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 私は昔から幽霊が視える体質だ。
 幼い頃は視えたものを指さしたり、両親や友人にそれを伝えたりして気味悪がられていた。十七歳を迎えた今はそんなことしなくなったけれど。視えない人間とは、心の底から分かり合えない。この事実を察した私は、次第に誰とも付き合わなくなった。
 高校二年生に進級した時、私は彼と出会った。花京院典明。花という文字が付くのに相応しい、線が細くて中性的な顔立ちの男の子。一年生の頃から女子達では話題によく上がっていたみたいだけど、私には友人がいないからこの時まで彼の存在は知らなかった。
 しかし私は彼の耽美な姿に見惚れたわけじゃあない。彼の背後、いや全身を包み込むような形でナニカがいるのだ。姿形は視えないけれど、確かにいる。
 霊的なものか何かが取り憑いている。その薄気味悪さから、私は彼のことを瞬時に覚えてしまった。取り憑かれている人間なんて、滅多に見なかったしこの学校にはいなかったから。

 私は彼に伝えようか迷った。幼少期の頃のように揶揄われたら困るし、かといって軽蔑の眼差しを向けられるのも困る。いじめになんか発展してしまえば最悪の学校生活を迎えるのは確かだ。彼のことを普段見ていると、そんなに性格の悪い人間じゃあなさそうだが、人の心の奥底は分からない。
 だけど、取り憑いているものがもし悪霊の類だったとしたら? 今の彼の状態を彼に告げず、悪霊に祟り殺されてしまったらなんとも後味の悪いものになってしまう。どうしようか。
 悩みに悩んだ末、私は彼にこのことを伝えることにした。やっぱり、死んでしまったら何も伝えなかった自分を悔やむだろう。……まだ花京院くんが死ぬと決まったわけじゃあないけど。

 彼はいつも放課後は図書室にいる。噂好きな女子グループがそう話していた。彼に告白をする時は、その図書室で想いを告げるそうだ。その噂を頼りに私は放課後図書室へと足を運ぶ。
 一番奥の長テーブルの左端。彼は一人で本を読んでいた。私と彼以外には図書委員の男子生徒が一人だけ。どうやら彼に想いを告げる女子とは会わなそうだ。ゆっくりと彼のテーブルに近づき、向かいの席の傍まで来ると彼は本から視線を外し、私の方を見上げた。

「僕に何か用かい?」
「えっと」

 しまった。勢いだけで来てしまったからなんて話しかけるかを考えていなかった。そもそも同級生とだって、授業内のグループワークでしか最近は話していないのに。黙ったままの私をしばらく彼は見上げていたが、やがて痺れを切らしたのか本へと視線を戻してしまった。

「用がないなら、違う席へ行ってくれないか。集中出来ない」

 そう冷たく言い放たれてしまう。しかしここで引き下がるわけにも行かず、彼の言葉に急かされるように私も口を開いた。

「その、花京院くんになにか取り憑いてると思うんだけど……」

 花京院くんはゆっくりと顔を上げ、私を怪しむような目を向ける。誰だってそうだろう。私だって、いきなり話したこともない同級生に「あなた、幽霊が取り憑いていますよ」なんてこと言われれば同じ顔をする。しかし、感じるものは感じるのだから仕方ない。

「何を馬鹿な」
「本当なの。姿は視えないんだけど、絶対にいる」

 眉間にシワを寄せ、不愉快だとでもいうような表情を浮かべる。彼のこんな表情を見るのは初めてだった。誰かに話しかけられても、人当たりの良い笑みを浮かべて、当たり障りのない返答をしている姿しか見たことがない。どうしよう、怒らせてしまった。
 焦って謝罪の言葉を口にしようとした時だった。ナニカが私の右頬を掠めた。人の指のような感触が気持ち悪くて、思わず左側に顔を背けてしまう。咄嗟にしまったと思った。傍から見れば、不審な行動この上ない。花京院くんにますます気味悪がられてしまっただろう。
 恐る恐る彼の方へ視線を戻すと、私の予想とは全く反対の表情を浮かべていた。

「君、本当に……」

 そう言うや否や、今度は左頬にさっきと同じ感覚が走る。また指のような感触。右に顔を背けると彼はますます驚いたような表情を深めた。

「な、なに。これ」
「安心してください。害があるものじゃあない」

 先程までの不愉快そうな表情は彼の顔から消え去り、今は穏やかに口角を上げている。花京院くんは本を閉じて机の上に置くと、隣の椅子を後ろに引いた。ここに座れという意味だろうか。遠慮なく彼の隣の席に腰掛けると、花京院くんは僅かに声を潜めて話し始めた。

 彼に取り憑いているものは、守護霊みたいな存在らしい。生まれた時からずっと一緒で、彼が普通の人に視えたことはないのだと言う。

「守護霊なら、私も視えるはずなんだけど。なんで視えないんだろう……」
「幽霊とはまた違った存在なのかもしれない」

 彼はふと自分の右上を見つめた。きっとそこに彼がいるんだろう。気配は感じるけれど、やっぱり私の目にはなにも映らない。宝石にも劣らない程美しいエメラルドグリーンの容姿だという彼を見られないのは、なんだか残念だと思った。
 伝えることも伝えた。これ以上、私から話すことはない。そう感じた私は席を立とうとしたが、彼が引き止めるように口を開いた。

「君が見てきた幽霊の話、気になるな」

 浮かせようとしていた腰に再度体重をかけて、私は花京院くんに向き直る。きっと、彼は口が堅い方だろう。それなら話してみてもいいかもしれない。

「つまんないよ?」
「構わないさ」

 彼は目を細め、優しく微笑む。きっと普通の女の子たちならここで恋なんかに簡単に堕ちてしまうんだろう。けど、私はそんなものにまだ興味は湧かない。色気付くにはきっとまだ早すぎる。

「じゃあ、幼稚園の頃に見たお化けなんだけど……」



 結局、その日は下校時間まで二人で話していた。彼は一つも馬鹿にすることなく、興味深そうに耳を傾けてくれた。花京院くんが聞き上手だったから、思わず話し込んでしまったのだ。
 そして、その日から彼は私によく話しかけるようになった。朝の挨拶から始まり、移動教室で一緒に教室へ向かったりしている。俗に言う友達には程遠いけれど、ただのクラスメイトと言うには近すぎる距離。
 そんな微妙な関係のまま、きっと一年を同じクラスで過ごすのだろうと思っていた。