シレネは気づかない1
兄が寝ていた。ただそれだけのことだった。
傍らには脱ぎ捨てられたタンクトップと革ジャン。光に反射しててらてらと輝くそれ。
俺自身、イタイと称されるパーフェクトファッション()に興味がゼロであったとは言い難い。
正直、革ジャン着こなせるなんて、めっちゃロックじゃんと思っていたのは秘密だ。
だが兄弟がいる手前、無駄に高いプライドのせいでやつのファッションには触れることができなかった。
そして俺は少しだけ、やつが苦手だった。底抜けに明るくて、ナルシストで訳の分からない言い回しを得意とする。小学生の頃は少しだけ短気で喧嘩っ早くて鉄砲玉のようだったのに、高校の頃演劇部に入ってはすぐに影響され、それ以来まどろっこしい言い回しをするようになった。それでも楽しそうではあったし、1度だけ見た公演は思わず息を飲むほどの素晴らしさで、つまりやつの演技はとても上手かった。
入ったのが演劇部、ということもあるだろうが、それ以降何故かどうしてもあの口から吐き出される言葉を心から信用することができなかったのだ。それに嫌にカンに触って、俺とあいつと反発するようになって、そこから多分少しずつ距離が開いていったのだ。きっとやつだって高校で新しく出来た友人を無碍にしたくはないだろうし、陰気な俺には関ればきっと楽しくなくなる。寂しかったけど、ブラコンが過ぎるのも良くないだろうと、いつからか、俺とやつは会話もしなくなった。する会話といえば朝のおはようと夜のおやすみくらいで、日中はほぼ話さないと言っていい。
そんな兄と弟の関係が今更変わるわけもあるまい。
だが。今なら。少し触るくらいなら。だって俺たちはむつごだ。兄が着たものを俺が着たって問題は、ないよな?あの、赤い悪魔が帰って来る前に少しだけ。
『ただいまぁー!ねーえ聞いてよーおにいちゃんぼろ負けしちゃってさぁ……』

