暑い暑い猛暑日と言われるような日だった。クーラーが故障して使えない教室で、汗を流しつつだらけたままに授業を受けていたお昼をちょっと過ぎたくらいの頃。
珍しく真面目に授業に出ていた俺と馨を呼び出したのは不自然な程真っ青な顔色をした担任教師。何事だと興味津々なクラスメイトたちの視線を背中に感じながら廊下に出た俺たちに担任がは、と小さく息をついた。

「お兄さんが事故に巻き込まれた。落ち着いて、帰る準備をしなさい」

頭が真っ白になった。









黒いリボンがかけられた黒ぶちの写真たて。その無機質な囲いに埋められた穏やかな笑顔はありきたりではあるが、その性格を表すかのように何処までも優しい目をしている。

「うっひっく、…千春、ちゃん…っふっぅ…」
「…、千春」
「…にぃ、さん…っ」
「……」

参列している大学の関係者の人たちであるとか、今まで顔も合わせたことのないような遠くの親戚どもとか。皆真っ黒な喪服と言われるものに身を包みハンカチで目から零れる涙を拭う。
鳴咽や鼻を啜る音、時折零れる会ったこともない人たちの名前。沢山の黒ぶちの写真たちを前にして坊さんが木魚をたたき、つらつらと静かに静かに耳に残るようなお経を唱えて。

普通の葬式だった。普通の、人が亡くなったら行うような伝統的な葬式の形式。
ただ普通と違うのは複数ある黒ぶちの中の写真たちが皆若く同年代であろうことと、その前に置かれた棺桶の中に誰一人として綺麗な原形を留めたような骨がほとんど入ってはいないと言うこと。その中の一つである兄貴の棺桶には骨処か遺体すら、ない。

「…なんで」

なんで、なんでなんでなんでなんで、…何故。

「な、んで…っ」

なんで兄貴だったんだと、理不尽で不条理な現実に疑問を投げ掛ける。何度も何度も無駄だとわかりながらも何度も問いかける。なんで他の知らない誰かじゃなくて兄貴だったんだと。どうしていつも笑顔で泣きたくなる位優しい優しい大好きな兄貴だったんだと。

「光?どうした、兄ちゃんに話してみな」

思春期特有の馬鹿みたいな思考に飲み込まれて馨と喧嘩して、周りの全てが嫌になってああ死にたい、なんて思ってしまったときも兄貴がいたから生きようって思った。ボロボロと顔からでるものを全部垂れ流した状態で、兄貴の病室を一人で訪れた俺の話をそっか、と静かに聞いてくれて。最後には涙や鼻水でグチャグチャな顔を服の裾で拭いながら滲むような笑顔で言うんだ。

「お前は優しいなぁ」

目を細めてじんわりと温かくなるような笑顔で皆も兄ちゃんもそんなお前が好きなんだよ、ってこっぱずかしい台詞を穏やかに本心で言うもんだから思わずこっちもほだされちゃって。

病院のベットの上で、冷たい無機質な器具たちに囲まれて。薬の副作用のせいで体が余り動かせないっていうのに、俺たちが行く度に本当に嬉しそうに貰ったであろうお菓子や果物を広げていっぱいいっぱい、でろでろに甘やかして。いつもいつも自分のことは後回しで。

「あ、にき、っ兄貴ぃ…」

何でかな、俺は兄貴が泣いた姿を見たことがないよ。それ処か兄貴が怒った姿も悲しんだ姿も辛そうな姿も何も見たことがないんだ。家族なのに。兄貴に1番近かった存在のはずなのに。ただの一度だって兄貴の弱気な姿をみたことなんてなかった。

いつも笑顔で。ずっと同じベットの上で何もすることなんてないのに…苦しいことしかない、はずなのに。何がそんなに嬉しいんだって楽しいんだって聞きたくなる位いつもニコニコニコニコ。どこの孫を甘やかす爺さんだ、なんて。馨と一緒に照れを隠すために拗ねた様を装って話してた。

「…なぁ馨」
「…」
「兄貴は、幸せだったのかな」

いつも思ってた。いつも感じてた。兄貴は本当に幸せだったのかなって。
小さい頃から至って健康で、外で思いっきり走り回って遊んでた俺たちと違って小さい頃から入院ばかりを繰り返していた兄貴。走ることも同年代の奴らと遊ぶことも、何一つ普通にすることは出来なかったって聞いた。

「俺だったら笑うことなんてできねぇ」

ただ一人、取り残されるみたいに皆が走っていく後ろ姿を見送って。どうして皆と同じことが出来ないんだろう。どうして自分だけこんなに多くの薬を飲まないといけないんだろう。どうして自分は走ることが出来ないんだろう。どうして、どうして。
蜿蜿とそんなことを繰り返し繰り返し思って、でも結局何も出来ない自分に焦れて焦れて絶望して。
恨むかもしれない。なんでこんな体に産んだんだって。妬むかもしれない。どうして皆はそんなことが出来るんだって。色々たくさんたくさん様々なことを思って、でもやっぱり最後には。

「…自分を責めるかもしれない」

皆と自分は違うのだと自覚させられるんだ。皆はできるけど自分は出来ないなんて、無理にでも言い聞かすんだ。
皆は食べれるけど自分は食べられない。それは当たり前のこと。皆は笑えることでも自分は笑えない。それも当たり前のこと。だって自分は違うのだから。皆とは、違うのだから。

きっとそうやって卑屈になっていって。そして最期にはきっと卑屈な思いを抱いたまま死んでいくのだろう。初めから予定されてた通りに死ぬことが、当たり前みたいに。

「…、でも」
「…」
「…でも兄さんは笑ってたよ」

そう。あの人は笑ってた。いつも笑ってた。皆と遊べなくても、一人ベットに寝ることになっても、走ることも好きなことをすることも何も出来なくてもいつも“笑顔”で。

「…だからだよ」

だから、あの人が“そう”だったから。

「何より、幸せでいて欲しかったんだよ…っ」

人の幸せなんてそんなに簡単に言えるものではないけれど、でもそれでも願っていた。切実に心の底から幸せであってと。
病院の質素な食事だけじゃなくて、もっと色んな美味しいものを食べて欲しかった。病室から見える固定された景色だけじゃなくて、もっと色んなことを見て欲しかった。
駅前にできたケーキ屋でも、俺たちが友達とよく一緒に行くゲーセンでも。カラオケでも、コンビニでも、ファミレスでもバッティングセンターでも。場所は何処でもよかった。今の人たちが当たり前に行って、気軽に遊べて、次の日にはそんなとこも行ったな位しか思わない所でも。兄貴と“一緒”に、行きたかった。

「あ、にきが…っく…いやな奴なら…っよかっ、た…!」

皆が恨んで嫌って嗚呼、亡くなったんだね、なんて非常にも思えるような嫌な奴だったなら。

「な、んで…っなんで、な…で…っ!」

そうじゃないから苦しいんだ。そうじゃない、皆がいつまでも一緒にいたい、長生きして欲しいなんて思える位優しくて温かくて愛しい人だから。こんなにも別れが辛い、悲しい、寂しい。離れたくないと心臓を掻き毟りたくなる位に心がボロボロに軋んでいく。



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