諦めて、振り向いてよ

 次の日から、何事もなかったように由花子は学校生活を過ごしていた。あんなに真っ白だった髪の毛は元通りの黒さを取り戻し、特に落ち込んでいる様子も見せなかった。
 康一のことをまだ好きではいるけれど、その恋心は胸の奥にしまいこんでしまうことにしたんだろうか。触れてほしくない傷にしたのだろうか。

 色々考えて、私は彼女に普段通り接することに決めた。いつものように二人で登校して、いつものように授業を受ける。いつものように由花子が作ってくれたお弁当を食べて、何気ない会話を交わす。放課後は私は部活に行き、彼女は一人で帰宅する。
 そんな、特に語ることもない日常をしばらく過ごしていた。しかし彼女は、日に日に落ち込んだ様子を私の前でだけ見せていた。そんなとき、決まって彼女は私に話を聞いてほしがる。

「どうしたの」

 だから、私は彼女に声をかける。友人である私は、彼女の問題を全て受け止めてあげられるから。

「なんでもないわ」

 だけど由花子は頑なに答えたがらなかった。何度聞いても答えは同じ。本当になんでもないの、と彼女は答えるだけ。
 彼女が元気のない理由はなんとなく察しがついていた。きっと康一のことだ。康一のことが忘れられなくて、けれど康一に想いを告げることも、ましてや話しかけることも出来ずもどかしい日々を過ごしている。

 由花子の髪が白く染まり、血を流して怪我をしていたあの日。彼女の身に何があったのか、二人で、あの人気のない別荘地帯で何をしていたのか。どうしても知りたかった私は、同じクラスの虹村億泰に声をかけていた。
 彼は答えることを渋っていたが、学校近くのアイスクリーム屋のクーポン券を渡すと簡単に答えてくれた。

 あの日、由花子は康一をあの別荘に監禁しようとしていたらしい。そして、康一が由花子のことを好きではないということも教えてもらった。
 あの日の前日、億泰と仗助は、由花子に康一のことを諦めてもらおうと康一に関する悪い噂を、わざと由花子に聞こえるように話していたらしい。由花子に対してそれは全くの逆効果を示すことを私は知っていたけれど、付き合いの浅い彼らには分からなかったようだ。
 結果、認めた人には徹底的に尽くす精神の由花子は康一のことも良い方向に変えてあげようと、誘拐し、監禁していたらしい。
 別荘の中では彼女の度の越えた教育的指導が行われていたらしく、内容は軍隊のブートキャンプも驚くような度を越したものだった。

 さすがの長い付き合いの私でも、彼女が犯罪のような真似事にはしるとは想像もつかなかった。そしてそれが悔しくもあった。
 私は、そんなことされてない。監禁されて、自分思いの人間になるように洗脳のような真似事をされていない。それはきっと、彼女が私のことを恋愛対象として見てくれていないから。
 私にしていないことを、康一という男にしたことが悔しくて悔しくて堪らなかった。そんなに手を煩わせてでも自分好みの男に仕上げようとする由花子の気持ちが分からない。

 それに、億泰から聞いた情報によると、康一はかなり由花子のことを嫌っている。ドン引きレベルだ。億泰も仗助も由花子にいい顔はしていない。
 そんな男を、由花子にはもう想ってほしくはなかった。私のような心傷を、彼女に味わってほしくないから。

「由花子、康一のことはもう諦めなよ。絶対由花子と釣り合わないよ」

 ピックに刺さったウインナーをつまみながら、私は彼女にそう伝える。逆上しないように、彼女の感情を見極めながら。
 叶わない恋を想うな、なんてことは言わない。けれど、想っているだけでもいつか人は見返りを求めてしまう。欲深い彼女なら尚更。その見返りを求めてしまった時、そしてそれが返ってこないことを知った時、彼女はきっと心苦しさから泣いてしまう。
 私は、これ以上彼女には泣いて欲しくない。悲しい思いをしてほしくない。色々ある人生だから、悲しいことはこれから沢山訪れるだろう。だけど、味わう必要のない悲しみだってある。

 私は彼女の盾でありたい。不必要な悲しみを味わうことのないような人生を送らせてあげたい。
 ただただ彼女に笑っていてほしい。それが友人であり、片想いの相手でもある由花子への願いだった。

「由花子は美人で成績だって良い。康一は、まあ不細工ではないとしても由花子に釣り合う顔はしていないし。それに、康一より優しくてかっこいい男なんて他にもたくさんいるよ。星の数ほど男はいるんだから、さ……」

 そこまで言って、私は彼女の表情の変化に気づく。表情は至って冷静なのに、左瞼がピクピクと痙攣を起こしている。
 今、表情は至って冷静といったけれど、よく見れば目も少し吊り上がっているように見えた。まずい、彼女の地雷を踏んだ。もう少し言葉を紡いでいれば、縁を切られるところだったかもしれない。
 これ以上踏み込むといけない。そう察したけれど、突然話題を変えるのは不自然だ。徐々に話題を逸らしていけば、彼女の機嫌を損ねないで済むかもしれない。

「そもそも、由花子はどうして康一のことが好きになったの?」

 喉を潤すために麦茶の入ったペットボトルに口をつける。それは結露で濡れていて、確かな夏の気配を私に知らせていた。

「そうね、一言でいうなら一目惚れかしら」

 別に格好良くないのに、なんて茶々を入れるわけにもいかず、私はペットボトルの蓋を閉めた。

「最初はそうでもなかったのよ。隣のクラスのたまに見かける男の子って印象だったわ。でも、ある時急に顔が引き締まったのよ。その日を境に、なんだか私、康一くんのこと、目で追ってしまうようになって」

 手を組んだまま人差し指をくるくると回して、少し照れたように、そして少し寂しそうに言葉を紡ぐ。

「でも、この間の出来事があって……。あなたには酷く映っているでしょうけど、私にはあの時の康一くんが凄くかっこよく見えたの。優しくて、でも確かな強さがあって、男らしくて、敵わない。そんな康一くんが、もっともっと好きになったのよ」

 そこまで言って、彼女の言葉は止まる。何か考えているような素振りを見せて、深くため息を吐いた。

「一生をかけても出会えない人もいる中で、私は運命の人に出会えたんですもの。この恋は実らなくてもいい。私、彼を想っているだけで幸せだわ」

 ニコリと笑った由花子の表情は寂しそうで、それでいてやはり美しかった。
 私だって、由花子を想っているだけで幸せ。その気持ちは分かるけれど、やっぱり由花子には笑っていてほしい。そんな悲しそうな表情をして、本当に由花子は幸せなんだろうか。

 由花子が康一と結ばれて欲しくないという思いもある。あるけれど、今の由花子の幸せは、康一と恋人関係になること。由花子の幸せを望むのであれば、彼女の恋を応援するべきなのに。
 心の中はぐちゃぐちゃで、私は今の由花子を笑わせることも出来なかった。