text | ナノ







人とは、元はアダムとイヴから生まれてきた一つの兄弟なんだよ。兄弟同士でセックスをして子供を増やしているというのに同性愛や同性のセックスは、やれ背徳だやれ人間の恥だと言われるね。それは、兄弟同士で同じ事をする君達にも同じ定義を付けられているのだと考えた上で言わなければならないことなのにね。ねえ、南雲、こっちを見なさい。


こんなときばかり彼は俺を諭し、大人の恋愛に付き合わせた。涼野は生物学の講師だというのに時たまアダムとイヴなどの科学に基づかない存在を使って俺を引き留めるための講義をする。講義なんて、こんな標本やら得体の知れない物体やら古ぼけた本やらで溢れかえる科学室でやることではない。というかこの四角の囲いは完璧に彼のテリトリーであり、巣窟だった。学生は滅多に足を踏み入れる事の出来ない場所で、俺はいつもここに通っていた。別にここが好きだったわけではない。彼が俺を引き留めるだけだ。そこは蜘蛛の巣に絡め取られた蝶々のように、一旦片足そこに浸かってしまえば中々はい上がれない場所だった。俺の意思で此処にいるのではない。どっちにしろ涼野は利己的な性格をしていた。




「私達はいつだって否定されるね」


「そうですね」



夕陽が沈みかけている。



「君は私を否定しないだろう?」


「さあ、どうでしょう」




俺は彼のぞんざいで決め付けるような言い方が大嫌いだった。本当はこんな敬語も使いたくない。実際は彼と殆ど歳が変わらない。勝手な決めつけを擁する言語に対し、俺は基本的に肯定をしないようにしている。それが最後の彼への抵抗であった。




「どんなにね、私が君の事を好きでも世間はそれを認めない」


「知ってます、異端ですから」


「いつになったら君は私に敬語を使うことをやめるんだろうね」



涼野はやれやれとため息を吐き、じっと俺を見た。背筋に汗が浮くのがわかる。明らかな警戒。一歩後退ると、涼野は下を向いた。



「そんな態度とられるとどう接していいのか分からなくなる。座ってコーヒーでも飲んだら?」


「あんたのコーヒーに水銀が入ってない証拠でもあるんですか」


「私は殺人鬼ではないよ」


「毎日俺をホルマリン漬けにしたいなんて言われたら警戒もする。…そのくせ俺に虫酸が走るような言葉ばかり浴びせて、何がしたいんだあんた」


「やっと、敬語をやめてくれたね」


「っこの………!!!」




余裕綽々な態度に遂に苛々が限界に達して俺は涼野に殴りかかる。いつもいつもこんな頭が痛くなるような場所に連れ込んで俺をどうしたいというんだ。俺はまるっきりの文系だというのに。
単位なんてどうでもよかった。今はとにかく、この気持ちを鎮めたかった。がつん、と頬を殴った感触が確かにそこにあった。殴られて徐々に赤みを帯びていく頬、口の中を切ったのか涼野は口から少量の血を流し再び俺を見た。その光景が厭に扇状的で眩暈を覚える。気持ち悪いほどに。


あ、と思った時にはもう遅く俺は物凄い力で腕を引っ張られ椅子に腰掛けている涼野に倒れこんだ。口と口がぶつかる。んぅ、と間抜けな声が出た。重力に逆らえず腕も涼野に押さえ込まれているので口を離すことも出来ない。



やっと剥がされた時には荒い息しか口から出てこない。頭のなかでは死ね、変態、殺すと悪意が渦巻いているのに口から出てきてくれない。ぎり、と奥歯を噛むと涼野は少しだけ口角を上げた。



「君とここまで出来る日を待っていたんだよ」


「……、そ、しね、ばか」


「君は、賢くて、それでいて馬鹿だ。本当に。」



悲しそうに笑う彼を睨み付けた。誉めているのか貶しているのか。



「君は賢いから私に近付かないね。だが馬鹿だから簡単に私なんかに捕らえられてしまう。」


「あんたの言ってることは難し過ぎて理解しきれねぇな。」


「…私はね、南雲。君が好きで好きで堪らないのだけれど、理性で抑えつけてる。本当はそこにカエルを漬けている溶液に君を浸したいさ。ずっと眺めていたい。一日中でも、一生でも。私にとって君にはその価値がある。けれど何も話す事のない君は美しいかもしれないけれど、同時にただのマネキンにも成り果てるんだ。悪態でもいいから言葉が欲しい。だから私は君をホルマリン漬けにしたりなんかしないよ」



一流大学の教授の言うことではなかった。明らかな、異質だった。だが俺の身体が危険にさらされている事に変わりはないだろう。
涼野は逃げ腰な俺を流し目で見てから、口を開いた。



「人間は一部を除き自己中心的だから、自分が好みだと思った人が欲しくなる。好きになってほしくなる。相手の五感を全て自分に向けてほしくなり、自分の全てを捧げたくなる。…まあ片想いの時点でここまでしたい奴はあまりいないだろうけれど、恋人相手だったり結婚相手ならここまでしてもいいと思う人はたくさんいるでしょう。」


