初めてとピアス

 いつでも来いよ。というあいつの言葉に甘え、俺は暇さえあればあの溜まり場へと足を運んだ。あの日の男達も俺を可愛がってくれたが、そこで俺が会いたいのはいつもたった一人だ。
 近づけばあいつがいるかはすぐに分かった。あいつ以外にも煙草を吸う野郎はいたが、同じ銘柄を吸っているのは俺とあいつだけ。あの匂いが漂っている時はあいつがいるのだと分かれば途端に口角が上がるのを感じた。

「来たか、空条」
「おう」

 今日もあいつはいた。昼休みにいつも一人で過ごしていることは通ううちに分かっていた。後から聞いた話だが、昼休みだけはこの場所はこいつの独占状態だったらしい。そこに受け入れて貰えたというのはかなり気に入られている証拠だと、あの空間に入り浸る奴らからは羨望の眼差しを浴びていた。
 こいつはいつも孤高だった。俺よりも小さい背丈のくせして背中だけは立派で、なんでも持てる俺から見てこいつは俺に持てやしない全てを持っていた。
 俺の与えられない初めてを全てかっさらっていったのはこいつだ。初めての煙草も飲酒も教わり、気が向けば喧嘩の仕方さえも伝授してくれた。
 俺はいつの間にかこいつに敬愛、というより純粋で不純な恋情を抱いていた。たまり場の定位置に座るそいつの横に腰掛けて、同じ銘柄のタバコに火をつける。もうむせやしねえ。だが美味いとも思わねえ煙を目一杯肺に吸い込み吐き出した。
ただ背徳感で満たされるだけの行為だったが、この人と同じだと考えればなんともいえない優越感に浸ることが出来る。購買部のパンを口いっぱいに頬張る様子は実に子供っぽかったがこいつの纏う匂いも表情も子供のソレでは無い。

「もう三日連続焼きそばパンなんだが、さすがに飽きたな」
「あんたが美味いって伝えたからだろ」

 口の端に付いたソースを拭いながら、そう不満をこぼす。まるで貢ぎ物のように渡されているものに不満をこぼすくらいなら自分で買いに行けばいいと思うが、そうしないところもこいつらしい。
 こいつがなぜそこまで尊敬されているのか、何をしてここの長のような存在になったのか俺は知らない。聞けば話してくれるんだろうが、躍起になって知りたいことでも無かった。こいつの強さは身をもって分かっていたしどうせ在り来りな話だというのは容易に想像出来た。
 ペットボトルに入った水を飲み干し俺の方に体を向けると口を開く。

「そういえば、ちゃんと持ってきたか?」
「ああ」

 俺はポケットの中から小さい箱を二つ取り出して渡した。「瞬間ピアッサー」と書かれたその箱を開ける。またこの人はいつもの様に俺の初めてを奪っていこうとする。それが俺にとっては新鮮で特別なこととも知らずに。事の経緯は昨日に遡る。

「ピアス空けないのか?」

 少し乾いた唇で煙草を挟みながら俺に問う。手元を彷徨わせてどうやらライターを探しているらしい。
 別にピアスに憧れなんてものは無かった。女どもはいかに親や教師に見つからず、内緒で空けるかを話し合っていたが俺にとってはどうでもよかった。ただ耳に一つ穴が空くだけでそれ以上の事なんて無い。

「興味あるなら空けてやろうか」

 何も答えない俺に反して言葉を更に続けた。本音を言うと興味なんて無い。だがこいつが身につけている耳元のシルバーボールだけはやけに輝いて見えて、俺は無意識に頷いていた。
 やっとライターが見つかったのか手馴れた手つきで火を点けていつもの匂いが広がる。同じ銘柄を吸ったところでこいつが燻らせる匂いの方がかっこいいと感じるのは何故だろうな。

