僕には“前に生きていた時の記憶”というものがある。前に生きていた時僕は私で、とても厳しいお家の子に生まれた。毎日毎日お稽古ばかりでろくに友達と遊ぶこともしないで、常に礼儀正しくありなさい、女の子らしくありなさい、スポーツなんて野蛮なことはしないでおしとやかで。髪も伸ばして身綺麗にして、年頃になったら良縁を組んで女としての幸せを。
それはとても窮屈で詰まらなくて、でもその頃の私はそんな感覚を当然のことだと認識してなんの疑問も持たずにその通りに生きていて。そしてこれからもそんな凝り固まった人生を歩むのだと思っていた矢先のこと。いったいいくつのときだったか、気付いたら病気なんてものにかかりあっという間にその人生を終わらせ僕になってしまった。

勿論困惑や不安や焦燥が確かにあったのだと思う。でも何を切っ掛けにしたのだろう、何を切っ掛けに思ったのだろう。生まれ変わって性別が変わっていたからか。縛られていた女の子という形でなくなって、厳しくも比較的何でもやらせてもらえる家に生まれたからか。気付いたらなにかが、爆発していた。

「ぼく、バスケがしてみたいんです」

僕が私であったときに見たアニメ。確か電気量販店に並んでいたテレビに流れていたものだと思う。そのアニメの題材であるバスケに私はふと、興味をもっていかれた。
勿論その頃と言えばスポーツなんて欠片ほどもやらせてもらえることはなかったし、自分自身も特にやりたいという思いはなかったけれど。でもそのアニメに出てくる技を見て、世界にはこんなことができる人が本当にいるのだと心を沸き立たせた思いは確かに覚えている。
だからだろう、何でもできる僕になったと知って、何でもできる自分になったと知ってあぁやりたいと、ただ思った。

「(ボールって、こんなに重いんだ…)」

はじめはただドムドムと、ボールに触れることだけが楽しくて。ついてついて確かこんなことをしていたな、とかテレビではこんな動きをしていたなとか。技名とかルールとかそんなの詳しくも知らないまま衝動的にただボールに触れることが突くことが楽しくて。
いつしか近所にあったストリートにいきゴールにシュートが入ることに感動を覚え。
何処からいれたら楽しいだろう、何処から入れられたら嬉しいだろう。そんなことばかりを思って毎日毎日バスケをしていた。
楽しかったのだ、とにかく。出来ないことをやれる、こんなにも楽しいことがこの世にあった。楽しい、楽しい楽しい!!

1日がもっと長くあればいいのに。ボールに触れる時間がもっと増えればいいのに。何で人間の体って寝なきゃいけないんだろう、ご飯を食べなきゃいけないんだろう。その時間を使ってバスケを出来たらいいのに。そしたらもっともっといろんなことが出来るようになって今よりもっとバスケが楽しくなるのに。

「スポーツマンは体が資本でございますよ」

だから体の成長に合わせた筋力トレーニングとしっかりとした食事、睡眠を、と。
お抱えの医者に言われそうか、と。大好きなことを続けるために、楽しいことをより楽しくするためにはまず基礎をしっかりとすればいいのかと。私として色々な記憶があったからだろう、理論に基づいたその考えをあっさりと納得してしまった僕はいわゆるスポコン漫画というものを参考にしながら体力作りを始めて。それすらも楽しみながら色んなことを吸収して、出来ることが増えることに快感を感じて。毎日が余計に輝いたものになった。

「おまえ、バスケうまいな!」

俺とバスケしようぜ!とあるときストバスで練習をしていたとき声をかけてきた男の子。名前を幸男くんといった。

「いつも一人でバスケやってるよな、たのしい?」
「?たのしいよ?」
「ふーん…でもバスケってチームでやるもんなんだぜ」

それに相手がいた方が楽しい!と答える彼の言葉にぱちくり、と目を瞬かせる。これまでボールに触れるのが楽しくて色んなやり方でシュートが打てるのが楽しくてそれだけをただ続けていたけれど、そうか。確かにバスケとはスポーツだ。そしてスポーツには対戦がつきもの。相手がいることは当たり前だ。

「(“私”のときに人に関わることが少なかったからすっかり失念していた…)」

その日から私のバスケの練習がかわる。ストバスに来ていた大人たちの中にまじりただただ走り回った。

「(すごい、相手がいるだけでこんなに違う…!)」

対格差のある相手、力もボールの届く範囲もまるで敵わない。それでもボールは手放したくない。最後まできちんとあのゴールのもとに届けたい。ならば相手をかわせばいい。ボールをとろうとしてくる相手にフェイントをかけたら脇は抜けられる。下からくるなら上に飛べば良い。上から来るなら脇にだって道はある。パスも回せばボールは渡るし、相手が自身から離れた瞬間にゴールのもとに走り抜ければわかっていたかのようにボールは手元に戻ってくる。
楽しい、楽しくて楽しくてたまらない。こんなにも楽しくて仕方のないものがあるなんて。こんなにも大好きなことが毎日できるなんて。

浮かれていた。今まで出来なかったことが出来る。相手を翻弄することも色んなやり方でボールを生き物のように操ることもできる。全てが楽しくて、全てが幸せに満ち溢れていて。
だから気付かなかった。同年代の子達が自身との力の差に気まずい思いをしていたことも。高校生の子達が自身でさえ気付いていなかった天賦の才に劣等感を抱いていたことも。大人たちが常軌を逸した自身の力に畏怖に似た感情を抱いていたことも。

何もきづかなかった。



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