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 それからというもの、花京院くんと一緒に放課後を過ごすことが増えた。宿題があれば手伝ってもらったり、テスト期間にもお世話になった。頭が良いだけあって、彼は人に教えるのも得意らしい。
 ゲームは花京院くんの家ですることが多かったけれど、私しか持っていないソフトで遊ぶ時は私の家で遊ぶこともあった。花京院くんに話しかけたあの日から、私はとても楽しい日々を過ごしていた。

 けれど最近、悩みがある。悩みの種というのは紛れもなく花京院くんのこと。最近彼を見ると体が熱くなるような感覚がして、胸が苦しくなってしまう。彼が女の子と話していたり、告白を受けていたり、以前ならなんとも思わなかった事柄一つ一つに思考が振り回される。
 だけど彼と遊ぶのは不快じゃない。この気持ちって、なんなんだろう。

「君、僕とばかり遊んでいますけど良いんですか?」

 隣の媒体でシューティングゲームをしている花京院くんは、ふと思い出したように私に聞く。今日は趣向を変えてゲームセンターに来ていて、私は案の定先にゲームを終えてしまっていた。
 次の媒体に行きたいけれど、花京院くんを置いて行くわけにはいかない。そう思い花京院くんのプレイ画面を見ている時だった。

「花京院くんしか遊ぶ相手いないよ」

 器用に障害物を避け、敵を撃ち落としていく。ワンコインでこんなに遊べるんだから凄いなあ。私なんて、何枚百円玉を溶かせばこのステージに行けるのか予想すらつかない。

「好きな人はいないんですか?」
「え?」

 いきなりそんな話題を振られて、素っ頓狂な声が出てしまう。なんでそんなことを聞くんだろう。そう思っていると一瞬、花京院くんがゲーム画面から目を逸らす。そちらへと目を向けると、クレーンゲームの前で笑い合う男女二人の姿があった。見るからに二人は恋人同士。どうやら彼氏が彼女にぬいぐるみをとってあげたらしい。
 なんてことない、ゲームセンターに来ればいつかは見るような微笑ましい光景。きっとあれを見て、花京院くんはそんなお節介な心配をしてくれたんだろう。彼から目を逸らし、媒体のコントロールボタンへと目を向ける。

「いないよ。好きな人なんて」

 クラスの女の子たちは○○くんが好き、なんてはしゃいで、彼氏が出来た別れたということで一喜一憂している。だから私にも聞いたのかな。
 でも私に好きな人なんていないはず。キスしたい相手も、抱きしめてほしい相手も、想像なんてつかないはずなのに。もし彼氏が出来たとして、あのカップルと同じ状況になるのだとしたら、隣に立ってほしい相手なんて。
いないと言いきれないのは、ずっと彼の名前が頭の中にあるから。

「花京院くん」

 思わず口から出た名前に自分でも驚いた。どうして突然彼の名前を抑えきれず呟いてしまったのか。いや、好きだから口にしたんだ。

 好き、好き。私は、花京院くんのことが、好き。
 咀嚼するように何度も自分の中で呟いて、今まで悩んでいた事柄にも納得する。色気付くなんてまだ早いと思っていたのに。恋なんてしないと思っていたのに。人は、少しの時間を共有しただけでこんなにも簡単に恋に落ちてしまうものなのか。

「どうしました?」
 私が話しかけたと思ったのだろう。彼は目線を移さないまま私へと問いかける。まずい。なにか話題を振らないと不審がられてしまう。
 必死に頭を回して話題を探していると、花京院くんの操っていた機体が障害物へとぶつかる。どうやら最後の残機だったらしく、『GAME OVER』という文字のあと『Continue』という赤い8bitの文字が点滅している。カウントダウンが始まっているけれど、彼は硬貨を入れる気配はない。

「なんで、好きな人がいるなんて聞いたの」

 変に話題を逸らすことも出来ないまま、私は純粋な疑問を彼にぶつけた。カウントダウンはとっくに0を迎え、ゲーム画面はスタート画面へと切り替わっている。

「君に好きな人がいたら、僕は邪魔になってしまうから。でもいないなら、気兼ねなく一緒に遊べますね」

 いつものように優しく微笑んで、嬉しそうな声色で彼はそう告げる。それが嬉しくもあり、少し切なくもあった。彼とは友人で、恋人にはなれないだろうとその言葉で瞬時に悟ってしまったから。
 少し前までただのクラスメイトで、そこから進展して友人となれただけでも嬉しいのに。なんで私はそれ以上を求めてしまうんだろう。
 そう思い悩んでいると、ふと頬を触れられる感覚があった。彼に取り憑いているナニカだ。彼によると、それは自由に操ることが出来るらしくて、時たま私の頬にこうやって触れてくる。揶揄っているんだろうけど、本当の意図は分からない。私が体を捩れば、彼は楽しそうに笑った。その表情でさえ、私の胸を高鳴らせる。
 彼の顔をこれ以上見たくなくて、視線を時計へと逸らした。時刻はもう少しで六時を回ろうとしている。