「今すぐ安全ピンで空けてやってもいいんだけどな、知り合いが膿んでたからオススメはしない。ピアッサー買ってきたら空けてやるよ」

 そして今日、その言葉通りピアッサーを買って俺はまたここに来た。どこからか取り出したのかいつの間にか消毒液をティッシュに含ませており、それを渡される。

「それで耳拭け。場所は適当でいいか?」
「ああ。あんたに任せる」

 耳を拭き終えると嫌にスースーとした感覚が残った。細い指が耳に触れ穴を空ける位置を確認されている。

「言ったはいいものの、私人に空けたことないからなぁ。失敗したら謝るよ」
「……おい待ちな。今なんつった」

 そいつの手を軽く払い除け俺は少し距離を取った。そんな俺とは反対にきょとんとした間抜け面を晒し、何がおかしいのか分からないといった様子だ。

「お前も怖がったりするんだな。大丈夫、お前が動かなきゃ失敗しないよ」

 多分。と語尾を濁らせて再度俺に近づく。別に怖気付いちゃあいねぇが不安が残った。本当に大丈夫か。再度耳に触れまたどこかから取り出したペンで印を付けられる。

「あんたはいつ空けたんだ」
「ん?半年くらい前かな。彼氏に空けてもらった」

 俺は再度耳を疑った。今、彼氏と言ったか?恋人がいるという噂なんざ聞いたことがねえ。むしろ女っ気のねえこいつを好きになる男が俺以外にいるということ自体に驚いた。
 ここに来る人間で、こいつの恋人だと言う野郎はいなかったはずだ。だがそんなつまらない嘘を吐く奴でも無いことを俺は知っている。その事実が余計に俺の心に重くのしかかった。

「空けるぞ」

 俺の考えてることなんざ知らねえこいつは早速開けようと俺の耳にピアッサーを宛てがう。真剣そうな瞳を見つめながら俺だけがこの瞳を知っていればどれだけいいかなんてつまらねえことを考えていた。悔しくはあったがそれでもこいつが俺の事を可愛がってくれていることには変わりねえ。それだけが事実を知った俺の支えだ。

「っ、あ゛…!」

 バチンと大きな音がしたと思った瞬間、焼けるような痛みが走った。予想していた痛みよりも大きく俺はつい声を上げて顔を歪める。ピアッサーが離れていった後もその痛みは続き、熱を持ってただ疼く感覚だけが余韻として残っていた。

「ほらもう一回。頑張れ」

 もう一つのピアッサーを手に取り、今空いた穴の痛みが冷めやらぬ前に素早くもう片方の穴も空けられる。針が貫通したような感覚は無かったが、ただただ痛みだけが残った。あいつはうんうんと一人で頷きながら立ち上がる。

「よし、上手くいった。後でトイレかどっかで確認してこい。痛みはすぐ引くよ」

 やっと痛みが引いた頃合いを見て俺は耳に触れる。そこには先程までは無かった異物があり裏側には針がしっかりと通っていた。痛みの余韻から大きく息を吐けばあの人は喉を鳴らして笑う。
 いつもそうだ。俺が初めてここに来た日に不慣れな煙草を吸った時も、初めて飲んだアルコールに不味いと顔を顰めた時も、こうして可笑しいと言ったふうに笑いやがる。

「何が可笑しい」
「いや、なんかお前可愛いとこあるよな。いつもクールぶってる印象あるから余計に」

 もうゴミと化したピアッサーを俺の手に握らせて新しい煙草を嗜みだす。沈黙の中、未だ違和感を拭えそうにない耳に触れて異物の感触を確かめた。

「あんたの彼氏って誰だよ」

 さっきから引っかかっていた疑問をぶつける。ここに来る奴らの顔はもう全員知っているが、こいつにそういう態度を取るやつなんざ見たことがねえ。ましてや告白しただなんてなりゃあすぐに噂は広がる。
 だが、いくら記憶を探ろうが当てはまる人間がいない。この人が惚れる男はどんなやつなのか興味があった。

