。花京院くん?
花京院くんと私ってどんな関係なんだろう。自分の中では友人のような関係で完結しているけれど、彼がどう思っているのかまでは分からない。でも、決して他人ではない。
 人に説明するにはあまりにも難しすぎる関係に、私は頭を悩ませた。早く答えてあげないと、授業も始まってしまう。でも、なんて答えれば理解してくれるんだろう。

 あれ? でもさっきこの子告白するとかなんとか言ってなかったっけ。花京院くんに告白するのかな。
 それだとしたら、きっと彼女が気になってることって一つだけだよね。それを答えてあげれば、きっと納得してくれるはず。よし。

「あー……、付き合ってはないよ」

 そう答えると、弱気そうな女の子の目が途端に輝いた。やっぱりそこが知りたかったんだ。女の子たちは私にありがとう、とお礼を言い残して教室へと帰って行った。
 私もすぐに教室に帰るのは気まずかったので、もう一度手を洗い直す。石鹸を使って、丁寧に。爪の先まで。ハンカチを取り出そうとスカートのポケットに手を突っ込むと、指先がウォークマンに触れた。

 あの女の子は、花京院が洋楽を好きということを知っているのかな。でも、教えてあげる義理なんてないか。それに、教えたくもない。なんとなく、私だけが知っている彼の秘密のような存在にしておきたかった。
 ハンカチで手を拭きながら、私も教室へと戻る。先程の二人は一つの席に集まって何やら楽しそうに話をしていた。告白のことでも考えているのかな。

 授業の開始を告げるチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。
 起立、礼、着席。日直の声が教室に響き、同じ行動をクラスメイト全員で行う。この行為に背いてみたらどうなるんだろう。思っているだけで、行動には移さないけれど、たまにこんなことを考えてしまう。
 席に着くと同時に、私は寝る体勢についた。窓側を向いて、机に突っ伏して目を閉じる。雨の音と満腹感が眠気を助長した。

 花京院くんって、モテるのかな。ウトウトと微睡んでいると、そんな考えがふと浮かんだ。瞼の中に浮かぶのは先程の女子二人組。校内の恋愛事情には疎いから分からないけれど、確かに花京院くんはかっこいいと思う。
 身長はそれなりにあるし、頭も良い。何度か教室の中から、彼のクラスが体育を受けている様子を見たことがあるけれどそれなりに動けていた。スポーツ万能ではないかもしれないけれど、出来ないわけじゃあなさそう。
 それに何より、彼は優しい雰囲気とミステリアスな雰囲気を纏っている。どこか惹き付けられる独特な雰囲気は、彼の魅力だ。

 ああ、でも、あの子と付き合うのかなあ。付き合ったら、もう、二人でお昼食べられなくなるな。音楽も、折角教えてもらえることになったのに聞けないかも。
 あの子と二人で聴くのかな。それはちょっと、妬けちゃうかも。

 胸の中が重苦しい。どうしてだろう。梅雨だから、気分が晴れないのかな。気分が晴れない時は、寝てしまえば全部忘れられる。今はもう、寝てしまおう。そうしよう。
 淡々と説明される興味のない経済の仕組みを流し聞きしながら、深く呼吸をしていると、いつの間にか私は眠ってしまっていた。