5

 レベル上げとマップ埋め。やがて対峙する敵。同じ流れを繰り返しているのに、ストーリーのおかげが飽きが来ない。何度目かのレベル上げ作業の時、とある場所で突然画面が切り替わった。

「ボーナスステージ?」
「ミニゲームみたいなものかな。こういうギミックがあるのも楽しいですね」

 二面目も終え、三面目のマップを埋めているときだった。突然宝箱が現れ、特別ボーナスの旨が記載されている。どうやら連打数に応じて出現するアイテムが違ってくるらしい。

「僕に任せてくれ」

 花京院くんの連打は凄まじいものだったと記憶している。よく遊んでいた『F★MEGA』でのスタートダッシュだって勝てたことがない。まあスタートダッシュを禁じてハンデをもらっても、花京院くんに勝てたことなんて一度も無いけれど。
 胡座をかいている花京院くんは背を丸めて、臨戦態勢に入った。コントローラーを持つ手元を見ていると、花京院くんの手ではない白い手が浮かび上がる。明らかに人の手ではないそれに、私は思わず目を見開いた。

「なに、それ」

 私の問いに彼が答えは帰ってこなかった。彼の視線は鋭く、集中していることが伺える。ミニゲームが始まったと同時に、彼は自身の指ともう一つの白い指でボタンを連打し始めた。二本の指で連打しているが、白い指のスピードの方が花京院くんの指より僅かに早かった。
 ゲームの結果はもちろん大成功で、一番ランクの高いアイテムを手に入れることが出来た。

「ねえ、なに今の」

 ふう、と彼が一息ついているところに私はもう一度同じ質問をした。すると、今度は花京院くんが先程の私と同じように目を大きく見開いた。

「君、視えないんじゃあなかったのか?」

 視えなかった?彼の言葉をいまいち理解出来ずにいると、彼の背後からずるりとナニカが現れた。それは綺麗な緑色をしていて、所々白い筋が張っている。硬質的な黄色い瞳は私の姿を映していた。少し発光しているソレはゆっくりと私に近づき、人差し指で頬をつついてきた。そこで私はハッとした。
 この感覚は、以前にも何度か経験している。もしかして、これが……。

「本当に視えるんだね」

 彼は嬉しそうな、それでいて悲しそうな笑みを浮かべた。緑色のソレは花京院くんの背後へと戻っていき、ゆらゆらとただ揺れている。

「それが、花京院くんの」
「幽波紋っていうんだ。今は名前もあるよ」

 花京院くんが彼の名前を教えてくれることは無かった。付けないのかと一度聞いたことがあったけれど、自分にそんな資格はないのなだと答えてくれた。そうか、そんな彼に名前が付いたのか。

「『法皇の緑』っていうんだ」
「法皇……」

 噛み締めるようにして彼の名前を呟く。付けた、と言わないところからきっと花京院くん以外の誰かが付けたんだろう。花京院くんが望んでいた、この法皇を視える人に彼は出会えたんだ。そう思うとこっちまで嬉しくなってきて、胸がじんわりと温かくなるのを感じる。

「ちゃんと視える人と、出会えたんだね」

 法皇に手を伸ばせば、甘えるように頬を擦り寄せて来た。どうして私は今視えてしまうんだろうか。花京院くんが亡くなって、彼も一緒に幽霊となったからだろうか。

「幽波紋というのは精神エネルギーの結晶のようなものなんだ。だから、君には視えなかったのかもしれないな」

 幽霊が視えても幽波紋能力を持っていない私。幽霊が視えなくても幽波紋能力を持っている彼。人と違うという面では変わりないのに、視界が重なり合わなかった私たち。彼が亡くなってしまったからこそ重なり合った視界に喜べばいいのか悲しめばいいのか、夜更かしで鈍くなった頭では分からなかった。
 半透明な花京院くんは私が法皇と触れ合っている様子を眺めている。手を離せば、また法皇は花京院くんの背へと戻って行った。花京院くんの背の中へと吸い込まれることなく、法皇は背後を守るようにして揺れている。
 コントローラーを握り直した花京院くんに倣い、私も床に置いていたコントローラーを手に取った。

「彼と仲間と一緒に、色々なところに旅をしていたんです。五十日ほどの長くて短い旅を」

 ピコピコ、ガチャガチャ。ボタンを押す音とテレビから同時に流れるSE音。戦いを煽るBGMに花京院くんが私にかけてくれる回復魔法。
 その全てをバックグラウンドにして、彼は旅の思い出を話してくれた。きっと常人なら彼の話に耳を疑うだろう。聞き入れない人だっているかもしれない。けれど私は、普通とは視界が違う私は、その全てが嘘とは思えなかった。
 花京院くんが嘘をつくような人じゃあないことも理解していたし。

