あれがたべたい
貴方たちは、
「あれがたべたい。」
そういって、少女にテレビの向こうのライオンを指さされた時の気持ちがお分かり頂けるだろうか。
少女は純粋無垢に、「あれがいい。」と指をさす。
その眼に見つめられながら、冷や汗をかきながら、弁論する。
「あれは食べられないんだよ…?」
「どうして?牛さんやブタさんはたべてるよ?」
「あれは食べちゃいけない動物なんだ。」
「どうして?」
来たよ、幼児特有の「どうして」攻撃。
屈折二十年、今まで生きてきた中で、まず幼児に話しかけられたことなんかないし、ましてやライオンを食べたいなんて普通に生きていても経験しないだろう。
此処は病院の待合室。
体調を崩した母親の見舞いの帰り、用があると医師に呼び止められ、待ってる間に俺は少女に窮地に追い込まれていた。
「偉い人がそうやって決めたんだよ。」
「えらい人って?」
「総理大臣より偉い人だよ。(多分…)」
「ふーん…」
納得したのかしてないのか、微妙な表情で少女は画面の向こうのライオンを見つめる。
早く母親か誰かに連れて行ってほしいところだが、一つ訊いてみたい気もする。
「なんでライオンを食べたいの?」
「ライオンさんはつよいから。」
「?」
疑問符を浮かべる俺に、少女は今にも泣きそうな顔で説明する。
「パパがね、おびょうきなの。ゆりはパパが大好きだからパパに元気になってほしいの。そしたらママがごはんをたべたら元気になるっていったから…」
「それで強いライオンをお父さんに食べさせようと?」
少女は頷く。
「つよいライオンさんをたべれば、パパもつよくなるかなって思ったの。」
俺はうるんだ涙腺を抑えながら、少女の話に頷く。
…なんて健気な子なんだ!
周りで話を聞いていた人たちもほっこりとした笑顔で少女を見つめている。
しかし、少女は困った表情を顔に浮かべていた。
「どうしたの?」
「ライオンさんがダメなら、パパ元気になれないよ。」
少女の呟きに、さらに涙が出そうになる。どこまでいい子なんだっ!
「じゃあ、ライオンさんの代わりにお父さんが元気になる方法を教えてあげようか。」
そういって俺が微笑むと、少女は目を輝かせながら、俺を見上げる。
「なになに!?」
「最強のおまじない。」
「おまじない?」
「パパのところへ行って、一言、『早く元気になれ』って、言ってあげるんだ。」
「それだけ?」
「それだけ。でも、絶対に効くおまじないだよ。」
俺がウインクをすると、少女は零れんばかりの笑顔で「ありがとう!」と言って、さっそく父親のもとに向かったのか大急ぎで去って行った。
周りからは、「やさしいねえ」という温かい眼差しを向けられ、案外…いや相当悪い気はしなかった。
少女と別れて数分後、神妙な面持ちの医師が俺の名を呼ぶ。
告げられる内容は俺の残り時間。
けれど、なんでだろう。
『ありがとう!』
今はとっても清々しいんだ。
あれがたべたい(こちらこそありがとう。)
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