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社会人






「よう、久しぶり!」


「!貴方は………」




俺が上京して職に就いてしばらく日にちが経った頃だ。夜仕事帰りアパートに戻る途中思いがけない人物に出会った。Tシャツにダメージジーンズというラフな格好の彼は、何年経っても変わらない笑顔で俺に手を振る。



「綱海………さん?」


「はは!何で疑問系なんだよ!…よかったよ、忘れられてたらどうしようかと思った」


「そんなわけ……」



そんなわけ、ない。何年越しかもわからない片思いの相手を、俺は一日も忘れたことがない。



「まぁ、感動の再会したばっかで悪いんだけどよ。いきなりなんだけど…一晩お前の家に泊まらせてもらえねーかなーと思って」


「俺の家…ですか?」


「駄目か………?」



そりゃあしゅん、と眉を八の字にして困った表情をされたら、泊めないわけにはいかない。何よりこんな都会の夜にぽつんとこの人を置くわけにはいかないし、大人になって色気を纏って美人になった彼を見て、また昔みたいに話がしたいと思ったのだ。別に、下心があるわけではない。



「いいですよ。一人暮らしなんで狭いアパートですけど…それでいいなら」


「本当か!?じゃあ有り難く泊まらせてもらうぜ!いやー野暮用があったんだけど明日になっちゃってさ…」


「ええ、どうぞ構いませんよ。ここから五分位です」




それからは他愛のない話に華を咲かせてアパートまで向かった。古い安いアパートの一室に彼を招いて電気をつける。と、目に飛び込んできたのは彼の左手の薬指に光る指輪だった。


「………!」


一瞬にして息が詰まる。何故、とは考えない。性格の良い彼のことだ、結婚なんてすぐに出来るんだろう。しかし、本物の片思いを思い知らされたことは心に重くのしかかっていた。気持ちを誤魔化すために、ポケットの中をまさぐって煙草を出し、火をつける。すると彼が小さく「えっ」と声を上げる。




「お前……煙草吸ってたのか?」


「あ、はい。そんなに強くないし、時々しか吸わないんですけど。」


「………そっか、もうそんなに歳とっちゃったのか。俺たち。」



少しだけ寂しそうな表情を見せた後、彼はお土産か何かか、高そうな焼酎を出してちゃぶ台に置いた。聞けば彼は今サーフィンを教える仕事をしているのだと言う。彼らしい、と心中で微笑んだ。



「んでさー、教え子にすっげえサーフィン上手くなった女の子がいたわけ。その子が俺に教えられるのやめた時に、この指輪を貰ったんだ」


「え?じゃあ教え子さんと結婚したんですか?」


「え?結婚なんてしてねえよ。俺独り身だし。」


「……え?」



二人して疑問に満ちた顔で見つめ合う。改めて指輪をじっと見る。うん、確かに左手の薬指にしてる。でも彼が嘘を言っている素振りは見せていない。つまり……。



「綱海さん。知ってましたか?左手の薬指に指輪をするのは既婚者だけなんですよ」


「………へ?」



彼がぽかんとした顔をして理解した。やっぱりか、知らなかっただけか。あんなにびっくりして、がっかりしたのに。



「だから、するんだったら右手にした方がいいですよ」


「うっわー…まじかよ、かっこわりい」


焦りながら右手の薬指に指輪をはめる姿は、昔の彼と重なった。昔から恋愛とか色っけのある事にはとことん疎くて、いくらそれらしく言い寄っても全く相手にされなかった。そこも、たまらなく好きだったけれど。
……彼は、変わらない。焼酎を二人分注ぎながら俺は笑った。嬉しくて、幸せだった。



「なあ、立向居は結婚しねえの?付き合ってる子とかさあ」


「そんなのいませんよ。だって働き始めてまだ1ヶ月も経ってないのに、付き合うなんて早過ぎるじゃないですか」


「そうかなぁ…そんなもんなのかなぁ…。折角いい男になったのに、勿体ねえよな」



いい男に。心臓がどくりときたが、つまりは何も意識されていないのだった。複雑な感情に、自然と眉間に皺が寄る。それを見て彼は一瞬きょとんとし、すぐに太陽のような笑顔を見せてばしばしと俺の頭を叩いた。



「………綱海さん、俺もう23なんですけど…。」


「大丈夫だ立向居!お前ならすぐに彼女できっから!」


「いや、俺はいらないです……。」


「いらねえの?」


「はい」


「……ならしょーがねえよな。押し付けがましくできねえし」


「好きな人はいるんですけどね。」



俺は言ってすぐに後悔をした。やばい。言ってしまった。酒が入ると饒舌になってしまうことをすっかり忘れていた俺はべらりと口に出してしまったわけだ。




「お前、好きな人いんの?」


「…………えと、」


「なのに、彼女にしたくないわけ?」


「………彼女に出来ないというか、その」


「奥手過ぎんだろお前ー!」



ちゃぶ台をだんだん、と叩く。彼も相当酒が入っているようだ。顔をよく見ると目の下が赤い。今なら、言える気がする。酒を飲んでいない時の俺が見たら死にたくなるであろう考え方のまま、俺は突っ切った。




「だから、彼女に出来ないんです。好きな人は…貴方なんで。」


「いや出来るだろ!だって俺………え?」



長い沈黙。彼はちらりとこちらの顔を見ると考え込んでしまった。



「………俺?」


「はい」


「え、俺?俺?」


「はい、」


「…………俺…。」



彼は相当悩んでいるようだった。そりゃそうだ。まさかこんな展開になるだなんて思いもしなかっただろう。うんうん考え込んでから彼はうわぁ、と間延びした声を出した。



「考えるのめんどくせ…なんかお前も可愛いところあんなぁ」


「かわっ………!」


「何となく解るよ。俺恋とか全然わかんないから、お前大変だったんだろー」


「まあ、少しは……」


「はは、片思いお疲れ様」




そうやって頭をがしがしと撫でるところは昔からずっと変わらない。温かくて大きな手のひらは、南国の海を想わせた。

俺、今世界で一番この人が好きかもしれない。家族とか、友人とか、愛する人全てを越えてこの人だけを想いたいと思ったのだ。あの時はただ、がむしゃらに彼の背中を追いかけて彼にぎこちなく笑って、彼が好きということに一生懸命だった。
子供だったのだ。年端もいかない、ただの子供だった。




「綱海さん」



「ん?」



「ずっと、ずっと好きでした。でも今は違います。」


「えっ…………」



少し衝撃を受けたような顔をした彼に薄く微笑みかけながら目を閉じた。




「俺は今は、愛していますから。」




手にとって口付けた彼の手は、とても熱かった。













‐‐‐‐‐‐‐



「立向居さぁ、俺とおそろいの指輪買えよ」


「はい?」


「お前が左の薬指につけたら俺も左の薬指につけてやっから」


「えっ…………!!」




まだまだ夜は明けそうにない。


















たっつな好きだー



















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