君のためならと
真っ青になった顔で私を見つめる瞳には絶望と驚愕が広がっていた。
戦場での邂逅。此処まで静まり返った場面に遭遇したことがあっただろうか。
少し歩いた場所で繰り広げられた戦場特有の声が聞こえないぐらい耳元で耳鳴りが聞こえる。
それなのに、
「翠蘭…何故…」
そう呟いた彼の声はとても鮮明に聞こえ、私は苦笑する。
「見たとおりですよ。君は蜀の逸材、趙子龍。私は魏の一般卒兵、翠蘭。ただそれだけです。」
「…じ、冗談は止さないか。君は昨日まで――」
「"蜀の将軍だった"と言いたいのでしょうか。"味方だった"とかですか?」
「……"私の恋人だった"ろう?」
「なる程…それは……困りましたね。」
鋭く問い質す彼の眼孔が私を穴が開かんばかりに見つめる。
私は正面からソレを見れずに、考えるふりをして俯く。
顎に添えた右手が小刻みに震えている。
嬉しい。とても嬉しい。
彼が私を"恋人"と…"愛すべき人"だと言ってくれたのだ。コレほど嬉しいことなんてきっと無い。
彼の傍に居ることは叶わなかったが、私は今とても幸せだ。
つい、顔が綻んでしまう。
「その答えは否、かな。私はもう蜀軍でも味方でも…"恋人"でも無い。」
「翠蘭っ…!」
「けれど、」
一旦言葉を切ってから趙子龍を見つめる。彼の悲痛な叫びがその眼差しから伝わって来る。嗚呼、駄目だ、微笑んでしまう。
「今でも君は私の"愛すべき人"に変わりは無い。」
「…っ……」
「だが、君は私をもう愛してはいけませんからね。」
縋りたくなってしまうから。
「翠蘭…もう戻れないのか?」
「……」
無言で踵を返した私の背に彼は問いかける。私は足を止め、彼を振り返り、ただ笑った。
「好きだよ。子龍。」
もう振り返れない。
もう彼を見れない。
涙で視界が歪む。
嗚呼、こんなにも好きだから。
君の為なら私は戦える。
例え相手が君であろうとも。
end.
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