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 彼の葬儀に出席して、何日が経っただろう。自室のベッドに腰掛けて、私はぼうっとカレンダーを見つめていた。葬儀はこっちで行われてお墓もこの地にある。けれど私はお墓には幽霊が眠っていないことを知っている。今まで何度か先祖のお墓参りに行ったことがあるけれど、そこには何もいない。どこにもいないのだ。
 大抵の幽霊は所謂あの世に逝く。この世に留まる幽霊は、強い未練を残している幽霊達か、理由は無いけれどなんとなくあの世に逝きたくない浮遊霊達だけだ。だから、花京院くんのお墓には足を運べなかった。葬儀にも彼は視えなくて、エジプトの地で成仏してしまったのかその地に取り憑いているのかも分からない。
 棺に眠っていた花京院くんはまるで寝顔のように安らかな表情で、目元には綺麗な縦線の傷がついていた。この状況で傷跡でさえかっこよく思えてしまった私はイカれているんだと思う。
 もう会えない彼のことを想っていても仕方がない。そうは思うのだけれど、彼に気持ちを伝えなかったことを悔やんでいる。告げても告げなくても、結局行き着くところは同じだったのに。彼に好きと言う勇気を持てていたら……。
 無意識に溢れた涙が、頬を伝う。苦しくて苦しくて呼吸が出来なくなってしまいそうだ。このまま深く考えてしまうと眠れなくなってしまうと察した私は、電気を消してベッドへと潜り込んだ。ふかふかのシーツと暖かい毛布。深く深呼吸をしていると自然と私は眠りについていた。

 体感で眠ったのは三十分といったところだろうか。突然何かに締め付けられるような感覚が私を襲った。布団ごと、縄のような何かで全身を縛られている。金縛りは何度か経験したことがあったけれど、こんな感覚は初めてだ。大体は馬乗りされているような感覚なのに。
 本当は目なんて開けたくない。開けたって怖いモノがいるだけ。だけど私は抵抗せずにはいられなかった。瞼に思いきり力を入れてこじ開けると、視界目いっぱいに映ったのは意外な人物だった。

「うらめしや、と言ったところかな」
「花京院、くん……」

 自分の口から漏れ出た声は、寝起き特有の掠れた声だった。さっきの恐怖心はどこへやら。いきなり現れた初恋に私は頭を必死に動かそうとしていた。幸福で残酷な夢でも見ているんだろうか。

「荒っぽく起こしてすまない。揺すっても起きなかったから」

 目の前の彼は半透明でいたずらっ子のように笑みを浮かべている。目にはあの傷跡があった。

「祟りに来たの?」
「まさか」

 ああ、馬鹿。もっと言うことあるでしょ。自分で放っておいた言葉に数刻も置かず後悔してしまう。しかし彼は表情を崩さないまま微笑むだけ。そして彼はとある頼みを私に告げた。

「そろそろ成仏しようかと思って。その手伝いを君に頼みに来たんです」
「私に……?」

 ええ、と頷いて彼はゲームソフトを閉まっている棚へと目を向けた。いつの間にか縛られている感覚はなくなっていて、私も彼と同じ方向に目を向けた。

「君が遊ばせてくれなかったゲームがあるだろ? どうしてもエンディングが気になってしまってね。あれをクリアしないと僕は成仏出来ない」

 あまりにも呆れた、それでいて彼らしい頼みに思わず私は吹き出してしまった。布団から起き上がり、私はゲームの棚の前に立つ。
 花京院くんほど多くは無いけれど、それでも私なりに集めたゲーム達。最後に購入したソフト。少し埃の被ってしまったソフト。それが、花京院くんの指しているものだった。

「これであって、る……」

 思わずソフトを落としそうになってしまった。半透明の彼の目に傷があるのは知っていた。けれど、今目の前にいる彼の胴には、

「女性に見せるものじゃあありませんよね」

 大きな穴が空いていた。そこだけくっきりと向こう側の景色が見える。
 彼は困ったまま笑うだけで、言葉は無い。私も彼の姿に言葉が出なかった。あまりにもショックだった。半年前まで一緒に話して、遊んで、恋をした彼の身体が大きく欠落している。じわじわとが潤んでいくのが分かった。

「すまないが時間が無い」

 彼の声にハッとして、私は急かされるようにしてゲーム機にソフトをセットした。部屋の電気をつけて、閉まっていた二つ目のコントローラーも取り出す。ゲームタイトルが大きく表示された画面が映り、私は『NEW GAME』を選択する。

「ネタバレは厳禁で頼むよ」
「大丈夫だよ。私も最後までプレイしてないもの」

 いつもより小さめのBGMが流れる部屋では私たちの会話は大きく響いているように感じる。きっと今、誰かが部屋に入ってくると私は一人で二つ分のコントローラーを用意して、何も無い空間に話しかけている変人になってしまうだろう。

「どうしてだい?」
「花京院くんを思い出しちゃうから、だんだんゲームしなくなっちゃって」

 オート再生のプロローグを見ながら私は言葉を紡ぐ。購入したあとも私はこのゲームをプレイしなかった。ただ一度だけ、彼が転校してしまったあとこのゲームを開いたことがある。だけど彼と遊ぶことに慣れてしまっていて、最初のステージが終わらないうちに飽きてしまった。それ以降、私はゲームをしていない。
 久々のゲームで、きっと腕も鈍ってしまっている。彼の上手さを思い出して、まだ初めての敵も倒していないのに申し訳ない思いが込み上げた。