「そろそろ帰ろうかな」
「送りますよ」

 こうやって家まで送ってくれることも、最近では当たり前のことになってきた。彼の隣を歩くことだって、彼の顔を見上げて話すことだってさっきまでは当たり前に出来ていたことなのに。恋心を自覚するだけで出来なくなってしまう。
 花京院くんがなにかと話題を振ってくれるけど、私は曖昧な返事ばかりしてしまう。数刻前と同じように振る舞いたいのに、彼の顔を見た途端何かが溢れ出してしまいそうで、見上げることが出来ない。

「そういえば、来週君が予約してくれたゲーム楽しみですね」
「あ、うん」

 そうだった。来週は二人で楽しみにしていたゲームの発売日。いつも花京院くんにお世話になっているから、と私が購入することにしたんだった。ということは、彼が私の部屋に来るということ。二人きりになってしまうということ。今まで何も気にしたことがなかったのに、凄く緊張してしまう。
 話題が尽きてしまったのか、それ以降彼が話してくれることはなかった。私と彼の足音だけが耳に届く。そうこうしてるうちに自宅へと着き、私たちはお決まりの台詞を言うのだ。

「また明日ね。花京院くん」
「ええ。また明日」
 玄関の扉を閉めたあと急いで自室へと向かい、勢いよく扉を閉める。ズルズルと地べたに座り込み、上がる頬の体温に戸惑う。

「どうしよう……」

 玄関の扉を閉める時、隙間から見えた彼の笑みがいつもより輝いて見えてしまった。あの微笑みは、誰にだって向ける所謂愛想笑いみたいなもので他意はないんだ。クラスメイトの他の女の子にだって、あの笑みを向けているじゃあないか。
 そう言い聞かせても、心臓の鼓動は激しく高鳴るばかりで静まることはない。

「好き……花京院くん……」

 誰にも届くことのない告白は、薄暗い部屋に溶けていった。



「今日も駄目なんですか?」
「うん……。ごめんなさい」

 ゲームの発売日から三日過ぎた頃。花京院くんは困った表情を浮かべていた。無理もない。約束したゲームを受け取ったにも関わらず、全く私は彼と遊ぼうとしないんだから。花京院くんだって楽しみにしていたゲームだ。協力プレイも可能で二人で遊ぶとより楽しいゲームなのも理解している。
 だけど、彼と二人きりになりたくなかった。罪悪感はもちろん感じている。けれど、彼と二人きりになった時この感情を隠せる自信がなかった。彼との友人という関係を壊したくなかった。

「明日は遊べますか?」
「明日はちょっと……」
「明後日は?」
「明後日も……」

 しばらくの沈黙。二人きりの廊下。少し開けられた窓の隙間からはグラウンドで部活動をしている運動部の声が流れ込んで来る。

「僕、君になにかしてしまいましたか?」
「違う。そういうわけじゃないの」

 彼が不審がるのも無理はない。あれから私は彼と一緒に過ごす時間を出来るだけ減らしていたから。一緒に帰ろうという誘いも、最近はなにかと理由をつけて断ってしまっている。

「それならどうして僕を拒むんですか。なにか理由があるなら、ハッキリ言ってくれ」

 低く、少し威圧感のある声で彼は問いつめてくる。それでもこの気持ちを口にするわけにはいかない。きっと口にしたって、始まるものは何もない。あるのはこの友情の終焉だけだ。

「……ごめんなさい」

 今の私には、謝ることしか出来ない。俯きながら謝罪の言葉を述べると、頭上からため息が聞こえた。恐る恐る見上げると、彼は呆れたような、それでいて軽蔑するような視線を向けていた。

「もういいです」

 そう言い放ち、彼は私に背を向ける。カバンを持っている手は、心做しか強く握られているように見えた。引き止めるように彼の腕を掴むことも、ましてや声なんてかけることも出来ないまま私はそこに立ち尽くしていた。
 それが後に後悔するということも、知らぬまま。
 彼と話さない日が何日も続いて、期末テストがやって来た。点数は聞かないでほしい。花京院くんが教えてくれた中間テストは、もっと点数が良かったのに。と自分で終わらせたことに呆れてため息もつけない未練を心の中で呟く。
 あの日から何度か話しかけようかと思ってみたものの、話しかけることに妙に緊張してしまって声をかけることは叶わなかった。もっとも、声をかける前に彼は私の傍を離れて行ってしまうのだけれど。
 テストが終われば長期休みが訪れる。学校に来なくてもいい、毎日寝ていたっていい、そんな幸せな日々がやってくるのに私の気持ちは沈んだまま。この長い長い休みの間に、彼への気持ちの整理をつけたら以前のように話せるのか。答えのない問いに頭を悩ませながら、私は席に座ってじっと本を読んでいる彼の背を見つめていた。
 それが、私の見た彼の最後の姿だった。

 二学期に入った頃、彼はパタリと学校に来なくなってしまった。成績上位者で、皆勤をとっていた彼が来なくなったのだからきっとただ事ではない。けれどお見舞いに行くのも気が引けてしまって、私は待つことを選んでしまった。
 結末を言おう。そのまま彼は学校へと来ることはなかった。そして寒い冬に遠い地へと引っ越し、エジプトという異国で謎の死を遂げた。