「失礼しました」

パタン、と控えめな音をたて父上のいる部屋の襖を閉め、思わずふぅと緊張を含んだ息をつく。
覚悟を決める、なんて思ってはみたものの実際決まったとなれば内心酷く複雑な心境だ。
中身が元男だっただけに女心なんてものよりも男の心境の方がわかりやすいといったら易いけれど…

年も顔も、ましてや名前さえ知らない相手。
父上にそれとなしに聞いてはみたけれど、余り口にしたくないのかそれとも情報がなかっただけなのか、嫁ぐはずの旦那さんの名前すらわからないとのことで。
いつもなら断っているであろう父上のあの深刻な表情を見ると相当重要な相手、もしくは余りいい噂のない方なのかもしれない。

私はまた一つ息をつく。
そして脳裏に浮かび上がる大好きなその人たちに思わず眉ねを寄せる。
私が輿を入れると、他家に嫁ぎに行くと、この家をでていってしまうと言ったらあの優しく愛しい人たちはどう思うのだろうか。
父上には自分で言うから伝えないで下さいと言っているため私以外の口からこの事が知られる事はないはず。

けれど花嫁道具と言われる装飾たちの準備はすぐにでも始まる。そうなれば私が言わなくても彼らは簡単に察するだろう。
この家に姫は私しかいないのだ。その準備がどういう意味を持つのか聡い彼らでなくてもすぐに感づくに違いない。

「(早めに、言っておいた方がいいのだろうか…)」

片目のあの子の健気な笑みが浮かぶ。
病気で片目を亡くし、母上に遠ざけられているあの子。出会った当初に比べれば性格も明るくなり、笑顔も限られた人にだが見せてくれるようになった。
泣き虫で純粋で、だからこそ人一倍傷付きやすくて優しい子。
今でさえ私や身近な人の前では笑顔を浮かべる子だけれど、母上のことがあるからこそあの子は傍にいた人が離れていく事を極端に恐れる。

その大きく零れそうな目に涙をいっぱいに溜めて、でも口には決して出さず、着物の裾をキュッと手が白むまできつく握りしめて。

「ごめ…っひっく、ごめ、なさ…!」

ごめんなさい、ごめんなさい、嫌いにならないで独りにしないで、と声にならない声で訴える。

大声で泣けばいいのに。
大声で泣いても、喚き騒いでも離れていくような人、貴方の周りにはいないのに。痛々しいまでにまるで懇願するような8歳の弟の姿に泣きたくなったのは一度や二度ではない。

もとより子供好きな自分だ。
その相手が血の繋がった弟ともなれば愛情はより深くなってしまう。だからこそ私の事情のせいであの子を不安にさせたくない。悲しませたくない。
でもこの時代にそんな甘い事を言っていられる筈がないのだ。

姫は姫としてお家のために身を尽くさなければならない。《普通》の家ならば最後まで姫の意志を尊重などしてくれるはずがないのだ。

父上はおかしな人だから。可笑しくて、ちょっとズレてて派手好きで。
でも何よりも民を愛して、子供を愛して、優しくて温かくて眩し過ぎる人だから。

「お前には…、もちろん梵や竺丸にも。幸せに、なってもらいたいなぁ」

まだ自身の中で覚悟が出来なくて、決心がつかなくて幾度となく縁談を断っていたときも、いつもの笑顔とはまた違う愛しくて愛しくてたまらないというような、でもこんな世に産んでしまってすまないというような複雑な笑みを浮かべて優しく優しく頭を撫でて言ってくれた。
不安気な私に、柔らかく安心する《父親》の笑みを浮かべて。

「(私は…なんて幸せ者なのだろうか…)」

だからそんな父の顔に泥を塗るようなこと出来ない。したく、ない。
かと言ってあの子を泣かせるなんてこともしたくない。

何て甘い考えだ、そんなこと無理な話しであるというのに。これは戦国の世に女として産まれた者の宿命、けして私一人が悲しいわけではない、苦しいわけではない。そんなことはわかって、いるのに。

「(記憶があるというのは、思った以上に辛い…)」

時代が変われば法律も変わるという言葉があるけれど、確かに私の中には人を殺したら罪だという記憶もあれば老若男女関係なく人は平等であるという記憶があるのだ。それを《常識》であると言い切ることの出来る記憶が、あるのだ。

私は俯き、余りにも細く頼りない自身の手を握りしめ、ぐっと下唇を噛み締めた。



揺らぐ心はそれでも強くありたいから

(悲しいなどと)
(思ってはいけないのだろう)



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