魔法使いと小人

 あれから由花子と康一は付き合い始めたらしい。由花子の表情には一点の曇りもなく、毎日晴れ渡ったような表情をしている。
 授業の合間の休み時間には二人でよく話しているし、放課後はドゥ・マゴや学校近くのアイスクリームショップに寄り道をしているらしい。由花子との時間は、昼休みの時だけになってしまった。
 でもそんな時でも、由花子は康一との出来事を話している。昨日はどこに行った、その時の康一の行動がかっこよかった、あるいは可愛かった、次はここに誘おうと思うけど彼は気にしないか、なんて話す出来事は康一のことばかり。
 まあ、せっかく由花子が話したいんだから私は黙ってにこやかに聞いているけれど。腹の奥底は煮えたぎっている。あんなちんちくりんな男よりもっと由花子のことが聞きたいのに。

「楽しそうでいいね。私はまだ恋とかよく分かんないけど」

 嘘、幼い頃から知っている。幼い頃から抱えてきた由花子への感情は間違いなく恋だ。幼少期の頃に自覚した時は、きっと親友ゆえの感情だと思っていた。けれど年を重ねていくにつれて段々と分かってくる。これは友人に向けるような感情じゃあないことくらい。
 でもそれでも良いと甘えていた。私が彼女に求めているのは、私を幸せにしてほしいという思いではなくて、由花子の傍にずっといれる権限だった。
 由花子の傍にいれるなら、私、お友達だっていい。由花子の言葉を借りるのだとしたら、「想っているだけで幸せ」だ。

「なんだかあなた、最近元気ないわね」

 でも由花子には全部お見通しらしかった。幼い頃の付き合いだから、元気を取り繕っていてもすぐにバレてしまう。

「部活のことでね。由花子には関係ないから大丈夫」

 言えるわけがない。由花子に本当の気持ちなんて。それに、由花子は康一に夢中だし、私が康一への嫌悪を露わにすれば由花子はきっと私の縁を切るだろう。今彼女が優先するのはきっと康一のみだ。
 彼女に深く追求されないように、少し嘘をつく。これは半分が嘘で、半分は本当だ。由花子と康一が付き合ってから私のコンディションが良くない。そのことで監督から怒られたし、チームメイトからも心配されていた。
 あまり簡単には言いたくないけれど、ショックを受けすぎて今は何にも興味が持てない。

 由花子がお弁当を作ってくれているから、由花子が学校で待っていてくれているから、学校に来ているだけで、今は勉強にも部活にも打ち込む元気はない。
 何も言葉を発さないのもしんどくて、無意識にため息をついた。

「あなたが興味あるかは分からないけれど、」

 さすがに見かねたのか、由花子が口を開いた。いつも通りの凛とした声。

「この近くにエステが出来たのよ。ドゥ・マゴの近く。気分転換に行ってみるといいわ。先生の腕は私が保証するから」

 エステ。いかにも女性らしい響きだ。先生の腕を保証する、ということは由花子はそのエステに行ったことがあるんだろうか。施術なんてしなくても彼女は完璧な美しさを持っているのに。
 それに、今はそんな所に行っている余裕はない。ストレスから逃れるために、この間オーソンでお菓子をやけ食いしようと散財したばかりだ。次のお小遣いまで期間があるし、なによりそんな所に興味はなかった。

「ありがとう。気が向いたら行ってみるよ」

 彼女は微笑むだけで、何も答えなかった。いつもは彼女に相談しているのに、今回は私から何も言わないから彼女も戸惑っているのだろう。
 誓って言うが、彼女が悪いわけではない。彼女の恋路を邪魔する権利も、私のもとに由花子を縛り付けておく権利も私にはないし、邪魔をしたとしても彼女ならそんなの軽々と乗り越えて彼と結ばれに行くだろう。
 康一という男は幸せ者だ。こんなに素直に、一直線に想ってくれる人がいるんだから。

 昼休みが終わり、席について授業を受ける。授業はやっぱり退屈で、私はぼうっと右斜め前に座る由花子の横顔を眺めていた。
 さっき由花子の行っていたサロン、最近クラスで噂されているサロンだろうか。「愛と出逢うメイクいたします」。そんな謳い文句を看板に書いているエステ。ドゥ・マゴに近いとも言っていたし、おそらく間違いないだろう。
 由花子がそんなエステにお金を払って通っていたなんて正直驚いた。彼女の美しさは彼女自身が一番分かっていたし、それを磨くための努力も怠ることはなかった。それに彼女の美しさに傷をつける者や、貶す者は由花子から酷い目にあった。
 それほど自分の美しさに自信があったのに、他所に通いつめるなんて相当腕が良いのだろう。さっき由花子も、腕は保証すると言っていたし。

 美しくなることにも、女性らしくなることにも興味はない。けれど、もし由花子がエステに行ったのが康一とキスをした日であったなら。もしエステの謳い文句が本当なら、行ってみる価値はあるのかもしれない。



 学校が終わった放課後、由花子は今日も康一とデートらしい。杜王町立図書館で期末試験の勉強会をするんだと笑顔で言っていた。珍しく私にも声をかけてくれたけど、二人の邪魔はしたくないし、なにより二人で仲良く過ごしている光景を見たくなかった。
 私もそろそろ勉強しないと、と考えつつ、杜王駅を通過する。ドゥ・マゴまでは一本道。徒歩で十分かかるか、かからないくらい。その近くにサロンがあると由花子は行っていたけれど、辿り着けるかな。

 真っ直ぐに道を進んで坂道を下り、ドゥ・マゴの前に辿り着く。近くにそれらしい建物がないか辺りを見回すと、案外簡単にその建物は見つかった。
 「愛と出逢うメイクいたします」。看板にはそうピンク色の文字で書かれており、下にはかぼちゃの馬車が描かれていた。そして、「CINDERELLA」という文字。店名だろうか。

 無事に辿り着いたは良いけれど、ちょっと、こういう所に慣れていなさすぎて店の中に入るのに躊躇する。
 私って、ショートカットだし、それも美容院じゃなくて千円で切ってくれるような所に行くから無造作だ。おまけに化粧だってしたことがないし、スキンケアさえマメにしないから由花子に怒られているというのに。そんな私が、サロンになんて入っていいんだろうか。

 看板と睨み合ったまま数分が経った。このまま立っていても意味がないし、勇気が出ないなら帰ろうか。テスト勉強もあるし、こんな所で時間を潰している暇なんてない。
 それに、この間散財したばかりでお金も少ないし。エステって高いイメージがあるから、会計の時にお金が足りないなんてことになったら恥ずかしすぎる。ここは一旦引き返して、また気持ちの整理が着いた時にでもここに……。
 そう思い引き返そうとした瞬間、店の扉が開いた。中からは二人の女性が出てきた。綺麗な金髪の女性と、茶髪の女性。茶髪の女性の方が、金髪の女性にお辞儀をしているから、きっと金髪の女性が施術師なんだろう。
そして少し遠目からでも分かるほど、茶髪の女性は生き生きとした顔をしていた。

 茶髪の女性が向こうへと歩いていく。それと同時に、金髪の女性がこちらへと振り向いた。

「その看板に書いていることは真実よ。興味をお持ちならば、どうぞ奥へ」

 扉を開けて、彼女はこちらを見ている。彼女への誘いに応じるように私は数刻ぶりに足を動かした。