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社会人





「煙草吸わなくなったらヤってもいいぜ」



真夏の夜だ。仕事から帰ってきてソファになだれ込んでビールを喉に押し込む。汗の伝う白い首と、ビールを飲むたびに上下する喉仏を見ていて、まあそういう気分になったのだ。酒も入っているし、気持ち良いだろうと思いつつ勢いで南雲を押し倒す。その後の一声である。



「俺さ、あんたの煙草吸うカッコは好き。色気あるもんなあ」


私の胸板を指で撫でながら赤い顔でこちらを見上げる南雲は、何とも言えない色情をそそる艶を帯びていた。ごくり、と喉が鳴る。正直早く南雲目がけて熱を吐き出したいのだが、急かすと拗ねて一週間ほど話し掛けられない状況になるので辛抱強く言葉を待つ。南雲は指を下へ下へと移動させながら言葉を続けた。




「でも俺、キスした時に苦いのって嫌だから。愛のあるセックスにキスはつきもの、だろ?だから、職場であんたの煙草吸ってるの見てきゃあきゃあ言ってるOLさん方には悪いけど、吸うのやめてもらおっかなあ」


「…やめたら、私のためだけに喘いでもらえるのか?」


「おうよ、女みたいに喘げるほど若くねえけどな」



伏せたまつ毛の長いこと。この状況下でさえ南雲は体をのばしてとったビールをがぶ飲みしている。余裕綽々である。



「分かった、やめる」


「……………まじ?」


「やめると言ったらやめる」



ぽかんと呆気にとられた顔をして、それからぱっと顔を輝かせて下から首に抱き付かれた。腕が、もたない……。もう歳か、と内心結構傷付きながらも南雲の少し汗臭い髪に顔を寄せた。南雲が私の耳に息を吹き掛ける。ぞく、と嫌な感じのしない鳥肌が立って、その腕をそっと南雲が掴んだ。



「その言葉信じてるからな」



私の頬にキスを落としたあとすぐに南雲は眠ってしまった。それに流されるようにして私もベッドへダイブする。さっきまで欲望が体の中をぐるぐる回っていた筈なのに、すっかり消えてしまっていた。

















次の日会社に出勤すると早くもOLに煙草の指摘を受けた。涼野さん、今日は吸ってないんですね。
全く、きゃぴきゃぴして何も見ていない様に見えるのにおかしなところだけ記憶している。愚かだ。悪戯をしてやろうかと思い微笑みながらこう返してやった。



「恋人が煙草を嫌う人でね、やめようかと思って」



途端OLの隠しきれていない焦りと絶望の眼が映って、笑わないようにするのに必死だった。つくづく私も性格が悪い。そうなんですか。でも私は煙草吸ってる涼野さんの方がかっこいいと思うなあ。お前の好みなんぞ聞いていない。



「そう、有り難う。でももうやめたから。」


どんどん表情を失っていく彼女を尻目に、私は書類の整理に席を立つ。それから私の恋人の噂は瞬く間に広まったようで、OLがこちらをちらちらと見ながら話をすることが多くなった。デスクトップを見ながらため息をつくと、向かいの席の南雲がぶっと吹き出して机に突っ伏して笑っていた。あのね、君のせいなんだけど。



「ほんっとに…あんたは色男だなァ」


「嬉しくないな」


「妬くよなぁ…本当」


「何か言った?」


「別に」




ちらりと南雲を見てもこちらを見向きもしない。伏せられたまつ毛に先日を思い出して複雑な気持ちになった。しかし、まだ駄目なのか。仕事が忙しいからまだいいが、休日はどうしてくれるんだ。色々な意味で爆発するぞ、色々な意味で。





南雲が仕事を終わらせてやりきった笑顔で帰ったあと、私は旧知の仲のヒロトと飲みに居酒屋へ来ていた。ヒロトは正真正銘エリート街道まっしぐらな勝ち組で、私みたいにちびちびと節約をするような小さな器ではなかった。とても変わり者だが頭がやわらかく勉強も出来たのでどんどん上をいった。