「日本の東京から始まって、香港、シンガポール、それにインド、パキスタン、様々な国をめぐって目的地のエジプトへと向かいました」
「飛行機で行けばいいのに」
「僕らも最初はそう計画していたんですけどね」

 飛行機で襲ってきたクワガタムシ。銃を扱うカウボーイに、鏡の反射を使って攻撃してくるならず者。夢の中に入り込める赤ん坊、そして目の怪我の原因となった水を使う幽波紋使い。
 未だ痛々しさが残る傷跡をなぞりながら、エジプトはゆっくり巡れなかったと残念そうな声で彼は呟いた。話を軽く聞いているだけでも、壮絶な戦いを潜り抜けてきたことが伺える。
 マップやゲームの展開からして、きっと次がラストステージなんだろう。なんとなくの気持ちでゲームを進めていたけれど、終わりの時が近付いてしまうと途端に虚しさが湧き上がる。このゲームを終えてしまったら、彼とはもう会えない。楽しい思い出話を聞いて、笑いあって、今度はこのゲームしたいねなんて未来の話も出来ない。
 あと一時間もすれば、彼はこの世から消え去ってしまうだろう。

「とても楽しい旅だった」

 旅のことを思い出しているのか、どこか愛おしそうなものを見るように彼は目を細めた。その表情は穏やかで、あの日のゲームセンターで見せてくれたような笑みだった。
 もうこの笑顔も見ることが出来ない。 もうこの笑顔も見ることが出来ない。目に焼き付けようと彼の表情に見入っていると、ゲームの操作をミスしてしまい私の操作していたキャラクターは死んでしまった。花京院くんは呆れたような顔をして、私に復活魔法をかけてくれる準備をしてくれる。

「ごめんね、下手で」
「大丈夫ですよ。むしろ変わっていなくて安心しました」

 ワンパターンのギミックに、私は何度も倒されている。最初の面よりレベルは上がっているから今は倒されることも少なくなったけれど、それでも倒されてしまうことには変わりない。
 どうしてゲームの中で死んでしまうのは私なのに、現実では私が生きているんだろう。どうして、どうして。

「なんで死んじゃったの。花京院くん」

 敵を倒したと同時に彼に問いかける。声は震えていた。なるべく見ないようにしていた、彼の体躯に空いた大きい穴に自然と目が向く。花京院くんは困ったような顔をして、少し考える素振りを見せた。法皇は無機質な目で私達を見守っている。しばらくして彼は口を開いた。

「守るべきものを守るために、そして抗えなかった恐怖を乗り超えるために、僕は命を懸けて戦ったんだ」

 彼が守ろうとしたものってなんなんだろう。本当に花京院くんが命を落としてまで守るべきものだったんだろうか。だって、死んだら全てが終わってしまう。何も出来ない。誰とももう話せないのに、何も感じることは出来ないのに。

「死んでしまったことに悔いは無いよ」

 その声に震えは一つもなかった。覚悟を決めた、凛とした声。それが余計に私を悲しくさせた。

「まあ、やり残してしまったことがあるから僕は君の前に現れたんですけどね」

 冗談を言うような口調で彼は言うけれど、私にとっては全然笑い事じゃあなかった。視界は潤んで、半透明な彼は簡単に見えなくなってしまう。親指で目元を拭う前に、一つ瞬きをしただけで感情の詰まった水滴が流れてしまう。頬を伝い、顎先から床へと呆気なく落ちていく。

「泣かないでください」
「無理だよっ……」

 パジャマの袖で目元を拭うが、溢れてくるものを抑えることが出来ない。花京院くんは私の腕を制すように掴むと、私の目元を人差し指で拭った。触れられている感覚はあるけれど、彼の体温が温かいのか冷たいのか分からない。きっと、体温なんてもう無いんだろう。
 幽霊に触れられるなんて初めてで、初めての相手が花京院くんというのも悲しかった。

「あまり乱暴に擦ると腫れてしまいますよ」
「腫れたっていいよ」
「駄目ですよ。可愛い顔が台無しになってしまう」

 きっと私の顔は歪んで醜くなっているというのに、彼はなんでそんなことを言ってくれるんだろう。どうしてそんな姿になっても尚、私に優しくしてくれるんだろう。なんで私のところに来てくれたんだろう。グズグズと鼻を鳴らしながら泣く私を、花京院くんは咎めるでもなく、慰めるでもなく静かに見つめていた。
 泣いているとだんだん落ち着いてきて、深呼吸をしながら涙を止める。そこでやっと花京院くんも安心したような表情を浮かべた。離れていく指が名残惜しい。けれど、私には引き止める権利すらない。

「さあ、ラストゲームですよ。お供してくれますか?」
「もちろん」

 ティッシュで鼻をかみながら私は答える。丸めてゴミ箱向けて投げると、それは吸い込まれるように入っていった。