不器用初デート

 恋って一体なんだろう。こんぺいとうのように色とりどりで甘ったるいのか、それとも輝く黄色のレモンみたいに酸っぱいのか。溢れてくる気持ちの色を、味を、幼い頃の私はよく考えていた。
 そんな私も成長し、晴れてつい最近恋人が出来た。幼い頃の私に回答をあげよう。恋の色や味なんてものは分からない。付き合ってはみたものの、彼の気持ちは分からないし会話も少ない。もしかしたら彼女持ちというステータスが欲しいだけかもしれないし。少し遅めの朝食の食パンを食べながらテレビをぼうっと眺めてそんなことを考えていた。

「今日!6月12日は恋人の日!なので本日のコーナーは…」

 テレビの中のタレントがニコニコしながらデートスポットを紹介している。あ、ここの花畑結構近いかもしれない。綺麗なピンク色のバラや園内の大きな池の周りには紫陽花が咲いている様子が放映される。いいなあ、友達を誘って来週にでも……。
 そんな予定を頭の中で立てていたけれど、突然の電話の音で遮られてしまった。お母さんの方に視線を向けるが、彼女は丁度洗濯物を干しに行くところらしい。口内に残るパンを噛み砕いて飲み込み、受話器を手に取る。

「もしもし」
「お前か?」

声の主に驚いて一瞬声が詰まる。もう一度受話器越しに名前を呼ばれて私はハッとする。

「そうだよ。承太郎くん」

そう返せば彼は声のトーンを変えずにこう告げた。

「今日、空いてるか?」
「え?あ、空いてるけど…」
「15時に迎えに行く。準備しとけよ」

 迎え?準備?突然の出来事にまだ寝起きのままの頭が上手く回らない。

「15時?何するの?」

 やっと彼に聞いた時にはすでに遅く、電話は切られてしまっていた。ツーツーとビジー音だけが耳に入る。15時まで残り5時間。困惑する私をよそにテレビの中のタレントは今世間で話題のギャグに笑っていた。



 時刻は14時50分。お昼ご飯を食べ終わったあと、急いで髪を巻いて軽く化粧をする。仕上げのピンク色のリップからはバニラの甘い香り。
 これくらい二人の関係が甘かったらいいのに。彼が何を考えているのか私は分からない。触れ合ったこともない。告白してきたのは承太郎くんのくせに。そんな彼について無知な私には味も色も想像がつかない。鏡の前で笑顔の練習。可愛いんじゃない?ふと時計を見ると15時になるまであと10秒。カチカチと鳴る秒針をじっと見つめる。3、2、1。
 呼び鈴が家に鳴り響く。お母さんにも、お父さんにも出て欲しくなくて私は慌てて玄関へと駆ける。リビングでソファに座りテレビを見ている二人に「行ってきます」と声をかけて扉を開けた。視界には黒が広がる。黒いTシャツにジーパン。 学帽では無いけれど帽子を被った彼を見上げる。相変わらず大きい。初夏の新緑を思わせる瞳は私を静かに見下ろして口を開いた。

「行くか」



 彼と一言も話さないまま電車に揺られている。先程無言で渡された切符を無くさないように手の中に握りしめて、窓の風景を眺めていた。お金を渡そうと出しかけた財布を彼は制して無言で拒否した。いくら恋人という関係でも同い年の学生の承太郎くんにお金を払わせてしまった事が申し訳ない。
 ガタイのいい彼は電車の中でも目立つ。女性客の何人か彼を横目で何度も見ているのが分かった。ハーフだったかクォーターだったか忘れてしまったけど、他の国の血が混ざっている彼の端正な顔立ちには私も見惚れてしまう。彼の隣に立っているのが申し訳ないくらい。
 でも、それだけじゃ嫌だ。見た目から分かる情報だけで承太郎くんのことを分かった気でいたくなかった。目的地も知らされていない私はただ彼のことについて考えていた。何を考えて何を思って私と付き合ったの?なんで私と突然出かけようと思ったの?さっきまでの私と同じように窓の外に向けられた視線。時折眩しそうに目を細める。
 駅が進むごとに乗客が増えていく。この電車、いつもこんなに混んでたっけ。そしてカップルが多い気がする。他の二人組には甘い香りが漂いそうな程の楽しそうな会話が交わされているのに、私達は相変わらず一言も話さない。君のこと、本当に分からない。分からないから話しかけられないし、君も話しかけないから会話も生まれない。甘い空気なんて漂いもしない。少し期待して巻いた髪も、施した化粧にも君は見向きもしてないのかな。

「降りるぞ」

 一人で勝手に感傷に浸っていると、彼が突然声をかける。電車の扉が開かれると溢れる様に人が降りていく。私達も含めて。はぐれないようにしないと、と思うけど他の人たちより大きい彼のことを見失うことは無いかな。切符を改札に通して彼と並んで歩く。物理的距離が近いだけで、心理的距離は遠い。他の二人組を見てなぜだか羨ましさを感じる。しばらく歩くと、見たことがある風景が広がる。

