今夜は月の出ない暗闇だった。シャワー室から出たら自室のベッドにバーンが座っていて一瞬だけ思考が止まる。バーンは黙って窓の向こうを見ていたが、こちらを見て「早く服着ろよ」と少し笑った。
彼は何故笑ったんだろう。屈託のない笑いをされたのは初めてかもしれない。人がいるのにパジャマになるわけにもいかず、タンスからスウェットを引っ張りだす。濡れた髪のままソファに腰掛けた。バーンは人のベッドにごろりと横たわる。向こうを向いているので表情は読み取れない。他人の前で呑気、というか無防備過ぎやしないか。
「眠れないから、来た。」
「何故此処なんだ…。」
「別にいいじゃねえかそんなの…理由なくちゃ駄目なのかよ」
いつも通りの我が儘さに少し安堵しつつ、結局眠れないという訳の分からない理由で彼は此処に来たのだった。布団を抱えるように寝転んでいるバーンを横目に髪をバスタオルで拭く。
彼は今日は機嫌が悪くないらしい。寝付けないのに、変な奴だ。
「お前ってさ…こんな何にもない部屋で何してんの?」
「別に、何もしていない。シャワー浴びて寝るだけだ。」
「つまんなくねえの?」
「つまらないも何も、此処は寝るためにある場所だろう、退屈しない場所なんてフィールドしかない」
「そうだけどよ、俺は自分の部屋好きだけどな」
「なら寝てればいいだろう」
「だから、そこで寝れねえから困ってんだ」
うー、と唸ってごろごろと転がってベッドを行ったり来たりを繰り返す。
何が原因だかも分からないのに、解決しようもない。
「はぁ、しょうがないな。今日は此処で寝ていけ。」
「は?…いいのかよそんな」
「そんなに困るわけでもない。私はソファで寝るからいい」
「え、!なぁガゼル!」
「………何だ。」
「……此処で、寝ようぜ。二人で」
ベッドをぽんぽん、と叩きながらこちらを見てにやりと笑うバーン。…馬鹿だ。
私は何も言わずに毛布をソファに持っていこうとするが、バーンが素早く起きて私の襟首を掴む。ぐえ、と変な声が出たがそんなの気にする間もなく狭いベッドに二人でダイブした。バーンは一旦ドアの横に、部屋の電気を消しに行ってからまたベッドに横になった。光もなにもあったものじゃない、黒い世界。
デジタルの蛍光塗料の塗られた時計がもうすぐ日が変わる時刻をさしていた。
バーンの突拍子のない行動にため息をついていると、背中に温かい何かとふわふわした髪を感じた。背中に顔でもつけているんだろうか。
「ガゼルって、もっと冷たいかと思ってた」
「…それは、性格か?それとも体温か?」
「どっちも」
くつくつと笑われて振動が背中越しに伝わる。ちょっとくすぐったい。そして心も。しかしやはり今日は上機嫌だなと思いながら布団に潜る。
「あ、お前、一人だけ寝るなよずりぃ」
「そんなこと言ったって…、眠れないんだろう君は」
「ガゼルが抱き締めたら寝れる気ーする」
「……………。」
「…んだよ、けち。」
「…本当に君はしょうがないな…。」
バーンと向かい合う形になって、バーンの腰を抱き寄せる。ふわりとシャンプーの香りが鼻を掠める。
バーンと密着しているところ全てが温かかった。どうしようもなく恥ずかしくなって抱き寄せる手に力を込める。バーンは胸に顔を埋めてぐりぐりと頭を擦り付けた。さっきから何だか甘えたいようだった。
「俺、しょうがないとか言いながら一緒にいてくれる……から、その、」
「言いだしたら最後まで言ってくれないか…。」
「…好き、かな…あんたが」
いつもよりずっと素直な反応。顔が見えない所為でもあるんだろう。あと、きっと寂しかったんだ。それならばこちらも素直に返してやろう。
「私もかもしれないな…。」
「何だよ、かもしれないって…、突き落とす気満々じゃん」
バーンが可笑しそうに笑う。そんなつもりで言ったんじゃないのだが…。
「でもいいや。さんきゅ、嬉しい。恥ずかしーけど」
顔が見えないだけでこんなにも変われるものなのか。私には無理だと思った。でも十分ほだされているとも感じる。流されている訳ではないけれど、バーンの朗らかな態度が、感染(うつ)っているというか。
「バーン、ちょっと、顔上げて」
「……………ん?」
先ほどのくぐもった声とは違いとおった声がする。腰に回していた手が手探りでバーンの頬を探す。ひたりと柔らかいものを見つけてああ頬だと思ったのもつかの間、その頬が濡れていることに気付いた。
「泣いてたの?」
「ばっ……、……。嬉し泣きぐらいすんだろ」
隠したい感情を抑えて素直に答えている。どうやら本人も(頑張って)いるらしい。
「ねえ、私は抱き締められるよりこっちの方が眠れると思うんだけどね」
「…は?……ぅん、」
頬のある辺りに顔を持っていき唇に触れる。温かい。じわじわと侵食されていくようだ。時々バーンは私の唇を少しだけ舐めた。
ずっとそうしていて何分経っただろうか、バーンが不意に「好き」と洩らす。そして小さな寝息も続いて聞こえてきた。私は離れることもしないまままたその細い身体を抱き締めている。
ねえ、やっぱり私はほだされているだけなんじゃないかと錯覚しそうになる。
でも、私が今口にしたい言葉が錯覚ではないと告げていた。
「好き、バーン」
朝は寝付けなかった所為で起きられそうもない目の前の人を起こす作業に追われそうだ。
起きなかったらまた抱き締めてキスをしてやろうと思いながら、私も暗闇のなかに落ちていった。
あまくおちるその二文字
互いに想いを伝えていなかっただけの両思い
title:narcolepsy