紫蠍と赤い毒
※おそいち 





(そうだ。)
(あれは家族さえ誰も知らなかった秘密だ。)

けだるげな昼下がり。昼飯を平らげてしまった俺はぽかぽかと暖かい日差しの中、部屋の中からぼんやりと風景を見ていた。ほんとうは屋根にあがってしまいたかったけれど、いつかの日に屋根の上に上がったまま寝てしまったことがあって、落ちたりしたら大変だからやめてよね!と末弟に怒られてしまったのだ。それ以降誰かと一緒のとき以外は屋根の上に上がらないようにしている。そのときにお前はほんとうに猫だねといったのは誰だっけ。
さて、目の前には自分と同じように有閑を持てあます赤いパーカーがひとり。座布団を折り曲げ、枕にして横になっている。寝ているかどうかはこちらに背中を向けているので表情を見ることは叶わないがそこは大した問題じゃない。

(暇だなぁ)

窓を開け、安いライターを鳴らして煙草に火をつける。いつもは部屋の中が煙でいっぱいになるのを良しとしない母や末弟がいるため部屋の中では吸わないようにしているが、今この部屋にいるのは喫煙者のみだし、ひとりは寝ているのだ。少しくらい横着してもいいだろう。

(……灰皿、あったっけ)

体に悪いとはわかっていようとも安心する、その煙を吸い込み、窓の外へとゆっくりと吐き出す。
腹がいっぱいになっていたことでぼんやりとする頭は反応を鈍らせる。いつの間にか後ろに立つ影に気づくのが遅れた。いつの間にか起きてきたらしい兄は後ろから抱き着きながら、俺の肩口で欠伸を噛み殺していた。

「……なーぁ俺にもくれる?」
「あれ、起きてたの?」
「ん。今起きたぁ」

とろとろとした声を聞く限り本当に寝ていたのだろう。
しぱしぱと瞬いてからぐいぐいと頭を押し付けて来るのは子供みたいでちょっと可愛い。

「……禁煙。してんじゃないの?」
「ばぁか。こんな間近で吸われて耐えられるかっての」
「そういうもん?」

(そういえば、あの日初めてしたのもこんな昼下がりだったっけ)
学生の頃、兄弟はみんな真面目に学校に行っていて、たまたま俺と我が長兄のサボリがちょうど重なった午後だった。
その時煙草を初めて吸った。苦くて辛くて涙が出たのを覚えている。げほげほと咳き込んでいると、それを偶然見られて、大声で笑われた。にゃろう、お前だって涙目だったくせに。その苛立ちを苦し紛れに押しつけたのがきっと始まり。
そこから先は良く覚えていない。きっとどっちも頭がおかしくなっていた。

「じゃあこっち来なよ」
「ン、さんきゅ――、」

後ろから隣に移動した赤いパーカーは完全に油断しきっている。その首ぐらをつかんで引き寄せてみた。あのときとは違い、もう慣れてしまったその苦味を面白半分に押しつけてやると、そいつは一瞬目を剥いてから、呼吸だけで笑ってそのまま唇を擦り合わせてきた。すぐ突き飛ばされると思っていただけに、予想外の反応に少しだけ狼狽える。

「んんん……!?ちょっ、まっ……」

待ってと口を開きかけたタイミングで開いた口に舌が入り込んでくる。しまった。そうして少しずつ舌の触れ合う面積が増えていって、粘膜同士の擦りあいになる。舌は思っていたよりも熱くて、そのやわらかい肉の塊が触れた先からどろりと溶けていくようだ。
咥内に唾液がどんどん溜まってゆき、少し動かすだけでも水音が響く。軽く舌を噛まれるとぴりりとした痺れが腰に来て、ぞわりと背筋に電流が走った。
内部の体温だけが上がって、意図せず甘ったるい声が出た気がする。

(あ…、これ、やばいかも……)

俺の限界に気づいたからなのかどうなのか、するりと伸びた冷たい指は耳朶をなぞって、ゆっくりと喉仏までを辿る。触られただけなのにそれさえも快感が走り、逃げ出したい気分になる。この男はそれを許してくれるはずもないのだけど。
薄い皮膚の下、骨を確認するみたいに撫でられた。俺が猫ならきっと思わず喉を鳴らしていた。
いつかのその熱が思い出されて、熱に浮かされたため息を吐く。背徳感で潰れそうだ。

「……ぁ…、」

そのまま喉から腕を辿って煙草を持っていた方の腕を捕まえられて、煙草ごと奪われた。嗚呼、俺なんてそっちを気にする余裕なんてもう無かったのに。
パーカーの隙間から入り込むもう一方のてのひらが薄い腹を撫でるとその冷たさに体がびくんと跳ねた。また笑われて顔に血液が溜まるのがわかった。ちくしょう。
悪戯に動いていたそのてのひらが明確な意志をもって動き出すと、それに翻弄されるみたいに下腹部にじわじわと熱が篭っていく。
――ようやく口と口が離れて新しい空気を吸えたときには、互いに息はすっかり上がっている。それでもそれを認めるのは悔しいからべろりと舌を出して笑ってやった。

「ん、はは、……どう?ちょっとはまぎれた?」
「ったく、おまえはどこで覚えてくるの、そんな誘い方さぁ…?」

もうすでに頭からどろどろにふやけているはずなのに、虚勢を張って余裕ありげに言ってやると、揶揄うようにそんなこと知っているとばかりにさっきみたいに喉を撫でられて声が上擦る。
先ほどの行為ですっかり短くなってしまった俺の煙草をもう一度咥えると、しみじみとつぶやく。

「……はぁ、お兄ちゃんは心配だよ、いつかお前が変な人に引っかけられそうで」
「――はは、何言ってんの?俺に色々教えたのは兄さんでしょ」
「あぁ?俺ぇ?」
「煙草もキスも全部兄さんのせい」

だからいつまでたっても吸う銘柄を変えられないんだよね、向き合ったままそう言うと、兄はさも嬉しそうに笑った。喉を撫でていた手を頭に移動させるとぐしゃりと撫でられた。
嗚呼そうだこの兄は「自分に影響された」という事実が大好きだった。失言だったと舌を打つ。

「へーぇ?いちまちゅはお兄ちゃん大好きかー!かわいいなぁお前は!」
「うるさい。っていうか兄さんが変な触り方するせいで収まんないんだけど、どうしてくれんの」
「んんー?じゃあ今度はえっちな一松くんにお兄ちゃんはセックスを教えてやればいい?」
「……もっとましな誘い方は無いわけ?ほんとサイッテー」
「それはお互い様だろ?」

そして兄はいつものように少し意地悪に片眉を歪めて笑った。
いつだって何もかも見透かされてるようなその目が苦手だった。
どうしたって敵わないのだ、この赤色には。

「なるべく早く終わらせてよね」
「仰せのままに」



視界が反転する前、最後に目の端に見えたのは片手で煙草を灰皿に押し付ける指だった。








(毒が回ったのはいつからだっけ)
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