そのクセは直した方がいい

 夢であれと何度願っても、瞬きの回数を増やしても、これが現実であることに変わりない。

「本当に…?嬉しい!」

 掃除終わりのごみ捨てに来た僕は、男の手を握り歓喜の声を上げる彼女を見てしまった。見えたのは後ろ姿のみだったが彼女の澄んだ瞳が喜びで輝き、白い頬は上気し色付いているのが容易に想像がつく。

(ああ、告白でもしたんだろうか)

 目の前で行われている現実のおかげで呆気なく僕の初恋は終わりを迎えてしまい、僕はただ呆然と彼女達を眺めていた。



 生徒会長の彼女はいつも大忙しだ。生徒会をまとめ各行事の準備や部活のこと、他にも学校の為に日々彼女は活動している。そんな彼女の演説を一度も聞いた事が無いけれど、それはもう凄い熱弁だったとクラスメイトが言っていた。
 そんな彼女の真っ直ぐで芯の通ったところに惹かれたのが始まりだったと思う。らしくないと言われるかもしれないが、スタンド使いじゃない彼女に恋をしてしまうなんて僕自身もびっくりしているんだ。
 あの旅の後、承太郎やジョースターさん達という仲間が出来て、僕の気持ちにも余裕が出来たんだろうか。自分自身への異物感から来る嫌悪感と他者と分かり合えないという固定概念が解け、少しずつだが他人にも心を開けるようになっていた。
その末の初恋だった訳だが、この感情は誰にも知られることも無く、吐露する場所も無くなってしまった。僕はどこか他人事のように「初恋が叶わないというのは本当なんだな」と頭の片隅で呟く。

「おはよう花京院くん!今日も暑いね」

 そんな僕の気持ちなんて知らず、彼女は気軽に話しかけてくる。転校してから二日目で家出(という扱いになっている)をし、帰ってきたと思ったら重症患者だったというのもあって僕のことをすごく気にかけてくれた。
 好奇の目を向けるクラスメイトを掻き分けて僕の前に現れ、居なかった時の授業のノートまで見せてくれた。しかしその優しさは僕だけのものじゃない。皆に優しくそしてその平等な善意に時たま嫌気が刺す。僕だけに優しくあってほしいと口に出せない感情だけが蓄積していった。

「おはようございます。確かに暑いですね。君も倒れないように気をつけてください」
「倒れないよ!こうみえて私、結構頑丈なんだから」

 太陽にも負けない輝かしい笑みを向けて胸を叩く彼女は可愛らしい。愛しさが込み上げると同時に昨日の光景を思い出し、途端に暗い気持ちに覆われる。彼氏がいるのに僕なんかに話しかけていいのだろうか。いいのか。彼女に他意なんて無いのだから。
 虚しさと悲しさを覆い隠すように僕は本を開く。彼女は教室に入ってきた友人に話しかけに行き、ぶつける宛先の無い感情を消化しようと僕は文をなぞった。



 あの現場を見たからといって燻った思いが消える訳では無い。実らなかっただけで以前と変わらないのだから潔く諦めてしまえ、と言い聞かせているけれど簡単に諦められるわけがない。この思いを断ち切るためにいっその事稀にある告白に対して応じてしまおうか、とも思ったが脳裏に過ぎるのは彼女の姿ばかり。この一向に晴れそうにない気持ちをどう扱えば良いのだろう。
 何もかもが初めての経験でどう対処したら良いのか分からない。思考回路が上手く働かず、ただひたすら彼女があの男と笑い合う姿だけがチラつく。あの日以降頻繁に話す姿を見かけるけれどどれも遠目からで話す内容はよく聞こえない。
 しかしあの男に向ける笑顔は僕に向けるそれではなかった。もっと温かみのある笑みだ。きっと僕の知らない表情をあの男は知っているんだろう。そう考えるだけで胸が締め付けられるような感覚に陥り、今日も本のページはなかなか進まない。

「花京院くん?体調悪い?」

 頭上から降ってきた声の主を確認するように見上げれば彼女のガラスのように輝く瞳が視界に広がった。近すぎるともいえる距離に思わず椅子を引けばギィと大袈裟な程大きい嫌な音が教室に響いた気がした。しかし昼休みで賑わう教室に音は溶け込み、誰も僕達の方に見向きはしない。

「ご、ごめんなさい」

 眉尻を下げて謝る彼女に僕は慌てて言葉を紡ぐ。

「いえ、こちらこそすみません。大袈裟に驚いたりなんかして…」

 そう僕が弁明すれば、彼女は安心したような表情で微笑んだ。空いている椅子に腰掛けて僕の近くに寄ってくる。

「悩みなら聞くよ。生徒により良い学校生活を送って貰うのが生徒会長の勤めだから」

 屈託の無い笑みを浮かべた彼女に見惚れてしまう。「君に恋人が出来たことを知っていながらも、君のことを諦められない」だなんて正直に告げたらどんな表情をするんだろうか。深く考えなくても困惑した表情を浮かべる彼女が目に浮かんで思わず苦笑してしまった。

「大丈夫です。君に相談する程大したことじゃありませんから」

 やんわりと断るが彼女は引き下がろうとしない。むしろ先程よりも強い眼差しで僕を見つめ、納得していない様子で言葉を紡ぐ。

「私、花京院くんの事が心配なんだよ…。花京院くんの力になりたいの。だから些細なことでもいいから教えて欲しいな」

 彼女の真っ直ぐな瞳に射られてしまった僕は逃れることなど出来ない。そんな僕はどこまでも君に惚れている。重い口を開き恐る恐る言葉を紡いだ。

「好きな人が、出来たんです」

 その言葉を聞いた彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに爛々と目を輝かせた。女の子は恋バナが好きだとよく聞くけれど彼女も例に漏れず好きらしい。いつもの凛々しい表情とは打って変わって幼い少女のような笑みを浮かべ、頷きながら言葉の続きを待っている。

「でも彼女にはどうやら恋人がいるようで…。諦めたいんですけど諦めきれないんです。この気持ちをどう扱えばいいのか分からなくて……」

 その彼女が君だと伝えてしまえたらいいのだけれど。彼女は目を瞑り少し考える素振りをしたあとゆっくりと僕に告げる。

「伝えた方が、いいんじゃあないかなあ」

 その声色はどこか寂しそうで瞳は憂いを帯びている。どうしてそんな表情をしているのか僕には分からなかったけれど彼女の言葉に首を横に振った。

「伝えても彼女が僕に振り向いてくれることは無いですし、なによりも彼女を困らせてしまう。やっぱり、伝えるべきじゃあないんですよ」

 自嘲気味に乾いた笑い声をあげても彼女の表情は変わることは無い。まだ何か考えているようだけれど彼女の視線は僕ではなく窓の向こうを見つめているように見えた。
光を集めて静かに輝く彼女の瞳を見つめているとカチリと視線が交わる。その瞬間、彼女はしっかりと僕の手首を握る。伝わる彼女の手のひらの温度が、柔らかさが僕の心臓を高鳴らせた。

「困らないよ。きっと」

 いつもの凛々しさを取り戻した視線は僕の全てを見抜いているような気がしてならない。どこか強い意志を持ったその言葉に気持ちが揺らぐ。本当に、伝えてもいいのだろうか。

「あんまり深く考えなくてもいいと思うよ。伝えてみたらいいんじゃあないかな」

 ふにゃりと笑って僕を見つめる彼女の柔らかい表情に心を奪われた。ああ、やっぱり好きだ。諦められるわけが無い。

「その…実は、」

 意を決して思いを伝えようと口を開いた瞬間、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。なんて間が悪いんだ…。ガヤガヤと授業への準備のために一層賑やかになった教室の中、離れていく体温に名残惜しさを感じる。けれどそれを引き止めておく術すら今の僕には思い付かない。

「応援してるね」

 そう笑って自身の席に戻っていく彼女の後ろ姿を見つめながら僕は静かに決心した。やはりこの気持ちは内に秘めたままでは無く彼女に伝えよう。もう、後悔はしたくない。



 夕日が差し込む生徒会室にシャーペンで机をつつく音だけが響いている。パイプ椅子の感触は未だに硬すぎて、少しだけ積もった書類を眺めながら私はため息をついた。

「なんであんなこと言っちゃったんだろ…」

 彼氏持ちなんてやめた方がいいのに。とまた大きくため息をつく。ため息をすると幸せが逃げるなんてよく言うけれど、今の私はもう逃げられた後なんだ。いくらついたって構わないでしょ。思わずクセで握ってしまった彼の手首は骨ばっていて、男らしい触感を思い出してはまた体温が上がるのを感じる。
 本当ならいつも数分で終わらせてしまう書類も、今日は筆が乗らなくて時間がかかってしまっているのが現状。自覚しながらも進めようという元気は無いし、帰るという選択肢も私には与えられていない。コツコツと規則正しい音を奏でながらポツリと誰にも聞かれることの無い問いが漏れた。

