波打ちぎわでキスをして

Twitterで開催されているjo夢ワンドロワンライ企画の参加のために書いた作品です。
お題は「波打ちぎわ」をお借りしました。素敵なお題、企画をありがとうございました。
企画運営元はこちら→jo夢ワンドロワンライ様

 タタン、タタン、

 音を立てながら電車は私たちを運んでいく。窓から入り込む日差しはもう完璧な夏を私たちに知らせてくれている。それはもう、焼けそうなくらい。
 今日から、いや、正確には明日から夏休み。目の前の赤毛の恋人は窓の外に時折視線を外しながら、私の会話に相槌を打ってくれていた。

「まさか裏面の問題を解き忘れるなんて……」
「だからあれほど確認しろと言ったのに」
「だって、そんな凡ミス私がすると思わなかったんだもん」

 まあ、問題数が少なかったのが幸いだった。もし裏面の半分まで問題があったら、私はお母さんにはちゃめちゃに怒られていただろうから。

「花京院くんは、……聞くまでもないか」
「一位でしたよ」

 成績優秀、模範的生徒である花京院くんは少しドヤ顔でそう答えた。
 彼がテストで学年一位をとることは珍しくない。私のようにテストの結果で一喜一憂することなく、ただ毎日真面目に勉強するという努力をしたうえでの一位。そんな努力家なところも、好きだなあ。なんて。

 けれど、明日から夏休みかあ。花京院くんとも、毎日会えなくなってしまう。冬休みはなんとか乗り越えたけれど、夏休みは冬休みより倍以上も長い。もちろん、花京院くんとデートの予定はいくつかたてているけれど、それでも寂しいものは寂しい。
 花京院くんは、寂しくないのかな。

 そんなことを考えていると、私たちが降りる駅に止まった。このままこの駅で降りてしまうと、もう家に帰るだけで、それきり花京院くんとは一週間も会えない。そんなの嫌だ。まだもう少しいたい。

「降りようか」

 そうしてホームへと一歩踏み出そうとする花京院くんの制服の裾を引っ張った。軽く引っ張っただけなのに、花京院くんは気付いて足を止めてくれた。

「どうしたんだい?」

 不安そうに覗き込んでくる花京院くんの視線は優しくて、本当に彼のことが好きだと改めて感じた。
 花京院くんを引き止めているうちに電車の扉は閉まってしまい、次の駅に向けて電車が走り出す。花京院くんは黙ったまま、私の言葉を待っていた。

「寄り道して行きたいなって、咄嗟に思っちゃって」

 ああ、先に言えばよかった。先に思いついておけばよかった。もしかしたら花京院くんだって用事があったのかもしれないのに。
 そう一瞬不安が過ぎったけれど、花京院くんは「いいよ」といつもの調子で答えてくれた。

*

 彼を連れて降りた駅は、電車の扉が開いた瞬間潮風の匂いが鼻腔をくすぐった。海の近くの駅、私は花京院くんと海に来たかった。いや、正確に言うと、近くの駅で遊ぶようなところがここしか思いつかなかった。

「海ですか」
「花京院くんと付き合ったのは冬だったから、海は来たことなかったね」

 駅の階段を登って、ポケットの中に入れていた切符を通す。自動改札機に吸い込まれる切符には未だに慣れない。自分の手まで吸い込まれてしまいそうでまだ怖かった。
 駅を出ると、目の前にはキラキラと光るエメラルドグリーンの海、白く輝く砂浜が広がっている。どちらも太陽の光を反射しているから、ちょっと眩しい。日差しは強く照りつけているけれど、潮風が強く吹いていて涼しかった。
 立ちっぱなしもなんだから、とりあえず私たちは歩いた。暑いのに、手なんか繋いじゃって。でもいいよね、私たちは恋人だから。
 砂浜へと降りると、靴越しにでも熱が伝わってくる。

「どうして、いきなりここに来たんですか?」

 なんてことない口調。そこに、責める意思も怒りも見受けられなかった。

「もう少し、花京院くんと長くいたかったから」

 本当のことを彼に伝えると、頭上から短い笑い声が聞こえた。見上げると、花京院くんは柔らかな笑みを浮かべていて、愛らしいものでも見るような視線を私に向けていた。

「随分と可愛いことを言うようになりましたね」
「素直になったってことだよ」

 繋がれた手に少し力が入る。流れてくる体温は温かい。

「もう少し、海の方に行きたい」
「濡れますよ」
「濡れてもいいの」

 靴と靴下を脱いで、両手に持って海の方へと向かう。砂浜はやっぱり熱くって、少し急いで海へと足を進める。花京院くんは私の少し後ろを歩いてきていた。彼の気配を感じながら、ざぶんと足を踏み入れる。

「つめたーい」

 パシャパシャと音を立てて、水と戯れる。そんな様子を見つめる花京院くんは少し呆れたような表情を浮かべていて、潮風によって前髪が揺れていた。

「花京院くん、本当に入らないの?」
「ええ。僕は遠慮しておくよ」

 両手を前にして、断るジェスチャーをする花京院くん。こんなに気持ちいいのに。

「ねえ、花京院くん」

 波打ち際を歩きながら彼の名前を呼ぶと、彼は律儀に立ち止まってくれた。

「なんです……ッ!?」

 振り向く花京院くんの唇を奪った。少し潮の味がする。不意を突かれた花京院くんは目を見開いて、大袈裟なほどに驚いていた。唇を離すと、花京院くんの顔が段々と赤く染まっていく。

「君、人目があるでしょう……!」
「だって、キスしたかったから」

 嫌だった?、と聞くと、蚊の鳴くような声で嫌じゃないと答えてくれる。普段はかっこよくて、優しくて、優秀な花京院くん。だけど、不意に見せてくれる花京院くんのこういう少年っぽい反応が可愛くて仕方がない。

「顔真っ赤だよ。花京院くん」

 そう揶揄うと、花京院くんは不貞腐れてしまった。怒らせちゃったかな。まあいいや。
 波打ち際を歩くのも飽きて、砂浜へと戻ろうとすると花京院くんは私の手を取って支えてくれた。

 堤防に腰掛けて、足を乾かす間私はこれからのことを考えていた。花京院くんと、夏休み、何回遊べるんだっけ。
 新しく公開される映画を観に行くので一回、花火大会に行くので一回、それと、花京院くんのお誕生日を祝うので一回。

「あ」

 不意に声をあげると、入道雲を見つめていた花京院くんが私へと視線を向けた。

「花京院くん、誕生日プレゼント何がいい?」

 そうだ、花京院くんのお誕生日だ。初めて祝うお誕生日。どうせなら、特別な日にしたい。だからそう聞いたのだけれど、花京院くんは困ったような表情を浮かべた。

「親からも聞かれんですけど、毎年困るんですよね」
「欲しいものないの?」
「ないですね。……祝ってもらえるだけで嬉しいですよ」

 彼は私の足を優しく掴むと、足の甲や足首についた砂粒を手ではらってくれる。

「自分でするよ」
「いいから」

 そう言って私の足に付いた砂を落としていく。花京院くんの手つきは優しくて、少し擽ったい。花京院くんは一粒残らず砂を取り除いたことを確認すると、私の足首を強く握った。
 そして、自身の口元に近づけて、

「わっ!」

 私の足の甲にキスをした。まるで王子様がお姫様にするみたいに。びっくりして足を引っこめると、花京院くんは悪戯っぽく笑った。

「何するの!」
「さっきの仕返しですよ。やられっぱなしは嫌だからね」
「っ……」

 仕返しって、さっき不意打ちでしたキスに対しての? でも、その仕返しだからって足にキスすることはないじゃん。恥ずかしくって、体にみるみると熱が溜まっていく。

「顔真っ赤にして、可愛いですね」

 頬を撫でられると、余計に自分の顔の熱さを自覚してしまう。してやったりという表情が、余計に腹が立つ。

「もういい!帰る!」

 恥ずかしさに耐えられなかった。堤防から降りて、駅に向かって歩き出す。花京院くんは焦ったように私のあとを追いかけてきて私の手を握った。

「怒ったのかい? 君から仕掛けてきたくせに」
「怒ってないよ」

 ふふ、と小さく笑いながら、彼は悪気のないごめんを私に告げた。繋いだ手は離さないまま、それどころか、指を絡めて恋人繋ぎにしてきた。

「夏休みたくさん遊ぼうね」
「ええ。もちろん」

 花京院くんは優しくて、大人っぽい。でも、ペースを乱されると大袈裟に照れたり、そのくせしっかり仕返ししてくる。そんな花京院くんが大好きで、やっぱり毎日会いたかった。
 けれど、そんなワガママは言えない。けれど、今予定している回数よりももっとたくさん、花京院くんに会いに行ってもいいのかもしれない。夏休みの宿題を手伝ってもらう、そんな名目で。

 駅のホーム。お昼時。私たちがいるホームにも、向かいのホームにも人はいなかった。花京院くんの手を少し強く握りこんで、彼の方を見上げると、察したように彼は私を優しく見下ろした。花京院くんの端正な顔が視界いっぱいに映る。
 彼の空いている手が私の頬に添えられて、唇に少しの潮味が広がった。