「簡潔に話せよ、苛々してんだこっちは」


「君が裏口入学でも私は単位も愛もあげようということだ。」


「、はぁん…そういうこと…。」


「君は、この大学に血筋にあたる人がいるわけでもないのにこの大学に楽に、小細工無しに入ることが出来た。君はどうして、こんなことをすることが出来たのか」


「…本当にどうでもいいことを聞きたがるんだな」


「私も君に似て賢くて馬鹿だからね」



自分で賢くてとかいいやがった。俺は一つため息を吐くと涼野を見据えた。何も知らなそうな瞳。思わず侮蔑しそうになった。



「病気に近いものがある。俺は物心ついた時からそれだった。それが当たり前なんだと思っていた。だけど周りは違う。俺が騒ぎ立てれば騒ぎ立てるほど孤立していく気がした。いや実際していた。そんなとき俺に目をつけた日本の実験チームが親に多額の金渡して俺を研究室に放り込みやがってな。…親は、抵抗しなかったよ。多分今もその金で遊んで暮らしてんだと思う」


涼野は何も言わないまま俺を見ている。この時点では何も言えないんだろう。同情しろとは言わないが、どんな親なんだくらい言ってくれてもいいものだと思う。



「実験のせいで、俺の左目は見えねえんだ。酷ぇ話だよな。…俺が“忘れられない”と知った上で恐ろしい実験をしてくる。あんな奴等、八つ裂きにしたって足りない!…まあいいんだそんなことは。裏口入学の話だったな。俺はその病気みたいなものが買われて此処に入ることが出来たんだよ」


「……二つ、解ったことがあるよ」


「俺は一つしか教えてないんだけど」


「君のそれは病気だ。ただ特異な症状が多過ぎてちゃんとした名前がついていない。…君は一度見たもの、聞いたもの、話したものを忘れることが出来ない。そうだろう?」


「…………」


「勿論一般人であろうと強く脳に叩きつけられた記憶はそう易々と消えたりしない。しかし君は全てを鮮明に記憶し、二度と忘れることが出来ない。全ての情報をずっと脳に蓄めているんだろう。」


「……まあ、ご名答だよなァ。その通りって感じ」



俺は何もヒントらしいヒントは与えていないというのに。化け物かこいつは。




「その能力、いや病気ならどこの大学も欲しがるだろう。君は裏口入学なんかしなくても一般受験でこの大学に入れるスキルを持っているしね」


「それはハズレ。俺はフツウの同い年の人間が高校生という黄金時代を謳歌している間ずっと研究室にいた。勿論センター試験なんて受けたこともない。高校の授業内容なんて一ミリも知らないぜ。俺は覚えた事を忘れないだけで、それ以外何も特別な点はない。四月上旬に正規で入れる大学なんて有りやしない。スキルも無ければ可能性もなかったんだ。」


裏口入学に頼らざるを得なかった。



「…それは時間が無かっただけだ。三ヶ月で君は高校生がおくってきた生活の中で覚えた教科全てを覚えることが出来るよ」


「………。」


「でもそんなもの、君は今更いらないでしょう。私がもう一つ知ったこと教えてあげようか。君も知らないであろうこと。」


俺は力ないまま頷いた。涼野が笑う。今まで笑ったことなんてなかった。



「君は、愛されなかったね。親にも、周りにも。だから自分を愛してくれる私に惹かれたんでしょう。そして自分の事を聞いてほしかったんでしょう。自分を愛してくれる人に、分かち合ってほしかったんでしょう。だから変わっている私に多少ひきつつも最後まで私の話を聞いていたんだ」


「…ここまでくるのに二年、かかった」


「君は辛抱強いね。泣き言言わずよく頑張ってきた。私が君を好きになった理由、君にもわかるはずだ」


「違う、俺は、!!」


「うん」


「…俺は…」




涼野の優しい笑顔を見た途端に視力がある目からも無い目からも涙が溢れだした。初めてだった。そんな優しい言葉をかけてもらったのは。涼野の言う通りであった。誰にも理解してもらえない気持ちを、誰かに伝えたかった。自分を好きだと、大切だと言ってくれる人に。




「おいで、南雲」



俺は引き寄せられるように一歩一歩足を出す。



「君を縛るものなんてない。今まで辛い事ばかりだっただろう。だから、その分私が幸せをあげよう。君は周りの人と同じ、人間なのだから。」


「…くっせえ」


「煩いな」



悪態をつきながら俺は泣いた。地べたに座り込んだ俺を涼野はずっと撫でてくれていた。自分の異を知って、自分の境遇を認めてくれた上で自分を愛してくれている。そのことがどれだけ幸せでどれだけ喜ばしいことなのか。それを考えまた泣いた。今まで歩んできた人生の涙も流しながら、確かに俺は聞いた。




「もう君をホルマリンの世界に閉じ込めたりしないよ、もし閉じ込められても、私がずっと一緒にいると約束しよう」





楽園の地を追放されて尚も、共に生きたアダムとイヴのようにね。
その時確かに、俺は極彩色の世界を見た。それを二度と忘れることは、ないのだった。


























‐‐‐‐‐‐‐‐
リハビリ
























人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -