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涼野と♀南雲






高校生の時に柄にもなく彼女をデートに誘い、プラネタリウムを見に行った。彼女は案外ミーハーだったから好きそうもない、と思っていたのだが暗く造られた星空を指差し「なあ、あれ大熊座じゃねえ?」と小声で私に顔を寄せてきた。その時は此処に来てよかったと顔の筋肉が緩んだものだ。
多分それが一番の思い出だった気がする。私たちは若過ぎた。何も知らない男女だったのだから致し方ない。何より、幼なじみでは近くて遠過ぎた。分かり過ぎるところも時として残酷で辛かった。









何年過ぎただろう。一人暮らしの私の元に届いた一通の手紙は彼女からのもので。質素なその手紙を開くと私は言葉を失った。

結婚式の、招待状であった。









「びっくりしたか、ごめんな」



相も変わらず荒い言葉遣い。けれど彼女は純白のドレスに身を包み、色鮮やかなブーケを大切そうに抱えていた。女らしくなったな、とぼんやりと考えていると彼女はブーケを私に押し付けた。私はなにがなんだかわからないままブーケを返そうとする。




「…後で使うでしょう、ほら」


「お前いつまで経っても結婚出来なさそうなんだもん!あげるあげる」


「こういうのは女が喜ぶんだろう?私が貰っても意味が無い」


「意味なんていらないじゃん!大体こんな花束で誰かの人生左右出来るほど、世の中甘くないし」


「そんなこと言ってしまったら元も子も無いじゃないか」


「そうなんだけどさ。ねえ、…風介、聞いてくれよ」




晴矢は後ろを向いてシャンデリアを見つめている。そう言えば時間は良いのかな。もうすぐ式が始まりそうな気がするのに、誰もこないし。




「俺さ、どっかの実業家のおぼっちゃんに気に入られたんだって。だから結婚したんだって。」


「そんな…やけに他人事だね。」


「他人事だよ…俺だって一週間前に聞いたんだ…式挙げるなんてさ…。だって全部親同士が決めたことなんだ。馬鹿みたいだろ?」




涙声になりながら、晴矢は気丈にも踏ん張っているようだった。顔が見えない。私は何も言えない。まさか、そんなことになっているだなんて。自分でも気付かないほど、私は焦っているようだった。





「こんなに意味の無いこと…ブーケ以上に意味の無いこと…そんなものあるわけない」



彼女にとってこれが幸せなわけがない。かたかたと震える小さな背中が全てを物語っていた。彼女の家は裕福ではなかったから、親もチャンスだと思ったのだろう。老後も彼女のこともこれで安心だと考えたわけだ。まるで政略結婚ではないか。




「でもさ…親には散々迷惑かけてきたからこれでいいかなって、諦めてる部分もあるんだよ。」


「君の人生なのにね」


「俺は何でもかんでも自由にさせてもらってきたお前とは違うから」


「違わないよ。少なくとも、プラネタリウムを見ていた私達は違わなかった。」



その時の彼女があまりにも小さく見えたから、私は思わず目を背けてしまった。綺麗な装飾品の並ぶ部屋には誰もこない。誰も、誰も。年頃の男女が二人きりだというのに。ましてや女には婚約者がいるというのに。誰もこない。



「…行かなきゃ、かも」



曖昧な言葉は彼女のSOSだった。行きたくない、助けて。私は彼女の手を掴もうとして、やめた。今更遅い。何をしろというのだ。苦し紛れに、私は彼女とは反対方向に向かった。
最初から式には、出ないつもりだったのだ。自分に言い訳をし、その場を立ち去った。






















パーティーの時にひょっこりと顔を出すと、晴矢がさっきとは違うドレスで小走りで寄ってきた。少し不貞腐れたような顔をしている。



「お前、式に出なかったろ!」


「うん」


「…ったく」



慣れっこです、とでも言うように晴矢はため息を吐いた。晴矢は少し顔を上げて、辺りを見回した。




「…やっぱり。ヒロトはこなかったんだ」


「やっぱり、って?」


「忙しいんだって。…風介との結婚式なら頑張って時間つくったのにって言ってた。馬鹿だよなー」




俺たちが結婚なんて有り得ないよな!なんて、引きつった笑顔で言うから、大声で周りに聞こえるように言うから、私も少し笑って。




「幼なじみだからね」




彼女は、笑わなかった。マネキンのような真顔をはりつけ、ああとだけ言った。周りのパーティーに招かれた人達は誰一人として私達がかつて恋人であったことを知らない。誰一人。私たちの知り合いはいなかったからである。彼女と(偽物の)愛の契りを交わした「そいつ」でさえ、知らない。





「ちょっと、外の空気を吸わねぇか」


「別にいいけど…君の旦那が怒るんじゃない?」


「いいんじゃねえの、何とかなるって」




バルコニーに出る途中、誰かの鋭い視線を感じたのでその方向をちらりと見ると、ワインを片手に私を射抜くような目で見る「そいつ」の姿が目に入った。離さず見守っておけばいいのに。お前では彼女を“管理”できない。私は顎を軽く上げて軽蔑するように彼を見た。彼は面食らったように私を見たあと、罰が悪いという感じに外方を向いた。






バルコニーに出ると風はわりと涼しく、肌寒さもなかった。花嫁のくせしてバルコニーの手すりに肘をつけあー、やらうー、やらはしたない行動をとっている晴矢。私は頭を抱えた。



「おぇ、飲み過ぎたかも、しれない…」


「馬鹿」


「何とでも言えよ…。あー、ホントに、なんかさ、もういいかも。」


「何だいきなり。弱味か?」


「心中したいなー…なんて、さ。考えてみたりさ。なんて。」




へらへらと笑う晴矢が、何だか内側ではとてつもなく思い詰めたような表情をしていた気がした。私は何も言わず晴矢の横に立つ。私は白いタキシードを着ていたわけではなかったから、端から見たら貴族とボーイといった違いだろう。晴矢は少しずつ私に近付いてきた。私は何をするでもなく、ひんやりとした手すりに触れた。



「逃げちゃおうか」




晴矢が星空がきらきらと映った瞳を目一杯開いた。きゅっと握った小さな手の上にそっと手を置くと、晴矢は小さな声で逃げたい、ともらした。勿論そんなこと出来るわけが無い。けれど彼女のたちではなかった。彼女がこんな形で、何かに縛られるのは全く想像が出来なかったのに。彼女は気位が高く、人の言う事を易々ときくような性格ではなかった。




「嫌だ、こんなの。どうして。風介、嫌だ」



バルコニーの手摺りに涙の染みを作り、しゃくり上げる小さな肩をどうして私に抱き寄せることが出来ただろうか。私にはその資格はなく、一度手放した宝物をまた手中におさめることなど容易いことではなかった。



「どうして、こんなことになってしまったんだろうね」



吐いた言葉を反芻するとその意味はあまりにも重く、目元が熱くなった。晴矢はただ泣いていた。




「ご覧、本物の空だよ。プラネタリウムじゃない、本物の空だ。」




私は場を取り繕いたくて、晴矢に夜空を見るように言った。晴矢は上を見上げ目蓋をぱちぱちと瞬かせて、はあ、とため息を吐いた。感嘆のため息だと思ったのだが、どうやら違ったようだ。




「大して綺麗じゃねえよな」


「…そうかな、プラネタリウムよりずっと綺麗だと思うけど」


「だって、…わかんねえもん、何のためにその星があるのか、何がどの星なのか、わかんねえもん…」


「分からなくても綺麗だね、でいいじゃない」


「プラネタリウムなら、教えてくれただろ。だから、星が理由があって生まれるように、俺たちもまた理由があって生まれて、生きて、死んでいくんだって。あの時感動したんだ。」


「そうだね。君はそんなことを言っていたね。」


「………俺の生まれた理由なんて、これっぽっちも見えやしない…!」





また泣き出した晴矢を、今度は抱き寄せることが出来た。晴矢は泣くので精一杯だったし、私もまた慰めに過ぎなかった。下心など存在していなかった。生きる理由を彼女は今も探し続けている。付き合ってる時から彼女は特に熱中するものもなく、趣味も無かった。私はふと思いついた提案を、咄嗟に口に出した。




「なら、星を覚えよう」


「………え?」



惚けたように、晴矢がこっちを見る。




「星を覚えて、何座って調べて、生まれた日とか、理由とか!プラネタリウムがないなら覚えちゃえばいいよ」


「お前って時々突拍子もないこと考えるよなー…」


「だって、それなら楽しいよ」


「…うん、そうかもな」



晴矢はもう一度空を見て、ため息を吐いた。さっきのような重いため息ではなかった。大きな瞳が忙しなく動いた。溜まった涙を、下に落とす。




「俺さ、きっとずっとあのプラネタリウム見に行った日のこと忘れない。不器用なお前が連れてってくれた最初で最後の場所だったから。」


「………うん」


「望遠鏡買って、毎晩星みるんだ。全部の星覚える!そしたら、そしたらさ、風介、うちに来てくれよ。星説明するよ。あの日みたいに。」


「わかった、約束するよ。今から楽しみだ。」


「…ありがとう、ごめんな、風介」




お前以上に好きになる人なんて、これから先いない。

晴矢の言葉に涙が一筋頬を伝った。




「私も、君が、ずっと好きだよ」




それ以上私たちが言葉を交わすことは無かった。ただ星だけが瞬く空間。あの日のプラネタリウムの思い出だけが、今も私達の心に眠る。誰も知る事のない恋の物語なのだ。

それでいい、それだけが私達の絆であり、印なのだから。



















プラネタリウムに葬って


























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