2

 計画立てた文化祭は滞りなく終わり、後片付けを残すのみとなった。ダンボールで作られた装飾や画用紙目一杯に描かれた手書きのポスター。それらをゴミ袋に詰めながら校内を歩く。
 彼女の姿は見えない。一人ずつ違うところを担当するので彼女が近くにいないのは当たり前なのだが、なんだかどうも落ち着かない。
 彼女はもう告白をしたんだろうか。もしかしたらこの時間に紛れて告白をしている最中かもしれない。
 もし断られてしまったら、彼女が泣いてしまったらどうしよう。そうなってしまった時、僕は彼女が告白した相手を許せないだろう。見る目がない男だと罵倒してしまうかもしれない。
 けれど、彼女の恋だ。あまり踏み込んでは逆に嫌われてしまう。傍観者及びただ委員が一緒になっただけの僕に彼女の恋路を邪魔する資格も、そこに参加する資格もないのだ。

「花京院、ちょっといいかな」

 声のした方を振り返ると生徒会の役員がいた。確か先輩だったはずだ。三つくらいのファイルを手に持っており、なんとなく声をかけられた理由は察しがついた。

「ゴミは俺が捨てておくから、これを生徒会室に置いてきてくれないか?鍵は開いてるから」
「分かりました」

 ファイルを受け取って、持っていたゴミ袋を手渡す。喧騒を横切りながら、僕は生徒会室へと向かった。
 生徒会とは結局ほとんど関わりがなかった。クラスで決めたことを報告する会議でしか話したことがない。僕らはとことん二人で出来る地味ではあるが少し大変な作業を受け持ち、二人で作業することが多かったから。そこまで思い返した時にふ、と足を止めた。
 そうか。もう二人きりで過ごす時間はないのか。
 委員を通じて知り合えたのだから、これから話すことはあるかもしれない。他愛ない話を、何気ない雑談を交わすことは出来るだろう。しかし、二人きりになることはもう出来ないだろう。
 そう思うと、この時間が終わってしまうのが名残惜しくなった。もっと彼女と二人きりの時間を過ごしていたかった。もっと彼女と話したいことがあった。積もる悔いに足が重くなるが、階段で立ったままなのも邪魔になる。とりあえず、生徒会室に行こう。

 階段を昇り終え、ファイルを机の上に置く。なんだか気が抜けて、常設されているパイプ椅子へと腰掛けた。サボっているのがバレれば怒られるだろうが、少しくらい良いだろう。
 すぐ戻る。だが戻りたくはない。戻れば、教室へと帰れば、彼女から告白の結果が告げられるだろうから。まだ聞きたくなかった。まだ僕は準備が出来ていない。足の力が抜ける。今日は一日歩き回っていたから、疲れが出たんだろう。

 天井を仰ぎ、黒い蛆虫のような点を意味もなく数える。ああ、そろそろ戻らないと。今何分経ったんだろう。そう頭では考えているのだが、時計へと視線を動かすことも今の僕には億劫で、ただしばらくそうしていた。
 ガチャリ、と扉が開く音がして人が入ってくる気配がする。ああ、怒られる。だが今はどうでもいい。目を瞑って来るであろう怒号に身構えていると、耳に届いたのは今最も聞きたくて、それでいて最も聞きたくない声だった。

「花京院くん……?」

 その声に思わず椅子ごと倒れそうになる。慌ててバランスを取り直し視線を声の主へと向ける。きょとんとした表情の彼女がそこに立っていた。

「休憩してたの?」
「ああ、そうだよ」

 今僕は冷静な表情をしているだろうか。普通を保てているだろうか。彼女は僕を咎めることも、またこの部屋から出て行くこともせず僕の隣に腰掛けた。手荷物は持っておらず、どうやら誰かに用事を押しつけられたわけじゃあないみたいだ。なら、どうして彼女はここに来たんだろう。

「あのね、花京院くん」

 改まった声を出す彼女。途端に先程までの空気が鋭くなる。その雰囲気に、これから言われるであろう話題は容易に察しがついた。彼女の方に目を向けて、次の言葉を待つ。緊張しているのか、なかなか彼女は口を開かない。