「告白…したのかな…」

 想いを伝えた方がいいわけが無い。それでその女の子が花京院くんの元に行ってしまえば私に勝ち目はないのに。勝つとかそういう話ではないことは分かっているけれど、やっぱりショックだ。
 ふと落ちそうになる涙を慌てて袖口で拭う。彼に対して最初は本当に下心なんて無かった。困ってるから、私は生徒会長だから。そんなプライドというか、見て見ぬふりが出来なかったから彼に接していた。だけど、だんだん彼と関わるうちに彼の事が好きになっていて。今ではこんなにも苦しい。
 項垂れた体を机に預けて目を瞑る。どうせならこっぴどくフラれてしまえばいいのに、なんて酷いことを考えている私は生徒会長に相応しくないな。
 何度目かのため息を吐いてしばらくひんやりとした机の温度に触れていると、ドアがノックされる。焦って私は背筋を伸ばし、「どうぞ」とドアの向こうに声をかけると返ってきた声は意外な人物のものだった。聞き違いかな? と思ったけれど開かれた扉から見える姿で確信に変わる。

「花京院、くん?」

 神妙な面持ちで入ってきた彼は私の隣の椅子に腰掛ける。私も彼に向かい合うように体を横にズラし言葉を待った。どうしたんだろう。さっきまでの考えなんて全て吹き飛んで今はただ彼のことが心配だった。意を決したかのようにぎゅっと拳を握りしめた彼は私の方に視線を向ける。

「今日の昼休み、相談しましたよね。好きな人がいると」

 真剣な瞳に私は黙って頷くことしか出来ない。緊張した空気感に耐えられなくて私は唾を飲み込んだ。瞬き一つした後、彼が私に告げる。

「その相手、実は君のことなんです」

 思わぬ言葉に息を呑む。彼は少し照れくさそうに頬をかいているけれど私は理解が追いつかなかった。だって花京院くんが好きなのは彼氏がいる女子生徒と彼自身から聞いたから。私に彼氏なんて甘い存在はいない。戸惑う私をよそに彼は言葉を続ける。

「君が好きなんです。僕と付き合ってください、なんて困らせるようなことは言いません。でもこの気持ちだけでも聞いてほしかった」

 黙ったままの私に彼は困ったような笑みを浮かべる。淋しげな表情だったけれど彼はどこか満足そうだった。

「いきなりすみません。聞いてくれてありがとうございました。どうかお幸せに」

 そう言って立ち去ろうと椅子から立ち上がる彼に私はハッとして声をかけた。

「待って」

 不思議そうに振り返りこちらを見下ろす彼に先程からずっと思っていた疑問をぶつけた。

「私彼氏なんていないよ…?」
「え、でもこの間……」

 私と同じく困惑したような表情を浮かべて彼は一人の男子生徒の名前を挙げる。彼のことは知っているけれど、彼氏だなんて……。

「あれは委員会のことで役決めをお願いしただけだよ!それに、その…告白されたこともしたこともないし…」

 勘違いをされていた気まずさと、不意に告白されてしまった恥ずかしさで顔が熱い。

「ですが、手を握っていましたし…」
「あれは、クセっていうか……」

 その言葉を聞いた彼はぽかんとした表情を浮かべしばらくの間固まっていた。だけどすぐにやんわりと頬を染めて、身をかがめて私の顔を覗き込む。

「それなら、僕とお付き合いしてくれませんか?好きなんです。君のこと」

 今度は彼から両手を包み込むように握られる。縮まった距離が恥ずかしいのに逃げられない。赤い夕日が包み込む教室の中、顔を空と同じ色に染めた私は彼の問いかけに必死に首を縦に振ることしか出来なかった。