悪い子二人、幸せ者も二人

 通学用のトートバッグを肩にかけコンビニのレジ袋片手に男子寮に軽々と忍び込んだ私はとある部屋のインターホンを押した。
 男子寮とは名ばかりで、女を連れ込んでいる生徒も多く簡単に寮に入ることができる。バレたら色々面倒だから少し注意しないといけないけれど。

「いるんでしょー? 典明くーん」

 暑いんだけど。部屋の中にいるのは分かっているから早く開けてほしい。昨日は彼が楽しみにしていたゲームの発売日。大学終わりの時間じゃ終わらないゲームを今日の講義を全てサボって一日中ゲームに没頭する予定なんだというのは、一週間前に聞いている。それに乗じて私も今日は大学を蹴って愛しの彼氏くんと過ごそうとこうしてやって来てあげたのだ。
 まあ、これは建前で、寝坊して二限に遅刻するのが確定してしまったので行く気が無い。お詫びのお菓子とアイスも買ってきてあげたし、こんなに可愛い彼女が来ているのだから彼も追い返しはしないだろう。そう予想していたのに、ドアすら開けてくれないだなんて。仕方ない。
 トートバッグの中を探り、引っ越し初日にもらった合い鍵を取り出した。アポなしで突然部屋に入るのはどうかと思うけど、汗でこれ以上化粧が崩れてしまうのは勘弁だ。ドアを開けると綺麗に揃えられた彼の靴が、礼儀正しく私を迎えてくれる。その横に自分の靴を脱ぎ捨て、入りなれた部屋になんの躊躇もなく私は足を踏み入れた。

「おじゃましまーす」

 部屋に向かって声をかけてみるも返事はない。靴はあるからいるのは間違いないと思う。歩くたびガサガサと音を立て揺れるレジ袋と共に、彼の部屋に入る。大学寮のこぢんまりとした部屋にしては大きめのテレビ画面に、ドラゴンのような姿をしたモンスターが映っていた。それに攻撃をし続けているこの男が、彼の操作しているキャラクターだろう。
 見たところボス戦のようなので、しばらく話しかけずに画面を見つめる。ガチャガチャと彼がボタンを押す音だけが部屋に響き渡っていた。耳にゲーミング用のヘッドホンを付けているから、そりゃあインターホンを何回押しても部屋を開けてくれないわけだ。
 戦闘が終わったのかモンスターが倒れたところを見計らい、彼の肩に手を置いた。大袈裟にびくりと体を震わせてこちらを振り向いた彼の頬に人差し指を突き立てる。ふにふに、と頬特有の柔らかさを弄ぶように触れていると、ヘッドホンをずらした彼が怪訝そうな顔でこちらを見上げる。

「何しに来たんだ。講義は?」
「君にそのまま返すよ。おサボりくん」

 彼はため息をつくけれど大概だと思う。ゲームに集中したいから大学をサボるなんて。まあ彼は私と違って普段真面目に出席しているから、たまのやすみだと休みだと思えば良いのか。

「君、そうやってサボってばかりで単位大丈夫なのか? 心配だな」
「計画的に休んでるの」

 学科も違う彼とはキャンパス内で出会うことは少なく講義もんんとなくつまらないため休みがちな私と、真面目に大学に通っている彼。正反対なのになぜか私たちは恋人でこの関係が始まってからもう四年が経っていた。ヘッドホンのコードを抜き彼はコントローラーを握りなおした。ソファに座る彼の隣に腰掛けて、私もまた視線をテレビ画面に戻す。
 彼のゲームプレイを見るのは楽しい。というのも、下手じゃないから見ていてイライラすることが無いし、むしろ彼の腕前は上手いほうだと思う。上手な人のプレイを見ていると自分までゲームが上手くなったような気分になる。まあ、実際はそんなことないのだけれどね。こうやって二人で何も話さず過ごす時間は結構好き。
 レジ袋の中からアイスを取り出し二つに分けて彼に一つ差し出す。

「シェアハピ?」
「今はいい」
「ノリ悪いなー」

 わっかの部分に指をひっかけてアイスを開ける。口にするとほのかなコーヒーの香りとひんやりとした感触が広がる。美味しい。部屋全体に流れるクーラーの風で汗が乾いていくのを感じながら
 目を閉じる。ゲーム内の足音にBGM。彼がボタンに触れる音とクーラーの稼働音。平日のお昼前なのに学校にいないこと、いつから罪悪感が湧かなくなったんだっけ?

「一口もらうよ」
「んー」

 返事と共に薄く目を開ければ彼が私のアイスに近づき、私の手まで食べてしまいそうなほど大きく口を開けたかと思えば深く咥えこんだ。半分ほどの量が彼の口内にあっさりと収まってしまった。一口の量じゃないんだよな。

「さっき今はいらないって言わなかったっけ。」
「手に持って食べられないからそう答えたんだよ。残りの一本食べていいですから。」

 残ったアイスの味を確かめるように舌で唇を舐める仕草を横目で見つつ残ったアイスを口に含む。最後の一口、シャリシャリとした食感を楽しみながらゴミ箱に容器を捨てた。

「二人でサボるの、初めてだね」
「そうだな。僕は君と違って優等生だから」

 ゲーム画面に集中してこちらをチラリとも見ずにそう答える彼。しばらく他愛もない会話が続く。普通の大学生カップルだったら彼女が遊びに来たらゲームなんてやめるんだろうけど典明との付き合いは長い。
 高校三年生の時は東北と東京の遠距離恋愛だったけれどそれまで過ごしてきた時間と、大学に入ってから過ごした二人の時間のおかげでこんな距離感。倦怠期っていうよりも、熟年夫婦みたいな。営みを交わしたり愛を伝えあったりするけれど基本はこんな感じ。でも最近はゼミだったり課題だったりとお互い忙しくてこうやって二人だけで過ごす時間が減っていたのは確かだ。
 二本目のアイスを開けて、少し溶けて食べやすくなったそれを咥えた。