「思い出してくれるなんて光栄だな。君は僕を忘れているんじゃあないかと思っていたから」
「そんな薄情じゃあないよ」

 流れ終わったプロローグのあと、チュートリアルをプレイする。カチカチとボタンを操作する音だけが響く。花京院くんに話したいことも、聞きたいこともたくさんあるはずなのに言葉が出ない。久しぶりの再開で緊張しているのかもしれない。
 花京院くんの様子を見ていると、時折頷きながら操作方法を理解しようとしている。なんとなく触っていると私も操作感覚を思い出してきた。

「懐かしいね。こうやって遊ぶの」
「そうですね」

 最初は敵を倒すことに夢中だったけれど、ボス戦までのレベル上げは単調で眠くなってきてしまう。花京院くんは黙々と進めているけれど、私は眠さから操作がワンテンポ遅れてしまう。
 眠気覚ましの意味も込めて、私は花京院くんとお喋りすることにした。きっともう、この日を逃してしまえば話せないだろうから。数分だけれど、傍にいて段々と緊張が解れてきた気もするし。

「花京院くん」

 名前を呼ぶと、花京院くんは手を止めて私の方を見下ろす。目元に傷はあるけれど彼の表情は生前と変わらない。無視して画面を見続けていたっていいのに、ちゃんと私の顔を見てくれるのは彼が優しくて誠実である証拠だ。

「花京院くんって、なんで転校しちゃったの」

 花京院くんは少し表情を曇らせて、画面へと向き直ってしまった。ひたすら歩いて、マップを埋めていく花京院くん。

「もしかして、私が嫌な態度を取ったから?」

 思い当たる節しかない。恋心の裏返しとはいえ、最後には花京院くんを拒絶してしまったから。だけど、花京院くんが私のことを完全に嫌ってしまったのだとしたら、死んでなお私のところになんて来ないはず。

「そんなことはないですよ。だけど説明が難しい」
「説明?」
「いろいろ事情があったんですよ。君とは関係がありませんから、安心してください」

 関係がないと言われると、それはそれで寂しくなってしまう。花京院くんは安心してと言ったけれど逆に不安が募るばかりだ。

「どこに引っ越したの?」
「東京だよ」
「都会だね」

 話し始めてしまえばあっという間だった。すぐに会えなかった時間が埋まるほど、私は彼と気さくに話していた。以前は緊張で見れなかった彼の表情も、今は普通に見られている。これが、最後になるからだと悟ったからかもしれない。

 最初のステージのボスを倒した時。時計の針は丁度午前二時を指していた。初めて見るグラフィック、初めて聞くBGM。彼と話しているからかレベル上げの作業も退屈しなくて、心地よかった。
 だけど、これがもう味わえないのだと思うと途端に胸が苦しくなる。だけどこの苦しさには見て見ぬふりをする。今はこの瞬間を楽しんでいたいから。

「そういえば、どうして僕のこと避けてたんですか?」
「えっ、えっと……」

 突拍子もなくかけられた声に驚いてしまった。花京院くんが好きだから、彼を見るとなんだか自分が自分じゃあなくなるような気がして恐ろしかったから。だから、私は彼を避けていた。けれど彼からしたら不自然に避けられてしまったのだ。彼が疑問に思うのも無理はないだろう。

「君になにかしてしまっていたなら、今からでも謝りたいんだ。理由を教えてくれないか」

 理由なんて教えられるわけが無い。花京院くんが好きだったからと今言ったところで、幽霊の花京院くんと生者の私が結ばれるなんてありえないのだから。言ったとしても、彼に引かれてしまうかもしれない。それで成仏が早まってしまうなんてことは嫌だった。出来るだけ彼を長く引き止めていたかった。

「別に理由なんてないよ」
「理由が無いのに君があんな行動をとるなんて僕は思わないけどな」

 鋭い指摘に私はまた口を噤んでしまった。彼の言葉に何も言い返せなかった。上手な言い訳が思いつかない。

「なんでそんなに理由を知りたがるの?」

 話題を逸らすように私は質問をした。花京院くんは納得していない表情を浮かべながらも、私の問いに答えようと口を開く。

「君のことが好きだから、嫌われたくなかったんですよ」

 彼は涼しい顔でそう告げた。平然としているけれど、とんでもないことを言われ身体が硬直する。
 好き?花京院くんが、私を?そう思っているのもつかの間、私の高ぶった熱を冷ますように「友人として」と彼は言葉を付け足す。そりゃそうだ。花京院くんは引く手数多だったし、初恋の人と想いが通じ合う確率なんてきっと宝くじに当たることよりも低い。

「本当に、理由なんてないの。気分が乗らなかっただけだよ。ごめんなさい」
「そういうことにしておくよ」

 これ以上詮索しても不毛だと考えたのか、最後は彼が折れてくれた。少し気まずい空気が流れたけれど、彼が話を振ってくれたおかげですぐにその空気は流れて行った。