消えた二人

 二日後、由花子が突然学校を休んだ。先生に聞いても連絡は入っていないらしい。絶対、何かあった。恐らくあの康一絡み。
 由花子が無断欠席をするような子じゃないことは私が一番わかっていた。彼女は勤勉で、休む時は必ず病欠だ。むしろ、熱があっても学校に来ようとするし、休む時は必ず私に連絡を入れる。
 そんな由花子がいきなり学校を無断で休むなんて、ありえない。

 一時間目が始まる前に、慌てて隣の教室を見に行ったけれど、あの康一という男もいなかった。どこに行ったの。二人で。
 すぐにチャイムが鳴ったから渋々教室に戻ったけれど、私の頭の中は気が気じゃなかった。今すぐ学校を抜け出して探しに行きたいくらい。でも、そんなこと出来ないし、どうしたら……。
 授業なんて全く耳に入らないまま、時間は過ぎていった。昼休みになっても由花子は来ない。放課後になっても、由花子は来なかった。
探しに行かないと。由花子にもしも何かあったら、私は……。

 部活を休む連絡も忘れて、私は家に走って帰っていた。鞄を玄関に投げ捨てて、自転車の鍵を引っ掴んで、そのまま自転車に跨り、杜王町を駆け回った。
 学校の周辺、由花子の家の周り、駅前。いない、いない、いない……! 思い当たる節を全て探したけれど、由花子の姿は見つからない。康一という男も。由花子のお母さんに聞いても、家に帰ってきていないと言っていたし。一体どこに行っちゃったんだろう。
 息を整えるのも惜しかった。早く見つけて安心したかった。駅ナカの観光マップを一枚貰って、その中から行ってないところを徹底的に探すことにした。

 カメユーデパート、杜王町立図書館、定禅寺の住宅街、山の方まで探した。自転車を漕いでは降りて、建物の中を探して。でも見つからなかった。
 残るは、海沿いの別荘地帯。由花子がそんな所にいる確率は低いけれど、残っている場所はここしかない。重いペダルを踏み込んで、息を切らして自転車を漕いだ。

 坂道を登っている途中、男子三人組とすれ違った。そんなこと気にしてる余裕は本当はないんだけれど、すれ違った人物が目に付いた。見かけたことのある姿だった。
 改造された学ランの$マークを見てすぐに分かった。先月転校してきた虹村億泰だ。隣にいる特徴的な髪型の彼は、確か隣のクラスの東方仗助。そして、その間にいた小さい男。あれは広瀬康一だ。髪型は違っているけれど間違いない。
 康一がいるということは、恐らく、由花子もこの先にいる。筋肉痛で悲鳴をあげそうな足に無理やり力を込めてペダルを踏み込む。もう少し、あと少し。そこに、由花子はきっといる。

 ようやく漕ぎ終えた先に見えてきたのは紫の屋根の家。そしてその家の先の崖のところに、由花子はいた。力の抜けたように座っている由花子。
 でも、いつも纏っている美しい漆黒の髪の毛が、見る影もなく白く染まってしまっていた。

「由花子!」

 それが視界に入った瞬間、私は自転車を降りて駆け出していた。スタンドを降ろすのも忘れて。支えのない自転車は音をたてて倒れた。酷使した足で走っているからスピードは出ない。なんなら、いつもより走る速度は遅い。
 けれど一刻も早く、彼女の傍に行きたかった。
 なだれ込むようにして、私は由花子に抱きついた。驚いた様子の由花子の頬を包み、紫色の瞳を覗き込む。

「何があったの由花子。ボロボロだし、血も出てる。髪だってこんなに白くなって……! あいつでしょ。康一ってやつが由花子になにかしたんでしょ。きっとそう」

 おでこから流れている血をハンカチで拭き取る。幸い傷は浅く、再び血が出てくることはなかった。

「さっき康一達とすれ違ったの。今ならまだ追いつけるはず。私が行って、やり返してこようか」

 由花子は見ているのも痛々しいほど傷ついていた。服はボロボロで髪の毛も乱れている。こんなことをされて、私も黙っているわけにはいかない。大好きな人を傷つけられて、じっとしていられるような弱い人間じゃない。
 由花子は私の言葉に何も応じなかった。それを肯定と捉えた私は立ち上がり、再び自転車の方に行こうとした。

「待って」

 その行動を制したのは由花子自身だった。彼女は柔らかな笑みを浮かべて首を横に振る。

「康一くんは何も悪くないわ。私が悪いの。だから、何もしないで。お願い」
「何言ってるの。由花子は絶対に悪くない。もし悪かったとしても、こんなに傷つけていい理由にはならないよ」

 それに、私が彼になにかやり返してやらないと気がすまなかった。あいつは血を一滴も流していなかった。傷一つ負っていなかった。どう見ても、一方的に由花子を傷つけたようにしか私には見えない。
 煮えくり返る私の腹の底とは裏腹に、由花子の表情は晴れやかだった。彼女はもう一度私を制するように、「お願い」と呟く。
 やりきれない気持ちを抱えつつも、私は彼女のために折れた。由花子とこのまま討論を続けるより、早く彼女を家に帰した方がいい。由花子のお母さんも心配しているし、怪我だってしているから。

「分かった。そろそろ帰ろう? 送って行くから」

 彼女に手を差し伸べると、絹のように柔らかな手のひらが私の手を掴む。ゆっくりと体重を後ろに傾けて彼女を立ち上がらせた。手を離すタイミングも逃して、手を繋いだまま、私は由花子を自転車の傍まで連れていく。
 力なく倒れたそれを起こして跨ると、それに倣うようにして由花子が荷台へと腰掛けた。細い腕を私の腰に回して。

 二人分の体重を乗せた自転車をゆっくり漕ぎ出し、帰路へとつく。燃えるような夕焼け。赤い太陽はエメラルドグリーンの海の中へ沈んでいく。

 由花子は何も話さない。語りたくないのか、疲れているのか、どちらかだろう。彼女が話したくないことを無理に聞くわけにもいかず、私も黙ったままだ。
 その時間は酷く長いとも感じたし、あっという間な感じもした。気がつくと私たちは由花子の家の前へと辿り着いていた。

「着いたよ」
「ええ。ありがとう」

 離れていく体温。名残惜しいけれど、引き止めることはできない。とぼとぼと家に帰っていく背中は寂しくて、見るだけで心が痛くなる。

「由花子」

 呼び止めれば彼女は私の方へと振り向いた。

「康一のこと、まだ好きなの」

 白い髪の毛が風でなびく。雪のように白く滑らかな肌とはまた違った白。黒髪も素敵だけれど、白い髪もとても似合う。見惚れてしまうくらい。

「好きよ。今日のことで、もっと好きになってしまったわ」

 それじゃあ、と一言残して由花子は家の中へと入って行ってしまった。
 あいつの何が、彼女をあそこまで惹き付けるんだろう。あいつのどんなところを、由花子は愛しているんだろう。自身が傷ついてしまっても、貫ける愛を、どうして康一という男に向けているんだろう。
 理由はいくら考えても分からなかった。けれど、由花子に聞きたくもなかった。