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 高校生になってから、いい事なんてひとつもなかった。中学の友人とは全員離れ離れになってしまったし、勉強は難しい。新しく友人を作るのも、勉強に努めるのも、なんだか急に馬鹿らしくなって私はグレてしまった。
 グレると言っても、別に対して悪いことはしていない。授業中に眠ったり、遅刻をしたり、サボったり。喧嘩もしないけれど勉強もしない。気持ちだけの反抗をして、のらりくらりとただその日を生きている。空っぽで、どこにでもいる女子高校生が誕生した。

 高校一年生は退屈で仕方がなかった。退屈で、楽しくなくて、なんだかイライラする。そのイライラは募るばかりで一向に体の中から出て行ってくれなかった。
 イライラした気持ちを外に吐き出したくて、高校二年生の始業式の前日、私は衝動的に耳に穴を開けた。綺麗な緑の石が、その穴を埋めて彩っている。
 穴を開けてみても、イライラした気持ちは私の体の奥底に溜まったままで、気分は晴れなかった。

 ピアスを空けた翌日、そのまま学校に行けば生徒指導の体育教師に捕まった。最悪だ。
 ガミガミとした説教を聞き流しながら、私は今日の昼休みについて考えていた。カバンの中には近くのコンビニで買ったスティックパンが入っている。あれをどこで食べようか。
 いつもは教室で食べている。けれど、教室内で交わされるクラスメイトたちの会話は鬱陶しいし、それに昨日突然入ってきた担任に気付かず、いつも昼休み中に使っているウォークマンを没収されてしまった。初犯だっから、放課後には返してもらえたけど。
 だから誰にも邪魔されない場所が欲しかった。一人で食べられるような、そんな静かな場所。

「おい!聞いているのか!」
「聞いてますよー」

 まだ終わらないのか、この叱責は。もうそろそろ出席を取られる時間だし、何しろ廊下のど真ん中で怒られているのは少し恥ずかしい。それに、クラスメイトたちの邪魔にもなっている。
 私と体育教師を煩わしそうに避けて、時々私に肩をぶつけながら自分の教室へと入っていくクラスメイト達を、私は羨ましく思った。

 長話を聞いていると、相槌を打つのも面倒になってくる。もう適当に反省したとでも言って教室に入れてもらおうか。
 なんて考えていた時、ふと視界の端に赤が写った。見慣れない、赤。

 惹き付けられるように視線を移せば、そこには赤髪の男子学生がいた。
 冬服である学ランのボタンを丁寧に上まで閉めているのに、赤髪で、よく見ると耳飾りも付けている。赤い玉が付いたその形はチェリーを思わせた。

「あいつだってピアス付けてるじゃん。髪も染めてるし。なんであいつは良くて私はダメなの?注意しなよ」

 指を指すと、指された方の赤髪の男は少し驚いたような様子だった。そりゃそうか、いきなり知らない女に指を指されたんだから。
 あいつに注意をしに行ったところで、私はそそくさと自分の教室に入らせてもらおう。そういう算段だったのに、体育教師は意外な反応を見せた。

「花京院は成績が良いからいいんだ。それに、花京院の赤毛は地毛だ」
「何それ。贔屓じゃん」
「お前も成績が良ければ注意しないよ」

 はあ? と呆れと怒りが混ざった声をこぼしたところで朝礼を知らせるチャイムが鳴り響く。赤毛の男は私のことなんか気にせず、隣のクラスの教室へと入っていった。開かれた扉からは賑やかな声が聞こえた。
 時間のおかげで私もやっと解放され、自分の教室へと入る。体育教師に放課後職員室へ来るように言われた気もするけれど、行く気はこれっぽっちも起きなかった。

 自分の席に座って、流れるように私は頭を机の上へと倒し、寝る体勢をとる。学校は寝るか、起きていてもボーッとしていて、授業を聞く気にもなれなかった。
 寝たり、内職をしていたり、聞いてなかったり。なんだかやる気が起きなくて、湧き上がるのはよく分からない苛立ちだけ。誰にも迷惑をかけていないのに、眠っているだけで怒られるのも、その苛立ちを増長させた。
 中学の時はこんなんじゃなかったのにな。なんだかもう、全部面倒くさくなっちゃって、燻っちゃった。思春期ってこういうことなのかも。

