不意の別れ

「そろそろ帰るか」

 袖口で軽く目元を拭いながらかけられた提案に俺は頷いた。腕元のタグホイヤーに目を向ければ時刻は四時を過ぎようとしていた。どうやら明日の授業は全て寝る羽目になりそうだ。

「空条、いつから私のこと好きだったんだ?」
「あ?」

 ヘルメットを拾い上げながら投げられた突拍子も無い問に思わず俺は声を上げてしまった。俺の反応にまた笑う様子はいつもの調子に戻っておりその様子に安心する。

「さあな。俺にもよう分からん」
「なんだそれ」

 積もった砂を軽くはらいヘルメットを被った彼女はバイクに跨ろうとするが、俺がそれを制した。頭上に疑問符を浮かべるこいつを他所に俺はバイクに跨る。

「帰りくらい送らせろ」
「お前、免許持ってたっけ」
「持ってねえが、乗り方なら教わったぜ」

 そう答えて俺はエンジンをかけた。あいつは大袈裟なため息をつき苦笑を浮かべる。

「お前、悪い奴になったな」
「誰のせいだと思ってやがる」

 軽口を叩けばあいつは笑いながら俺の後ろに跨る。腰に腕が回されたことを確認して俺はバイクを走らせた。あと数時間で朝を迎えるというのに空は未だに夜空のままだ。車もあまり通らない道路を走りながらふと上を見上げると綺麗な満月が見える。

「綺麗だな、月」

 後ろにいるあいつが小さく呟いたのを聞いて俺は素直に頷いた。きっとこいつのこの言葉に、深い意味なんざねぇんだろう。そのままバイクを走らせていた俺はこいつの事を送ろうと決心していた。しかし家は逆方向だからという理由で半ば強引に俺の家へと向かわされた。

「ちゃんと学校行けよ。空条」

 それだけ言い残して去っていく彼女の背を俺はしばらく眺める。あいつが見えなくなったあとも俺は家の中に入るのが惜しかった。時間にして数時間。たったそんな短い時間の間に起こった出来事が濃密すぎていつもより時が経つのが遅く思えるほど。一つ大きな欠伸をして俺は物音をたてないように部屋に戻った。
 卒業式は、花でも持って行ってやろう。あの人のためだけに。



 あれから半月が経ち、とうとう卒業式を迎えた。これが本当に最後に彼女に会える日だと俺は思っていた。登校前に見繕っていた花を花屋で受け取り、寂しい気持ちと憧れの人の晴れ姿を見るというどこかそわそわした気持ちで俺は卒業式に出席した。
 しかし、彼女は来ていなかった。
 卒業証書授与。彼女の名前が呼ばれたあと、あの声で言われる返事では無く教師が放った「本日欠席」という言葉に俺は酷く頭を殴られたような気がした。
 あの夜が、最後の時間だったのだ。過ぎ去った時は戻ってこない。酷い後悔に苛まれながら半ば放心状態で式の後半を過ごしていた。
 式が終わり、俺は走って卒業生の教室へと向かった。あの人のために買った白い花束を抱えて。見知った顔に声をかけると、俺の抱えている花束を見て少し哀れみを含んだ笑みを作る。

「あの人、今日来てねぇんだ。理由も俺には分からない。ごめんなジョジョ」
「家とか知らねぇのか。せめて花でも渡したい」

 しかしこの問いにも俺の期待していた答えは聞けず、男は黙って首を横に振るだけだった。結局、花は卒業生の女に配った。

「まさかジョジョからもらえるなんて!」

 笑って彼女達は受け取っていき、俺の手元には装飾用の包装紙だけが残った。花を取り嬉しそうな卒業生達の表情を見ながら、いつかの彼女の言葉を思い出す。

「お前か。噂のジョジョって。うちの学年にもお前のファンがいるよ」

 あれ、お世辞かなんかだと俺は思ってたんだが、本当だったんだな。だがあんた以外に好かれたってどうでもいい。この花だってあんたにもらわれなきゃあ意味がねぇんだ。
 手元に残った包装紙を丸めてゴミ箱に捨てる。俺のこの気持ちごと捨てられたらどれだけ楽だろうな。なんてくだらねぇことを考えながら、俺は憧れだったもういないあの人と同じ学年になった。



 短くなった三本目のタバコを灰皿に押し付けながら時計に目をやると、もうすぐ一限が始まる時刻を指していた。久々にあの人のことをこんなにもゆっくりと思い出したような気がする。今頃どこで何をやっているのか、見当もつかねえがあの時のように泣いてさえいなけりゃそれでいい。
 タバコの箱をピスポケットにしまい、他の生徒に紛れて俺も教室へと足早に向かった。

 高校の時よりはつまらなくねえ授業に耳を傾け、半分聞き流しながら午前の講義を終える。午後からは何の講義も取っていなかったが、ちょっとした調べ物のために図書室へ籠ることにした。
 中にいたのは二時間といったところだが。さすがに昼飯を食いたいと腹の虫が騒ぎ出したところで俺は大学を後にした。別に学食でも良かったんだが、なんとなく外で食べたい気分だった。
 そうだ。こう考えたのはなんとなくだったんだ。だからこの行動は偶然では無く運命に似た物なのだと思う。大学から少し歩いた所にある適当に目についた小洒落たカフェに入る。出迎えた店員に案内され喫煙席へと座った。

「ご注文は?」
「サンドイッチと、エスプレッソを一つ」
「かしこまりました」

 最低限の注文を終え、朝ぶりの煙草を吸おうと箱に手を置いたところでふと気づく。店員が俺の席から立ち去ろうとしない。不可思議なことをする店員を見上げるがこいつの表情は上手く読み取れなかった。

「何か用か」

 素直に分からなかった。ストレートに聞けば、店員は少し間を置いて口を開く。その言葉に俺は息を呑んだ。信じられなかった。まさか、こんなところで。
「もしかしてだけど……。空条?」

 店員の耳元でシルバーボールがキラリと光った。