「知ってどうする」

 冷たい声で言い放ち地面に煙草を押し付けた。表情は良く見えなかったが、声音から気に障った事は容易に分かった。予想していなかった返答に俺は動揺し口を閉じて様子を伺う。
 そんな俺を横目に新しい煙草を取り出したが、何を思ったのか口には咥えず箱に閉まった。

「ここの奴じゃないよ。逆に空条はどうなんだ?引く手数多だろ」

 少しピリついた空気を和ますように俺に問いかけるそいつの口角は上がっており、怒ってはいないようだった。俺の言葉を待ちながら柔らかな表情で頬杖をつくこの人に正直に気持ちを伝えれば、いつもの様に笑うのかもしれねえ。
だが別にハナから言うつもりも無かった気持ちを今になって伝えられるはずも無く、俺は当たり障りのない答えを言うしか選択は無かった。

「いねぇな。鬱陶しい女は嫌いだ」

俺の言葉を聞き満足気に微笑み、「そうか」と何気ない返答をよこした。



 季節は巡っていくもので、始まりがあれば終わりがある。自然の摂理とは幸か不幸かそういうものだ。夏服だった制服は冬服へと変わり、俺はそのタイミングで学ランを改造した。
 初めて袖を通しあいつに会いに行った時見たことないような輝いた目で「似合うな!」と褒めてもらった時はこの上なく嬉しかった。
 同じ銘柄の煙草。色違いではあるが同じピアス。改造した学ランに身を包み喧嘩では負け無し。やっとこいつと同じ土俵に立てたような気がしてならなかった。だがそれも、もう長くは続かないことを俺は知っている。

「もうすぐ卒業か。実感無いな」

 期末考査二週間前、教室がピリついた空気に侵食されている中、この空間だけはいつもの様に穏やかで安心感を覚える。相変わらずといった様子のこいつの隣に今日も俺は座っていた。いつの間にかこいつの隣は俺であるのが当たり前で、この人の横顔が俺の日常の景色になっていた。

「まだ二学期も終わってねえぜ」
「三学期は卒業式以外来ないから。ほぼ終わった感覚がするんだよ」

 少し寂しそうに言いながらこいつは俺の学ランの鎖に触れる。癖なのかなんなのか知らねえが、時たまこうして俺に触れることが多くなっていった。それを払う気も無く俺はただされるがままだ。悪い気はしねえからな。
 卒業後は大学に行くやつもいるが、ここに溜まってる奴らはほとんどが適当なとこに就職だと聞いていた。こいつの進路も一度聞いてみたことはあるが、秘密だなんだと答えてくれることは無かった。

「お前と会えるのも、あと数回だな」

 テスト期間に入ればこいつはここへは来なくなる。終業式にだって会えるかは分からねぇし、冬休み期間に会えるなんてことも期待しちゃいねぇ。

「寂しいのか?」

 揶揄うように聞けば眉を下げて困ったように笑った。まさかと一蹴されるだろうと踏んでいた俺は、あまりにも予想と違った表情に目を奪われた。どうせならいつもの様な馬鹿にした笑顔を見せてほしかった。

「寂しいよ。可愛い後輩に会えなくなるのは」

 鎖から手が離れた拍子に、揺れた鎖からは金属音が鳴る。いつも揺るぎない信念のある瞳が俺だけのために哀しみに染まっているという事実に、場違いではあるが優越感を覚える。

「嘘ついてんじゃあねぇだろうな」
「嘘じゃないよ。半年くらい一緒に過ごしたんだから、情くらいはある」

 そう言っていつもの煙草を咥えたそいつの口元にジッポを差し出せば、驚いた表情を見せたあと小さく笑みをこぼす。
先端に火を付けると「ありがとう」と短い感謝の言葉を述べた。冬の澄み切った青空に吹かれた煙が溶け出していくのを眺めながら、あとこいつとどれだけの時間を過ごせるのかと考える。
 俺も寂しい、なんて柄じゃねえ言葉は告げられなかった。