「エリートエリートだって皆騒ぐけどね、つまんなくてやりがいもないし嫌になるよホントに。」


「それを世間では贅沢というんだ」


「かもしれないけどねえ…。あ、どうなの晴矢とは」


「煙草やめた」


「……………へ?」


「から、多分もうすぐだと思うんだが」


「風介さーん?」


「というか今週中にさせてもらえないとストレスで禿げる………」


「…何はともあれ煙草やめられてよかったねえ。一時期さあ、風介物凄い量吸ってたよね」


「ずっとあれでいってたら間違いなく数年後には肺ガンになってたな」


「減ったの、晴矢のお陰だったよね」


「あいつもあいつで意外と吸わないからな…。」


「吸うのが風介だから我慢してたけど、晴矢すっごく煙草嫌いだからね。風介の煙草の量減らすのには苦労したと思うよ」


「………嫌いなのか?」


「え、知らなかったの?だって俺は晴矢が近寄らなくなるかなーと思って吸わなかったんだもん。」




知らなかった。そんなに好きな人種でないとは薄々感付いていたが、まさか毛嫌いするほどとは。
あいつはずっとそういう事は避けて会話をしていたのか。キスするとき苦いのは嫌だから。―――。


長い時間をかけて、私の煙草の量を減らしてきたのか。とんだ主婦じゃないか。




「っふ」


「珍しいね、そんな笑い方するなんて。」


「いや…、近々結婚したら祝ってくれ」


「海外にでも行くつもり?俺忙しいもの、勝手にやってよ」




冷たい友人だ。有給くらいとってくれてもいいんじゃないのか?
あ、でも!とヒロトが叫ぶ。カウンターの隣のサラリーマンがびくりとはねた。



「晴矢のウエディングドレス着た姿見たいから行く!」


「やっぱり来ないでくれ」




そうか、結婚式は二人でするか……。一向に減らない焼酎と、隣で水のようにどんどん減っていくリキュール。普段どんな飲み方をしているのか教えていただきたい。



「よォーし!!結婚だー!おめでただー!今日は俺が奢るからじゃんじゃん飲もうか!」


「え、ちょっと、キャラ違う」


「何だ、兄ちゃん結婚すんのかあ?」



周りのサラリーマンが話に入ってくる。すかさずヒロトは事情を説明する。
いやあね、海外行って二人っきりで結婚式するんだって。いいねえいいねえ、兄ちゃんも整ったいい顔してんだから、嫁さんもさぞかしべっぴんさんなんだろうね。
お兄さん方、枝豆食うかい?
外国の何処で結婚式あげるんだい?
未来の奥さんも、そんないい雰囲気で結婚式してもらって幸せもんだなぁ。
うちなんか親父が結婚式に遅れてきて――――。




「……なんか、話がでかくなってないか」


「いいじゃない、するかもしれないんだし」


「…しかしまあ、温かい空間だな」


「たまにはいいでしょ、もっと飲もうか。」


「さぁ皆でお祝いだァー!」



結局その居酒屋にいたほとんどの客と朝まで飲み続け皆して終電を逃す始末。ヒロトにタクシーで送ってもらって少しだけ寝られたのはいいのだが、出勤する頃には頭痛のオンパレードで電車に乗っているときは最悪だった。昨夜あの場にいた人たちは同じ思いをしているのか、と思うと自然と頑張れたが、出社すると向かい側の奴が眉を寄せてこちらを睨み付ける。



「あんたさぁ、どんだけ飲んでたわけ」


「……何で知ってるんだ」


「あんたが飲み過ぎた次の日の朝は大抵そんな顔してんだよ」


「……………。」




流石主婦だ。完璧な観察力。落ち度無し。これは結婚しても気を抜けない。



「んで、それはろくでもない事を考えている顔ね」


「……」


「どうせ飲みにいってたんだろ?誰と行ったの」


「ヒロトと二人で」


「よくまぁあんな大酒飲みと……。だから飲み過ぎんだよ。控えろよ」


(鬼嫁…。)




「あとさぁ」


「なんだ?」


「あんた結婚するわけ」


「…ぶほっ」



その途端フロアから女の声が消えた。やばい、凄く怖い。女の声がしないことよりも、目の前に座っている奴の表情が怖い。修羅場、というか目の前に閻魔大王がいて今まさに品定めをされている気分だ。これはきっと結果はばつだ。落とされる。絶対駄目だと自分でも分かっているのにまじまじと品定めされている。もういい、やめてくれ、いっそ落としてくれ。




「…今度は何考えてるわけ…。」


「なんで、結婚、なんだ」


「OLさん方が騒いでたぜ、近々結婚すんだとよ」



まさか、あの場に…。迂闊だった、会社からそんなに遠くもない居酒屋なのだ。もっと注意しておけばよかった……。



「で、なんだよ、結婚って。」


「後で説明する……。」


「今聞きてえんだけど」




陰のある南雲の笑顔に私が逃げられる筈もなかった。ちなみに両隣どちらを見ても顔をそらされるばかりで救助の役に立たなかったので、必然と厳しい面接官と対峙するような形になってしまったのは言うまでもない。
















続きます













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