「着いたぜ」
「ここ、もしかして…」

 花畑だ。朝テレビで見た。確かに最寄り駅の名前がここだった気がする。寝起きだったし、突然の電話に驚いて頭からすっかり抜けていた。電車の切符の時のように彼はまた二人分の料金を財布から出す。さすがに今度こそ!と彼の手に無理やり紙幣を握らせようとしたけれどまたこれを拒否した。
 嬉しさよりも、申し訳無さが勝ってしまうから払わせてほしい。そう伝えても彼は首を横に振るだけだった。進んでいく広い背に着いていく。

「わあ……!」

 風に乗って香る甘い匂いと、目に入るのは優しく淡いパステルピンクのバラは綺麗に咲き誇っていた。カメラとか持ってくればよかったかもしれない。花畑をゆっくりと進みながら、私は彼に思いきって話しかける。

「ねえ、なんで私と出かけようと思ったの?」

 彼は花から私へと視線を映して口を開く。

「朝、おふくろが見ていたテレビでやっていた。てめぇは花が好きかと思ってな」

 私と同じ番組を見ていた。それだけでなぜか嬉しいと思う。じんわりとした温もりが胸から全身に広がる。

「私のこと考えてくれたの?」
「……ああ」

ぶっきらぼうに返事をする彼だけど、口調はどこか優しい。学校でも電車の中で色んな人の視線を浴びて、付き合う女になんて困らなそうな彼が、私のことを考えてくれたのが嬉しかった。

「ありがとう。凄く嬉しい」

 自然と笑みがこぼれる。彼の前で、初めて笑ったかもしれない。彼との二人きりの時間はいつもどこか緊張していた。こんなおだやかな時間は初めてだった。それに、二人で出掛けるのも今思えば初めてのことだ。そよそよと流れるそよ風が頬を撫でる。
 薔薇で彩られたアーチを潜り、第二の見どころの紫陽花、青や紫。均一の色じゃなくて、濃淡がついた紫陽花が池の周りに凛と咲いており、薔薇の高貴さとは違ったお淑やかな印象を受ける。

「お前みたいだな」

 ぼそりと呟かれた言葉に私は驚いて彼の方を見る。花を見るために背を曲げて、私のすぐ横に彼の顔があった。ほぼ初めて間近で見る顔は心臓に悪い。焦りと疑問を浮かべた私に見向きもせず、彼は人差し指で花弁を撫でた。その手つきはあまりにも愛おしそうで、簡単に人を殴れる彼の手からは想像もつかない程優しかった。そのまま花を見つめたまま答える。

「どういう意味?」
「そのまんまの意味だぜ」

 彼はそれ以上何も言わず、ゴツゴツとした男らしい手を伸ばし、今度は私の巻いた毛先ををそっと指に搦めて撫でる。先程のように優しく。力なんて一切こめられていなかった。なんだか今日の彼は、よく話してくれる。本当は思ってるほど怖くも、私のことを想っていないわけでも無さそう。彼のことをもう少し知りたくなった。

「ねぇ、私になんで告白なんてしたの?他にも女の子はいっぱいいたのに」

 ずっと聞きたいと思っていた。だけど怖くて聞けなかった。もしも悪い意味で付き合ったとしたなら……。そう思うと怖かった。私だって、君のこと別に嫌いじゃなかった。むしろ……。

「好きだからだ。それ以外に何もねぇよ」
「え?」

 いつの日かと同じ間抜けな声が出る。彼はいつものように背筋を伸ばして彼の顔が遠くなる。帽子から覗く耳が少し赤く染まっているのを、私は見逃さなかった。

「ね、ねえ。もう一回。もう一回言って欲しい」
「二度も言わねぇよ」

 初めての経験にもう一度とねだったけれど、そっぽを向かれてしまった。なんだ、年相応の反応もするんだ。どこか大人びて私より遠いところにいたと思っていた彼は案外近くに寄り添ってくれていたようだ。この表情を、他の生徒達は知っているんだろうか。私にしか見せない表情だったら、嬉しい。

「奥もあるみたいだ。行こう」

 足早に行こうとする彼の手に勇気を出して手を重ねる。私より温かく骨ばった手は嫌でも彼を男と認めざる負えない。しかし一向に彼は私の手を握り返す気配はない。嫌だったかな、と手を離すけどすぐに手首を掴まれる。そのまま掌を合わせ指を絡めて握られる。それほど強くはない。けれど簡単には離れない強さ。

 今分かった。恋ってこういうものなんだ。味も色もぐちゃぐちゃで、でもまずくも汚くも無い。不思議で混ざりあってどこか綺麗なそんな感情。胸から溢れる熱い気持ちが、彼にどうか伝わっていませんように。
 合わない歩幅を誤魔化すように、彼は強く私の手を引いた。