「…な、いて…いました…」
「…泣いて、いた?雛鳥がですか?」
「…かえりたい、て…はな、れたくない、て…さび…し、いて」
「……」
「そ、れが…すごく、すごく…かなし、かった…」

息苦しくて途切れ途切れになってしまう言葉。幼稚でいて子供の戯れ言だと思われるような言葉だけど、でもなんとなく、きちんと言わなければと思う。
ケホケホと咳き込む度に体を優しく叩いてくれる喜多の腕の中が安心する程に優しくて。思わずふわりと頬がゆるみ微笑みの形を作った。

「とりに、う…まれたんで、す。たくさ、ん…、た、くさんあい、されて…とば、なきゃ…」

鳥は飛ぶべきだ。そう、飛ばなければいけない。せっかく人間では成し遂げることの出来ない素晴らしい存在に生まれることが出来たんだから。
その青に愛される存在に生まれ、思いを遠く彼方へと馳せることが出来るんだから。

「そらを、とんで…ほし、かったの…で、す…」

今はまだ飛べないかもしれないけれど。まだまだしわくちゃで醜い姿かもしれないけれど。餌を貰わないと生きていけない小さな存在だけれど。
空を飛びまわっている彼らのように。腕をめいいっぱいに広げて、胸を張って風を切って前を見据えて。
飛べるはずの羽があるのだから。この大きくてどこまでも青く遠い空を飛べる日が来るのだから。自由の名のもとに生きていけるのだから。

「…うら、や…まし、でしょ…?」

空を飛べない人間が地を走るように、地を走れない鳥に与えられた希望、空を飛ぶという自由の素晴らしさを知って欲しいという思いがある。そして感じられる“蒼”の偉大さを。人間が一生を通しても感じることの出来ぬ最果ての自由を感じられる羨ましい生き物に生まれたその幸せを知って欲しいではないか。

「清人丸様…」
「…ね、あ…とね、みんなは…しってる、かな…」
「…清人丸様?」

でも、もう一つ。そうもう一つ。そんな思いと一緒に馳せた思いがある。人間に生まれた僕がそんな鳥たちと一緒に空に馳せた思いが一つ、ある。

「とり、てね…ほねのなか…すかすかなの…」
「…」
「か、らだをかるく、して…そらをとべ、る…よ、に…」
「…、清人丸様」

前世で聞いた気がするような朧気な記憶。確かかもわかないあやふやで微睡んだ眩しい記憶。その中にそう、そんな記述があった。
極限まで軽くなった身体。浮かせるためだけに、飛ぶためだけに出来た身体、進化した身体。
鳥を見て、そんな記憶が蘇ってきてちょっとだけ、思ったことがある。もし僕のこの虚弱な身体の骨が空を飛び回る鳥たちと同じようにすかすかになって、今よりも軽く軽くなったなら。

「…そら、とべる、かな、て…」
「…清人丸様…?」
「ねぇ、きた…ぼく…とりに、なり…たい、て…おも、たの」
「…っ清人丸さ…っ」
「とりにな…て、そしたら…そ、した…ら…」

ゆるり、と腕を伸ばす。空に、空に届けと願って。

「(、ちいさいなぁ…)」

なんて小さな手なんだろう、なんて短い腕なんだろう、なんて脆い弱々しい身体なんだろう。
いっぱいいっぱい思うことが溢れ返ってきて、思わず目の前がぼやけてくる。やっぱり年かなぁなんて冗談を頭の中で唱えながらもホロリ、と涙は流れてくるようで。
ああ駄目だ駄目だ、こんな弱いままでは空には届かない、最果てなんて飛んで行けない。こんなに弱い身体と心では、あの子たちのもとに帰って頭を撫でてあげることが出来ないではないか。

「と、りに…なりた、いなぁ…」

あぁ羨ましいなぁ、空を飛べる鳥が羨ましい。羨ましくて、妬ましくて、それ以上になんて美しい存在なんだろう。

わかっている、この思いもこのわけのわからない感情もゆらゆらと燻っている心が浮き上がってくるのも夢を見たせいだ。
でも諦めることが出来ないんだ。何度思い直そうと、何度心を入れ替えようと決心しても、ふとした瞬間によみがえって溢れ出す悲しい、寂しいという心が薄れてくれないから。僕がした決心をゆらゆらと鈍らしてしまう。

《俺》はあの時確かに死んでもういないのに、《俺》の存在はもうあの世界には必要なんてないのに。ない、はずなのに。

「…っ」
「…ごめ、ね…きた…」

きつくきつく、息が止まりそうな程に抱き締めてくれる喜多の腕の中、くしゃり、くしゃりと涙が溢れる。
鳥になりたいなんて何という夢物語なんだろうか。まるで子供染みた妄想の中で生きているかのようにまで思えてしまう。前世で言えば厨二病というやつだろうか、精神年齢は三十路なはずなんだけどなぁ、なんて。
でも木に登り、今までにない程空に近付けたあの瞬間確かにただの一瞬でもこの身体の全てがあの青にとけこむかのような錯覚に陥ったのもまた事実で。

