私的には前世で生きていた頃、はまっていたゲームのような世界、戦国BASARAや戦国・三国無双なんていう物の中だったらいいな、なんて思ってみたり。 過去世に生きていた時はかなりの頻度で入退院を繰り返してろくに学校なんて行けなかったから、自宅療養という名目で自宅に帰って来てもすることもなく、暇を持て余した《俺》は自然とゲームや読書などの娯楽に走ってしまった。 読書も好きだが、自分とは違い派手に動くことの出来るアクション系のゲームもまた別の意味で好きで何より憧れていたという部分が大きい。 だからそんな好きなゲームの中ならきっと楽しい、と思うことはある。が、本音としてはそれ以上にほんの少し安心感を感じることが出来るから。 好きだ、というだけあって自分なりにやりこんだゲームは殆どのステージもストーリーも残っている《俺》の記憶が確かならばはっきりと覚えている。 先がわかる、何が起こるかわかるというのは何もわからない世界での唯一の助けだ。 何より《俺》としての意識があることで何も知らないでいられる無邪気で何より残酷な子供の意識がない分それはとても顕著なもので。世界の善悪がわかる、時代の理(ルール)がわかる、人の汚い姿を理解する。それがどれだけ辛いことであるかを意識がある分見なければいけないのは流石にちょっと辛い。 そうでなくてもこの僕の体にストレスという負荷をかけるわけにはいかないのに。 …とまあ、話しがずれたけど要するにここは《俺》が知る史実通りの歴史ではないということで、《俺》の持っている知識なんかは全くもって役に立たないかもしれないということが今の僕の現状として理解したこと。もちろん先程言ったようなゲームの世界ならば少なからず気持ちは軽くなるのだろうけれど。 とりあえず今はそれらを色々と踏まえた上で清人丸を生きている。 小さな手に小さな体、小さいけど重い頭なんてものに慣れるのにはもう少し時間がかかりそうだけれど。 「きた、きょうちょうしがいいからさ、すこしにわにでてもいいかな」 「いけませぬ、今日は一日中安静になさって下さいまし」 「すこしだけ、だから」 「いけませぬ」 「…、ぼくこのままいたら、かびがはえてしまいそうだよ」 「何を言われても駄目でございますよ」 一切として首を縦に振ってくれない喜多にむーん、と少々落ち込み気味になる。この時代ではたった少しの風邪でも死んでしまうことがあるらしい。らしい、と言っても実際にドラマや文献などで見る限りそれは確かなことで。 現代の特効薬と言われる薬たちはこの時代の人たちに限らずどの時代でも本当に奇跡に近い…否、奇跡と言える代物なのだろうな、とぼんやりと思ってしまう。 清潔な環境も満たされた健康的な食事もこの時代にはないものばかり。 だから僕が大丈夫だと思っていても所詮それは未来の技術があったからこそ成り立っていたことであって、ここではどうなるかわからない。 というよりいくら致死性が低い病気であっても僕のような先天的に体の弱い者がかかったならばその死亡率は瞬時に最高にまで達してしまうのだろう。 だからこそ、僕のような虚弱体質はとても心配され、また一方では非常に疎まれることが多い。それが跡を次ぐかもしれないお家の男子ならば尚更だ。 …まぁ、それを含めたとしても喜多や今の両親、城の者たちの場合は少し心配しすぎなような感じもするのだけれど。 それはそれで気恥ずかしいようなむず痒いような、それでいてぽっぽっ、と胸の辺りが温かくなるのも確かだ。 「…そのようなお顔をなさらないで下さい。私も辛いのでございます。ですが清人丸様のご容態にもしもの事がと考えると、喜多めは自分自身を許せないのでございます」 「、きた」 「私だけではありませぬ。父君であらせられる殿や、母君であらせられる義姫様はもちろん、私を含む城中の者が悲しみ嘆きます。貴方様はとても大切な方なのですよ?…もう少し自覚なさって下さいませ」 そう言って喜多はいつもきりりっとあげた眉を八の字に下げ、少し悲しそうに笑いながら僕の頭を優しく優しく撫でる。 温かく、そして優しく撫でられるという行為はそれこそ前世の大好きな《母さん》を沸騰させるもので。じわり、じわりと涙が出そうな双眸を軽くつむることでその波をやり過ごす。 ことあるごとに昔の記憶を思い出し今の時代の出来事に重ねてしまうのはなんとも情けないことだと思いはするが、思い出さないようにするためにはいまひとつ、時間がまだ足りないような気もする。 ポンポン、と頭に手を置かれ撫でられるという行為に慣れてしまったこの小さな身体はそんな喜多の行動を何処かホッコリとした気分で受け止めてしまう。 いたたまれない、恥ずかしいという感情が沸き上がるのも確かなのだが、なかなかにこの行為は小さな子供にとって安心する行為であるらしいから。 「、きょうは、やめておくよ」 「…はい、そうして下さいな」 「ふふ、うん。へいき」 「…清人丸様」 「ん?」 「申し訳…ありませぬ」 「、きたはあやまらなくていい、とうぜんのことだからね」 だからこんなに温かい人が悲しそうな顔をするのはまた違った意味で辛いものだ。 確かに僕はイレギュラーだけど、ここの人たちはそんなことを知らず体全てを使ってこんな弱々しい僕に心配であると、大切であるという感情を向けてくれる。 《俺》も《僕》もそんな感情を向けてくれる人たちをただ素直に《愛しい》と思える。その心は思いは本当だから。 「ありがとう、きた」 前世での《俺》の母さん、父さん、弟達。 確かに貴方たちと別れてしまったことはとてつもなく苦しい、辛い、淋しい。柄にもなく泣き崩れ叫び出したい位には今の《俺》は不安定なのかも。 こんなこと前世では考えられなかったからなぁ、病院でもこんな気持ちにならなかったのにね。 きっとこんなセンチメンタルになってしまうのは別れ方が別れ方なのだとは思うよ、《俺》にとってもとても衝撃的なことだったからね。 でもあまりクヨクヨ、後ろ向きでいられないのも確かです。この時代で、《僕》を《清人丸》として愛して大切にしてくれる人たちがいます。 だから《僕》は生きます、この清人丸という命で。体は前世で生きていた頃より遥かに弱くて医療技術の全く栄えていないこの時代で何処まで生きれるかはわからないけれど。 生きている間は前向いて背筋を伸ばして笑顔で、今度こそ「何気ない人生だったけど幸せでした」って思えるように生きていきたい。それもきっと自分自身の気の持ち用なんだと思うから。 「では気を取り直して数遊びでもいたしましょう!」 「、う、うん」 でもやっぱり子供扱いを抜けることが何よりも重要な課題で最大の目標であると感じる今日この頃であります。 |