「別に、無理に言わなくてもいいんだよ」

 応援すると言っただけで、結果を絶対報告してほしいと言った訳では無い。彼女に無理をしてほしくない。努めて優しい口調で伝えたが、彼女は小さく首を横に振った。どうしても聞いてほしいようだ。
 時計の秒針の音が響いている。先程まで扉の向こうから生徒達の喧騒が聞こえていたのだが、片付けが終わったのだろうか。もう聞こえてはこなかった。この部屋の秒針は、こんなに音が大きかっただろうか。緊張から聴覚が過敏になっているのかもしれない。
 ああ、どうしてそう言い淀んでいるんだ。早く言ってくれ。でないと僕は君の心を揺るがすような言葉を発してしまう。

「花京院くん、あのね」

 ようやく開いた彼女の口。しわ一つない柔らかそうな唇が動く。鼓動が早い。胸が苦しくなる。だが聞かなければ。応援すると言ったんだ。せめておめでとうの一言を言わなければ。彼女の幸福を祝福する言葉を言わなけばならない。
 彼女の続きの言葉を想像して、返す答えを頭の中から無理矢理引っ張り出す。僕の初恋に別れを告げながら。

「私の好きな人は花京院くんなの」

 言葉の意味が分からなかった。好きな人は、花京院くん。つまり僕だ。彼女が好きな人は僕。

「でも花京院くんは好きな人がいるもんね。応援してくれるって言ってくれたのに、ごめんなさい」

 彼女は制服のスカートを握り、僕の言葉を待っている。耐えている。僕の告げる答えに。
 ああ、そうか。僕ら思い違いをしていたのか。僕は君が僕以外の人を好きだと思っていたけれど、そうじゃあなかった。同じように、君も、僕の好きな人は君以外の誰かだと思っている。

「顔を上げて」

 俯いていた彼女はゆっくりと顔を上げ、僕と目を合わせる。潤んだ瞳からは涙が溢れそうだ。瞬き一つしてしまえば、今にでも。スカートの上で未だ握られたままの手に、僕の手を重ねる。

「僕も好きだよ」

 重ねた手に少し力が入った。彼女は驚いたように目を見開くと、目の端から雫がこぼれ落ちる。強く擦らないように指で拭ってあげれば、彼女はくすぐったそうに笑った。可愛いな。

「僕達これから恋人ってことでいいのかな」

 コクコクと涙を堪えながら頷く彼女。泣くほど嬉しいなんて、本当に僕のことが好きなんだな。彼女の動き一つでさえ僕への好意だと思うと、心の奥から湧き上がるものが一つ。
 柔らかい頬に手を添えて、彼女に顔を近付ける。僕のこれからの行動を察したのか逃げるように彼女は背を逸らすけれど、パイプ椅子の背もたれがそれを邪魔した。
 額を寄せて、彼女の瞼が閉じるのを見届けて、僕は彼女と唇を重ねた。

「ソースの味がする。隣のクラス?」

 確か僕たちの隣のクラスは焼きそばだったはずだ。片付け中に残ったものを一口貰ったのだろうか。頬張る彼女を想像するだけで愛らしい。
 僕にそう指摘されたのが恥ずかしかったのか、それとも僕とのキスが恥ずかしかったのか、彼女は顔を真っ赤にさせて両手でその小さな口を覆った。

「花京院くんって、大胆なんだね」
「嫌だった?」
「嫌じゃないよ。びっくりしただけ」

 耳まで赤くなった彼女は、僕と目を合わせるのも恥ずかしいのか視線を下の方へと泳がせた。確かに、僕もこんな理性的じゃない行動をするはずではなかった。もっと段階を踏んでから彼女とキスをするべきだ。
 そう頭では分かっていても衝動に身を任せてしまったし、彼女にキスをしたあとに考えても仕方ない。

「そろそろ教室戻ろう?」

 羞恥の沈黙に耐えられなくなったのか、彼女がそう提案してくれる。確かにそろそろ行かないとサボっているのがバレてしまうだろう。
 まだ顔の赤みが引かない彼女の手を取り、生徒会室を後にした。これからも二人で過ごせるのが楽しみでたまらない。

きっと何度も、彼女の愛らしい赤い顔を見れるだろうから。