「清人丸、様…っ」

喜多は、思う。周りにいる女中たちも、清人丸の話に静かに耳を傾けていた基信さえも目を見張り、喜多の中で目を閉じ涙を流す幼子の姿に不安や焦がれを覚える。

この子はなんて優しい子なのだろうと。
なんて愛しい子なのだろうと。
なんて哀しい子なのだろうと。
何でこれほどまでにも胸が締め付けられる。何でこれほどまでにも泣きたくなるのだろうと。

基信はぼんやりと空を視界に入れ蒼を見る清人丸を何処か泣きそうな顔で見、伸ばされた小さな手をとり、優しく抱き込む。
喜多はおさまることを知らぬ涙腺に、流れ続ける涙はそのまま清人丸の眺め続ける空を、“蒼”を見上げる。何処までも遠くて何処までも広くて、なのにその色は自身たちを優しく包み込む位深くて、暖かくて。

まるで清人丸自身のように。いつか清人丸を連れていってしまうかのように。
愛しいはずなのに。愛しくて愛しくて共にあるだけで幸せであるはずなのに。どうしようもなく哀しくて哀しくて、胸が締め付けられて。
この感情をなんというのだろうか。この愛しくも哀しい、縋りたいのに届かない果てしないこの気持ちはなんだろうか。

ボロボロと涙がさらに溢れだす。基信を見ればまだその小さな手を優しく優しく、まるで仏に祈るかのように強く握りしめている。
彼も感じていたのだろう。だからあんなに焦がれるかのように目を瞑るのに哀しそうなのだ。

誰もが思った。清人丸がくしゃりと泣いた瞬間に。愛されて欲しいと言った瞬間に。鳥になりたいと言った瞬間に。この子が、手の届かない遥か遠くに行ってしまうと。
いつもの優しい、幼子とは思えない包み込むような笑みをたたえたまま涙を流して、泡沫のように儚く消えてしまうと。自身たちの手の届かない場所に行ってしまうのだと。そう思わずにはいられなかったのだ。

風がそよそよと流れる。清人丸の長く綺麗な髪がサラリ…と揺れた。

「…そう、ですか」

ポツリと、清人丸の小さな手のひらを握り込んだまま基信は呟く。けれどその声に先ほどまで見られた厳しさはなく、何処か弱々しい雰囲気があった。

「…えんど、さ…?」
「、基信とお呼び下さいな、清人丸様」

そしてそれを敏感に察知し、先程とは違う基信に清人丸はぼんやりとした表情の中どこか心配そうな感情を見せ、その頬を傷だらけの指で優しく撫でる。
その行動に一瞬ピクリとなった基信がゆっくりと顔を上げればそこには相変わらず目尻に涙を溜めた穏やかな目をした優しい幼子の姿。
ボロボロで、着物は破れて、血は流れて…あぁ、なんて痛々しい。
けれどそんな姿になっても直も変わらないこの優しい雰囲気は胸を締め付けるような不安を浮かばせる。けれどそれ以上にどうしようもない愛しさを生んだ。

「…鳥になっては駄目ですよ、清人丸様」
「…、え」
「清人丸様が鳥になってしまったら、殿も奥方様も喜多殿や女中、勿論私だってとてもとても寂しい」
「えんど…、もとのぶ、さ…」
「はい、清人丸様」

ふわり、ふわりと微笑む基信に清人丸は目を見開く。そのまあるい、零れそうな瞳からホロリ、と一粒落ちる涙。

「さび、し…?」
「はい、寂しいです。いっぱいいっぱい、泣いてしまいますよ」

子供っぽい表現で紡がれる言葉はまるで寝物語のようにジワリ、ジワリと浸透していくよう。その柔らかくも穏やかな心地にまたホロリ、と清人丸の瞳から涙が溢れる。

「そ…、か…」
「はい、そうです」
「…ぼ、く…さびし…い、みたい…」
「大丈夫ですよ、喜多殿も私も皆みんな、傍にいるでしょう?」

ねぇ、と柔らかく柔らかく、包みこむかのようにして紡がれる言葉たちにホロリ、ホロリと流れる涙。清人丸は自身の頬に置かれた大きくて、豆ができてゴツゴツする…けれどなによりも暖かいその手に頬を緩める。

「…、うん…」

人間とは、暖かい。だからこそ不安になる、求めてしまう。確かに暖かい周りに感謝はするけどでも、自身の抱き締めてあげたい存在に会えないという事実はやはり、燻り続けるのだろう。

「(あいたい…)」

何度願っても叶わない思いばかりが渦巻いて泣きたくなった。

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