「嫌だ!!」

悲痛さを全面に含んだ幼い声とともに離れた小さな手の感覚に、バッと俯き気味であった顔をあげ視線向ける。

「梵ちゃん…」
「梵天丸様…」

声をかければ立ち上がった梵天丸は自身の袴の裾をこれでもかという程その小さな手で握り閉め、俯いたまま嫌だ嫌だというように首を振る。
合間から聞こえたポタポタと畳みに染みを作っているであろう音に、自身の心臓のあたりが先ほどよりも強くツキン、と音を鳴らした。

「梵ちゃん…」
「ズ…、嫌、だ…っあね、…ぅえ…ひっく…いやっ、…だ…っ…」

いやいやと、本格的に零れだした鳴咽と一緒に流れ落ちる涙に思わずこちらまで泣きそうになる。
片目からしか流れない涙はそれでも流れる勢いは変わらず、その白く柔らかな頬にいくつもの跡を残していく。拭うことを知らないかのように涙を流す様子があまりにも悲痛で。

ぼやける視界のままキュッと拳を握る。ここで手を差し延べてはダメなのだということはわかっている。
自身が他の家に輿を入れるなんていつかは訪れていたこと。
本当ならばもっと早くに輿をいれるのが普通で、私は余りにも優しい父上に甘えていただけ。その報いが、これだ。体が弱いからだと理由をつけ、前世が男だったからだと内心納得させ、例え輿入れの申しだてを断ることが伊達家に何かしら影響を与えるとわかっていながらも私はその現実から目を逸らしていた。逃げて、いた。
現世に生きていた《俺》は余りにも非現実なことをそれでも頑張って受け止めようとして、慣れようとして。女に生まれたこともあるかもしれないけれどでもそれはただ単に言い訳で、この時代の《姫》という本当の意味での役割を否定していたのだ。

甘く考えていた。甘く、考え過ぎていた。我が儘で自分勝手な言い訳でズルズルと縁談を延ばして。
まともに、それこそ初めから潔くこの身を他のもとへ預けていたならば。目の前のこの子は泣かなかった。それ所か私という姉の存在すら知らない程にただ過ごしていたのかもしれない。
私がこの年まで伊達に残り、そして梵天丸に接触してしまったからこそこの子は、心に傷を持っているこの子は。
悲しんでいる。また、自分から誰かが離れていくのだとその小さな体で余りにも大きな闇を抱えようとしている。
私はこの子を傷つけてしまった母のように、この子を、梵天丸を傷つけてしまっている。
でなければこんなにも悲痛に、胸が締め付けられるような泣き方をするはずがないのだから。いやだいやだといいながらもただ袴を握りしめるだけなんて。零れ落ちる涙を拭うことすらしないなんて。
前には小十郎がいて、すぐ隣には私がいるのに。
縋ってもいいんだよ。離れたくないって口にしてもいいんだよ。
辛いと言っているのに。寂しいと訴えているのに。
どうして私は君を傷付けることしか出来ないのだろう。どうして君は自分を傷付ける道しか選ばないんだろう。

「梵ちゃん…梵天丸」
「ひっ、…ぁね…っ、ぅえ…っ…」
「顔を、上げなさい」
「白仁様…?」

傷付かないでというのは傲慢かな。傷付けないでというのは我が儘かな。

「男子が簡単に涙を流すとは、な、にごとですか」
「っぁね、うえ…っ」
「顔を上げなさいと、っ言っているでしょう!」
「!!」

父上が笑ってくれて、母上が一緒に歩いてくれて、梵ちゃんを抱きしめて、小十郎とお茶をして。

「っ、あ、ね…うえ…」
「前をみ、っるのですよ梵天丸」
「っ」
「白仁様…」

いつも孫を見るような優しい目で挨拶をしてくれる庭師の人や、顔を赤くしてはにかみながら一緒に話しをしてくれる兵士たち、身の回りで嬉しそうに着物を選んでくれる女中の皆。
何もできない私には勿体ないくらいに優しくて、眩しい人たち。

「前を見据えて真っ直ぐ真っ直ぐ高みを目指しなさい」
「っひ…っ」
「誰にも負けないように強く、強くありなさい」

いつか君が継ぐであろうこの伊達家が幸せでありますように。皆が笑顔で過ごせていますように。

「お前が、守るのですよ、この伊達を」
「っで、もおれ…っ目が…っ」
「それが、何だというのですか!」
「!!」

姫の評判はお家の評判。私の評価は伊達家そのもの。ならきっと目の前の弟の未来は私の評価にかかっている。
だからこそ私は今ここで、目の前のこの子に《姉》として伝えなければいけない。どんなに辛くとも、どんなに悲しくとも私がいなくなる前に、伝えなければいけない。

「片目しかないのなら、その片目で見えるもの全てを受け止めなさいっ、守っていきなさい…っ」
「…っふ」
「っ梵天丸なら…、梵ちゃんなら出来るから」
「…っ、ぁ…」

痛みを知る者は誰よりも他人に優しくなれる。こんな世の中でも、この血の流れる悲しき時代でも、きっとそれは変わらない。

「優しくありなさい、人に土地に命に」
「…っ、ひっく」
「そうすればきっと…いつか梵ちゃんが大きくなって姉上とまた会えるときが来るかもしれないわ」
「…!!っほんとう…?」

いいえ、いいえ。もしかしたらこれが最期の別れになるかもしれない。二度とあうことが出来ないのかもしれない。

「ええ、本当よ」

でもそれでも。私は幸せだったから。
不慮の事故で死んで、前世の記憶を持ちながら女に生まれ変わって、右も左も常識さえも何一つわからないそんな所だったけれど。《幸せ》だったから。

「っならなる、なるから…!」
「っ、うん」
「梵天丸様…」
「おれ、あ、ねうえが言ったみたいに、っつよく、なって…っひっく、やさ、優しく、な、て…!」
「うん」
「いっぱ、い、っいっぱい守るからっだから、っだから…!!」

誰よりも祝福して欲しい。誰よりも幸せになって欲しい。
人質だとか、子孫を残すためのただの道具だとか。嫁いだ先で愛される確証はない。愛せる、確証もない。だけど。
私は世界一の幸せものだと、贈りだして欲しい。大切な人に、大好きな人たちに。『私は今幸せです』と大きな声で言えるように。

「っ…、しあわ、せに…っひっく…な、て…ね…っ」
「…っ」

キツくキツく抱きしめた小さな体がどこまでもどこまでも愛おしかった。



君たちの未来に幸せを願います


(愛しい)
(愛しくて、涙がでる)





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