 ああ、そういえば昼休み、どこで過ごそうかな。なんてことを考えるのも今は面倒で、私は瞼を下ろした。



 チョコレートチップの混じったスティックパン、自販機で買った150mlの麦茶を手に、私は屋上へと向かっていた。いや、正確には屋上へ向かう階段の踊り場へ。教室の煩さは孤独を増長させるから。
 生憎、この学校は屋上は閉鎖されている。試しにドアノブを回してみようとしたけれど、鍵がかかっていて回せなかった。

 階段へと腰をかけて、ポケットに入れておいたウォークマンを取り出す。絡まったイヤホンを解き、私は耳にイヤホンをつけた。ウォークマンの再生ボタを押してお気に入りの曲を流す。
 プレイリストは昨日の夜思い立って新しく作り直したから、新鮮な気持ちで音楽が聞ける。一曲目、一番目のサビに差し掛かったところでスティックパンの袋を開け、一本目のパンを口に入れかけたところで、ふと視界の端に赤毛が映った。
 今朝見かけた、特徴的な赤毛をした男子生徒。
彼と目が合った途端、彼は一瞬目を見開いたあと気まずそうにこちらに背を向けた。

「待ってよ不良男子」

 イヤホンを外してそう呼びかけると彼はもう一度こちらに向き直った。不機嫌そうに眉間にシワを寄せて。

「僕は不良じゃあありませんよ」
「ピアスしてるくせに」
「ピアスじゃありません」

 彼は持っていたお弁当箱を階段に置くと、耳元を両手で弄りだした。しかし、すぐに耳飾りを取り、私に掲げるようにして突き出す。だけど、少し遠くて見えにくかった。
 ウォークマンを雑にポケットの中に突っ込み、食べかけのスティックパンは袋の中へ。階段を少し降りて、彼の耳飾りをよく見てみる。確かに、留め具の部分はピアスではなくクリップタイプのイヤリングで、彼の耳にも穴は見られなかった。

「アクセサリーの時点で同類だと思うけど」
「……君、初対面のくせに図々しいですね」
「私だけ怒られたの、癪だし。贔屓とか嫌いだから」

 それだけ言って私は階段を上り先程の定位置へと座る。彼、確か花京院くんとか言ったっけ。花京院くんは耳飾りを付け直すと、お弁当片手に階段を降りて行こうとした。

「食べないの?」

 彼は私へと向き直ると、今度は怪訝そうな表情をした。そんな、嫌そうな顔をしなくても。

「私音楽聴いてるし、邪魔しないからここで食べていきなよ。昼休み終わっちゃうよ」

 ポケットからウォークマンを取り出すと、またイヤホンが絡まっていた。丁寧に纏めて輪ゴムかなんかで留めれば良いんだろうけど、生憎そんな几帳面さ、私は持ち合わせていないから。
 しばらくして、彼は観念したように階段へと腰掛けた。丁寧に包まれた風呂敷を解くと、中からは制服と同じような色をした濃い緑色の弁当箱が姿を現す。彼が蓋を開けると、色とりどりのおかずがキチンと敷き詰められていた。

 いいなあ、お弁当。うちの両親は共働きで、夜遅くまで働いている。いつも朝一番に起きるのは私で、両親にお弁当を作ってほしいと強請るのも、自分で作る気も起きなかった。けれど、人が食べているのは少し羨ましい。
 なんて考えを淡く浮かべながら、私はイヤホンをまた耳に差し込む。しかし、さっきウォークマンをポケットに仕舞う時、どうやら一時停止ボタンを押し忘れてしまったらしい。
 A面三曲目の二番。サビの途中から流れ出す音楽を止めるわけにもいかず、私は巻き戻して三曲目の始めから音楽を聴き出した。

 花京院くんはそれから、一度もこちらを振り返らずにお弁当を食べ終えてそのまま教室へと戻っていってしまった。さくらんぼのようなイヤリングを揺らして。
 同じだと、思ったんだけどな。左耳のピアスに触れ、針の感覚を指先で弄ぶ。きっともう、彼とも会うことはないだろう。
 この時は、そう思っていた。