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 コントローラーを握り、ゲーム画面へと視線を向ける。
 ラスボスのモンスターは、今までと比べ物にならないくらい強かった。攻撃無効化だってしてくるし、私達のターンを飛ばしたりとやりたい放題だ。本当に勝てるんだろうか、と疑ってしまうほどに強い。何度挑んでも倒されるし、何度もコンティニューする羽目になる。花京院くんは悔しそうな表情で、私も負けてばっかりで悔しかった。
 でも、内心嬉しくもあった。ゲームをクリアしてしまえば、私の望む未来は待っていないから。それならいっその事、ずっと終わらないでほしい。ラスボスにずっと負けていたって構わない。
 だけどそれではいけない。彼のことを想うからこそゲームをクリアしなければならない。だんだんとプレイしていくうちに、花京院くんも私もボスの攻撃パターンを覚えてきた。ギリギリまで追い詰められるようになってきた。
 この楽しい時間の、終わりが来てしまう。悲しくてもやらなくちゃあいけない。それが、彼の望むことだろう。
 敵のHPゲージは真っ赤になって、残り僅かなことを示している。最後の攻撃は彼に託すことにした。きっとそれが最善だと思ったから。

「とどめだ」

 攻撃ボタンのAボタン。押すと同時に攻撃のモーションが流れる。これで終わり。このゲームも終わり。そして、彼との時間も、彼の人生も終わりを告げる。ラスボスは倒れ、主人公たちはハッピーエンドを迎えた。ストーリーが終わると、エンドロールが流れ始める。
 しばらく余韻に浸っていたけれど、エンドロールの途中で段々とゲームクリアの嬉しさが込み上げてきた。

「やったね」
「ええ」

 相槌を打ちながら彼は右手を軽く上げた。私も彼に倣い同じように右手を上げる。ゲームクリア後のハイタッチ。二人のお決まりの行動。少し振りかぶって私は彼の手目がけて思いきり手を伸ばす。
 しかし、予想していた軽快な音は鳴らず手は空をすり抜ける。どうして。さっきまで簡単に触れられていたじゃあないか。反動から思わず前のめりになる体。彼は支えようとしてくれたが、それすら空を切る。

「もう少し余韻を感じたかったんですけど、時間みたいだ」

 寂しそうな瞳。私に心配をかけまいと思っているのか、努めて彼は笑顔だった。彼の顔を見上げながら、体制を整えることすら忘れて私は彼の名を呼ぶ。

「花京院くん」
「はい」
「花京院くん」
「どうしたんですか」

 もう呼ぶことすらない名前。愛しくて仕方の無い名前。もっと飽きるまで呼びたかった。もっとたくさん呼べばよかった。花京院くん、花京院くん。
 彼の姿はもう半透明ではなく、黄金に光り輝き出した。幽霊の成仏するところを見るのはこれが初めてだけど、きっともう本当に時間は残されていないんだと悟る。

「花京院くん」

 声は掠れている。瞳も濡れている。花京院くんの姿は、金の粒子となって段々と姿が解けていく。法皇の姿も彼と同様だった。

「すまない。僕はもうその涙も拭えそうにない」

 泣かないでとは言われなかった。花京院くんの指先は、もう金の粒子となっている。これが最後なら、本当に最後なら。そう感じた時、私は本能から彼に秘めていた想いを告げてしまった。

「好き。花京院くん」

 好き、好きだ。貴方にもっと伝えておけばよかった。早くから伝えておけばよかった。込み上げる後悔を外に吐き出そうと、嗚咽とともに私は花京院くんへと告げる。
 たった二文字の言葉に私の青春を乗せて、数えられないほど口にする。まともに喋れていないのに、彼は咎めることなく聞き入れてくれた。

「ありがとう」

 花京院くんはそれ以上、なにも言わなかった。ああ、嫌だ。逝かないで。どうかここに居て。そんな惨めな言葉は出なくて、壊れた機械人形のように私はまた好きだと呟いた。滲む視界の中、彼は笑っていた。温かで優しくて、私の大好きな表情。

「さようなら。またどこかで」

 それだけ言い残して、彼は姿を消した。窓も扉も閉めきっていたのに、彼は法皇を連れて、金の粒子となって跡形もなく消えてしまった。
 テレビはゲームのスタート画面を映している。コントローラーは二つ。部屋には一人。さっきまで誰かがいた痕跡はあるのに、もうこの部屋には私しかいない。花京院くんは、いない。
 窓の外から見える青空は白んでいる。もうじき明るい朝をこの世界は迎えるんだろう。今日の学校のことを考えると憂鬱だった。
 その憂鬱さから目を逸らすように瞼を下ろす。ボウリングの球のように重くなった頭を地面へと預け横になる。花京院くんの体温すら残っていないこの部屋で、私は意識を底へと沈めた。
 このまま目覚めなければ彼の元へ行けるんだろうか。なんてありもしないことを考えながら。



 女性の声がする。怒っているような、急かすような声。きっと母親の声だろう。横たわっている少女はゆっくりと起き上がる。床で寝ていたからだろうか、酷い寝癖だ。昨日散々泣いていたからか目元は赤く腫れて見ているのも痛々しい。少女は着慣れた制服を手に、部屋を出て行った。

「気付かれなかったな」

 コントローラーの上へ肘をつき、僕は大きく感じる部屋を見上げた。時計は朝の八時半を示している。走らないと彼女は遅刻してしまうだろう。朝ごはんを食べる時間もないかもしれない。ドタバタと忙しない音が下から聞こえ、やがてドアが乱暴に開かれる音が響いた。

「いってらっしゃい」

 誰にも届くことのない挨拶を口にする。どうやら僕は彼女のゲーム機に取り憑くことが出来たようだ。よく言えば彼女を見守る付喪神。悪く言えば、叶わない恋の未練に縛られた地縛霊。この世の未練を失くすために彼女のもとへとやって来たというのに、結局は未練なんてなくならなくて増していくばかりだった。

 僕が彼女に教えた未練は半分本当で、半分嘘だ。ゲームをするなら一人でも出来る。二人用の協力プレイも可能だが、彼女の生活を考えると彼女を起こさずに一人でゲームをするのが最善だっただろう。
 そうしなかったのは、彼女と二人きりになりたかったからだ。最期に彼女と話がしたかった。彼女と曖昧な関係のまま別れてしまうのは、心に靄がかかったようですっきりしなかった。女性の部屋に勝手に忍び込むのは少し悩んだが、緊急時だと判断して彼女の部屋へと侵入した。彼女も特に怒りはしなかったし、結果オーライと言えよう。
 それに、彼女は僕を嫌ってはいなかった。寧ろ、反対で。数時間前に彼女が泣きながら必死に想いを告げてくれていたのを思い出す。生前であればきっと、僕も彼女に負けないくらいの想いを伝えられただろう。
 けれど今は無理だ。それを言ってしまうと、彼女は僕に囚われて新たなスタートをきれなくなってしまう。僕のことなんて忘れてほしいと思っているものの、結局この場所に留まっている時点で僕の考えは丸見えだ。

 だが、彼女の傍にもう少しいれるのならありがたくこの時間を楽しむとしよう。

 エンディングの延長戦、ボーナスステージ。
 本当のエンディングは、彼女の涙を拭う誰かが現れた時だ。それを見守るのが僕の役目。悔しいけれど、仕方がない。
 きっと、これが惚れた弱みというものだろうから。