――あの、赤い悪魔が来るまでは。


――この世に神などいない。


「……オ兄チャン、二人ガソンナ仲ダナンテ知ラナカッタヨー」
「違うって言ってるだろ!?なあ一松!?」
「やめてよカラ松兄さん…」
「!?」
「あ、あ、ではあとは若いふたりに任せて…ハハハ…」
「違うんだってー!!!」
無慈悲にも襖はぱたんと閉じる。ぎぎぎ、と音がなりそうな程ゆっくりとした動きでカラ松がこちらを見る。
思いのほか絶望に満ちた顔に良心が少し傷んだ。
「なーあいちまぁつ…何してくれてるんだァ?」
「ご、ごめん、なんか頭回らなくて…」
「なぁんでお前は賢いのにいざって時にこんなにポンコツなんだぁ!?」
「ごめん…おそ松兄さんにはおれからも言っとくから」
「いや、いい。あとで俺がちゃんと話そう……」
「で、でも…おれ……」
「いいよ、一松、おまえは何も心配しなくていい」
(待ってくれなんでこいつはこんなに優しいんだ!?神か!?神なのか!?)
そこにいるのはまぎれもなく、素晴らしい兄だった。俺が今までやってきたことをものともせず、助け舟を出してくれる。
やはり兄は兄であり、こんなクズな弟でさえも守ってくれるのだ。
そこに生まれたのは信仰に限りなく近い憧れ。
そうか、俺は、あのいつでも優しすぎるあの兄が大好きだったのだ。
「うっ…ありがとうからまつにいさん…愛してる…」
はた。
……あれ?
今。
昂った感情のままに口が開いてとんでもないことを言ってしまわ無かったか。とんでもないことを音に出して吐き出してしまってないか。
今のは戯言だと、ただの空耳だと思ってくれ頼む。
恐る恐るちらりとやつを見れば、やつは今まで見た事のないような顔をしていて。
ああ、まずい、これ、完全に聞こえてる。
「一松、今、お前……?」
いや、違うんだ。それは言葉の綾みたいなもので、お前の優しさに感動して、優しさに死にたくなったのは事実だが、また、それは別の問題、で。
「あの、なんか、変なこと言った気がするけど、ごめん…忘れてくれて、いいから……」
(っていうか忘れてくれーーーー!!なんで俺今あいしてるなんて言っちゃった今!?!?いや、違うそんな気まずい感じのごにょごにょしてるとガチめに思われない!?拗らせホモみたいじゃん!?そう思っちゃうよな!?さっきの俺はやく死んで!?
どうしたら!どうしたらいい!?
いやーんいちまつ酔っ払っちゃったーおれ今なんか言ったっけぇ?とか言えばいいか!?キャラ崩壊甚だしいな!ホラーだわ!っていうかカラ松お前もなんか言えよ!速攻で否定してやるからさぁ!!!なんでそんなに俯いてるの?お前まさかホモなの!?ンな訳ねーよなーー!?!?)
脳内でたくさんの俺が踊り出す程度には混乱している。どうしよう。どうしたらいい。やつは俯いたまま少しだけ肩を震わせていた。さすがの兄さんでもホモはNGだったか?
「フッ、いちまぁつ、お前の気持ちはしっかり受け取った…だが俺はロンリーウルフ…お前という一個人に縛られるわけにはいかないんだ……世界中のカラ松ガールズ&ボーイズが泣いてしまう…」
…………嗚呼。
馬鹿だ馬鹿だと思ってたけどほんとこいつ馬鹿だな。さっきまで兄さんちょっと見直したって思っちゃったのに。
流石脳みそカラカラカラッポカラ松は伊達じゃねぇな!!
(そもそもカラ松ガールズなんていねーだろーー!でもそれのお陰で助かった何なのこいつ逆に死ねー!!)
「だがしかぁし?お前の思いはしかと俺の胸に刻まれているぞ初めてのカラ松ボーイズいちまぁつ……兄弟ですら魅了する、俺!」
「ウン、ソウダネ……」
一人目なんかい。まぁいいや。はは、なんかわっけ分かんないけど、こいつが勘違いしてくれたみたいで俺は大怪我をせずに済んだんだし。
――とか思っていたのに。
その日から、只でさえ鬱陶しかった兄が今まで以上に鬱陶しく絡んでくる。何か言おうとする度にこっちを見てウインクしてくる。おれを生暖かく見つめ続ける。
正直、今まで以上に、うざい。見かねたトド松が憐れんだような切なげな瞳でおれを見る。
「一松兄さん、カラ松兄さんに何したの?めっちゃ見てくるね」
「知らない……なんか勝手に勘違いして勝手に喜んでる…… 」
「ええ……?」
おれだってあいつの中一松像がどうなっているのか知りたいくらいだ。おれは確かにちょっとカラ松ボーイになりかけているけれど、それにしたってあいつの余裕そうな顔はむかつかないわけではないのだ。
「ダメだよ一松ぅーああいうのはすーぐ調子乗るんだから」
「そもそもはおそ松兄さんのせいなんだよなぁ……」
「は?なんで俺ぇ?まぁいいや、お前の恋人なんだからちゃんと管理してよね」
「「はァ!?!?」」
「何言ってんのおそ松兄さん!カラ松兄さんと一松兄さん付き合ってんの!?」
「付き合ってない付き合ってない!!」
「あり?でもお前全裸でカラ松と組んず解れつ……」
「如何わしい表現すんな!あれは事故だったんだって……!!」
「事故で男同士が全裸ってどんな状況だよホモかよ」
「セクロス!?」
「違うってー!!!」
「まさかあのクソ松一松を無理やり…?」
「一松兄さんもう非処女なの!?」
「カラ松にーさんも脱童貞!?許せませんなぁ!」
「「許せませんなぁ!」」
「ちっげーって言ってんだろくそ童貞共!!」
当の本人たちを無視して盛り上がる童貞どもをひとりずつ宥めてため息をつく。
なにがどうしてどうなった。なんだかひどく疲れている。あれもこれもいつまでもクソ顔をさらしているクソ松のせいだ。どうせあいつのことだから数日後にはカラッと忘れているに違いない。
「ま、ともかく、一松気をつけな?」
「うん、正直ナルシスト舐めてたよおれ……」
「うーん。そんな軽いもんじゃないと思うんだけど 」
「え?」
チョロ松は何か思案する素振りを見せ、ぽんぽんと俺の頭を撫でて出ていってしまった。
気をつけろって何を?




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