 時刻は十三時半。未だに彼はゲームに齧りついていて、私は大学のレジュメとにらめっこしたり、来週くらいに提出するレポートの構成を練ったりして過ごしていた。さっきから私のお腹のむしがうるさいというのに彼は聞こえていないのか、昼食をとろうとする気配は全く無い。先にしびれを切らしたのはもちろん私。

「ねえ、ご飯食べないの?」
「食べていいですよ。僕はいらない」
「いらないじゃない。食べるよ。ラーメンでいい?」

 ソファから立ち上がり、彼の食器棚から袋麺を二つ取り出す。鍋に溜まっていく水の音に負けないよう少し大きめな声で彼に問いかけた。

「いつからそのゲームしてるの?」
「昨日の夕方から」

 これは女の勘ってやつなんだけど、嫌な予感がした。

「……寝た?」
「二時間は寝た」
「さすがに昨日は夜ご飯くらい食べましたよね典明くん?」
「食べましたよ。少しですけど」

 水の溜まった鍋を火にかけて、先程アイスの容器を捨てたごみ箱を覗くとゼリー飲料の袋が二つほど入っていて思わずため息をついた。

「ゼリー飲料はご飯じゃないと思うんだけど?」

 気まずくなってしまったのか彼は問いに答えない。別に怒ってるわけじゃない。簡単に済ませたい日もあると思うし私だってめんどくささからご飯を抜く日だってある。
 ただ今回は個人的に度が過ぎていると思う。そこまで彼を引き込ませてしまうゲームの良さが少し申し訳ないけれど私には分からない。乾麺とスープの素を入れて三分ほど煮立たせる。出来上がるのを待ちながら小さなキッチンから彼の背を見ていると、まるで本物の夫婦になった気がして少し気恥ずかしい。そんな未来、来るのかなんてまだ分からないけれど。
 味噌味のスープの匂いに誘われたのか、自分から箸を出してくれてとても助かる。さすが出来た彼氏くんだ。

「そろそろいいんじゃあないか?」
「ん」

 一本箸で麺を取り上げて彼に差し出すと、なんの躊躇もなく口に入れた。熱くはないのかな、と私が心配しているのをよそに、硬さがちょうどよかったのか彼が頷いてくれた。火を止めて器に盛り付け、各自で机に運んで手を合わせた。

「いただきます」

 二人しかいない部屋に麺をすする音だけが響く。お互い無言のまま食事を進めた。お世話になりすぎて食べなれたラーメンの味にお互い感想を覚えるはずもなくただただ二人の間に沈黙が流れていた。でも、決して気まずいものではない。

「ごちそうさまでした」
「早くない?」

 私が半分ほど食べ終わった頃には彼の器は空っぽになっており、丁寧に汁まで全て飲まれている。

「片付けしてからゲームしてよね」
「分かってるよ」

 キッチンに消えていく彼に声をかけてから私も食事を再開する。器を洗い終わったのか戻ってきた彼がゲームのポーズ画面を解除した。彼は何時間このゲームに囚われていて、その時間の合間に、何分私に意識を向けたのだろう。ゲームの音と私が麺をすする音が混ざり合ってクーラーの風に流される。やっと食べ終わった私は空になった器とお箸を持ってキッチンへと向かった。



 長時間のプレイの末、やっとラスボスを倒し達成感を覚えていると左肩に違和感を覚える。きっと彼女がもたれかかっているんだろう。「重いですよ」、と声をかけようとして口を開いたが、規則正しい寝息が耳にかかり口を閉じた。
 十六時過ぎを示す時計に目をやった後、ゲームの音量を下げて体を冷やしすぎないようにクーラーの温度を少し上げた。法皇を伸ばしてブランケットを取り、彼女を起こさないようにかけてあげる。
 あの旅以降、スタンド同士の戦闘なんてものは起きておらず、法皇を使うというとゲームの時か、こうやって遠いものを取りに行ったりと些細なことばかりになった。この平穏さがどれだけ幸せで、どれだけ尊いものなのか、僕は身をもって知っている。    
 大学に通うこと、ゲームをすること、食事をすること、そして君と恋をすること。彼女の寝顔を見つめていると、更に多幸感が溢れ自然と笑みがこぼれた。今日、彼女はつまらなかっただろうな。それでも帰るという選択をせず、僕の隣にいてくれていることが嬉しくて、それに甘えてしまっていた。彼女が起きたら夕食くらいはどこか食べに行こうか。
 そんなことを考えていると、不意にあくびが口から溢れた。長時間のゲームに短い睡眠時間、それに加えて先程糖分を取ったせいか眠気が僕を襲う。落ちそうな意識の中、僕からも彼女の方に体重を預けた。未だ目覚めそうにない彼女の寝顔は可愛らしく、僕を眠りに誘うのは十分すぎる効力を持っている。

「好きだよ」

 もちろん返事はない。しかし彼女の答えなんて僕にはもう分かりきっている。そんな告白をして、僕は瞼を閉じる。

 触れているところから彼女の体温がじんわりと伝わってきて心地よい。落ちた意識の中僕たちを照らしているのはゲームのエンドロールのみ。知らない名前たちだけが、僕たち二人を見つめては画面の外へと流れて行った。