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大人






「ごめんね、遊んでて遅くなっちゃった」




そう言って俺の横をすたすたと歩いてゆくヒロトからはきつい女物の香水の匂いがした。俺はその匂いに顔をしかめながら何も言わずに飯を作る。



「ねえ、何で無視するの?」


「…無視、なんかしてない」


「嘘つき」



くすくすと笑いながらうなじを撫でる。あまりの気持ち悪さに包丁を落としてしまった。くるくると宙を舞って足元にぐさ、と刺さる包丁。衝撃に目を見開くが、ヒロトはさも可笑しそうに笑うのだった。



「ふふ、……ねえねえ晴矢、今足の甲に包丁が床ごと突き刺さってたらどうしてた?泣いて俺に助けを請うのかな?それとも痛みに耐えながら抜くの?風介にでも電話する?」


「……………やめろ。」


「ふふ、ごめんね晴矢。怯える晴矢も可愛い、好き、愛してるよ。ずっと此処にいてね」



音を立てて俺の唇にキスをすると、先にシャワー浴びてくるよ、とリビングを出ていってしまった。あんな事を言われると逃げるに逃げられない。きっと俺はヒロトが思っているよりもヒロトが好きだ。あんな性格の悪い男が?好き?

ふぅん。





ヒロトが俺を軟禁し始めたのはいつからだったか。去年だったか。ヒロトは俺に通販で物を買わせる。人は家から出なくても生活が出来ると言うことを知った。ヒロトは稼ぎがあったのでやたらいいマンションに住んでいる。生活に不自由は無かった。



軟禁をしたヒロトはと言うと女遊びの激しい最低な男だった。顔も良く、気配りが出来て世渡り上手なので色んな人にヒロトは良い奴だと思われているらしかった。そんなの嘘だ。こっちは裏の顔に毎日脅されている。苛立ちに訳もなく豆腐をめちゃくちゃに切り刻んだ。麻婆豆腐になるはずだった豆腐はただのどろどろの何かだ。



「………………。」



この豆腐、どうしようか。ヒロトの頭にかぶせてやろうか。しかしそんなことをしたら俺はきっと溶けた蝋を頭からかぶることになるんだろうなと考えながら可哀相な豆腐をじっと眺めていた。すぐ横からヒロトの声が聞こえた。



「ねえソレどうするの?」


「……うわわわっ!」



俺はまたもや包丁を落としそうになりながらヒロトから仰け反った。ヒロトはというと不満そうに豆腐(だったもの)を見ている。


風呂上がりに上半身裸で濡れた髪を掻き上げる姿を見るたび役得だと思ってしまう俺はきっと病気だ。だってこいつの遊んでいる女はどんなにこいつの事が好きでもこの姿は見ることはない。じっとヒロトを見ていると何?という表情でヒロトが見返してきた。が、にやついた顔で俺の腰を引き寄せた。


「晴矢は風呂上がりの俺が好きなんだもんね。俺ってそんなに色っぽい?」


「…は、はぁ?あんたを色っぽいなんて思ったことねえから!」


「何で嘘つくの?そんなに苛められたいの?」




ほら、またヒロトの何かのスイッチが入ってしまった。俺があ、と思う間に顔に何かをかけられていた。
何だこれ、においはしない。



「…あ?豆腐?」


「そ、………うーん、やっぱり違うよね」


「何が?」


「精液と」


「………。」



それはそうだろう。




「ねえ素直に認めなよ。晴矢はヒロト様の風呂上がりのお姿が好きなんです!って言ってよ」


「女王様かあんたは。やだ、絶対言わねー」


「……ふぅん?意地でも?」


どん、と壁に手をつかれて逃げ場を無くす。てかこの豆腐早く拭きてえ。目を合わせたら、多分我慢出来なくなる。好きだと言ってしまいそうなので絶対ヒロトの方は見ない。



「ねえ、こっち見てよ。どうして見ないの?」


「……………。」


「わかった、俺の顔が眩しくて倒れちゃうからだ」


「………ちっげぇし」


「知ってる知ってる、俺を見たら顔真っ赤にしちゃうからでしょ」



俺は顔に一気に熱が集まるのを感じた。やばい、きっと今俺は顔が真っ赤だ。恥ずかしさに手で顔を覆うとヒロトの低い声が聞こえた。



「ねえ、好きなんでしょ?認めたら解放してあげる」


「………………。」


「好きなんでしょ?」


「……………ん、」


「聞こえない」


「………………ああもう好きだよ!もういいだろ料理させろ!」



ヒロトは満足そうに俺の横にくっついて俺が料理をする様子を眺めていた。


「あんたそこにいるなら料理手伝え」


「一仕事につきフェラ一回してもらうよ」


「やっぱりテレビ見ててください」


「やーだーここにいるー」


「てかいい加減服着ろ!………あ」


偶然かちりと目が合う。ヒロトがふ、と笑ってしまったので俺はあからさまに目をそらして野菜を切った。顔が熱い。熱い。熱い。



「ほーら、やっぱり好きなんじゃない」


「るせっ!」


「嘘つき…というか素直じゃないね。君の全てを知るのはいつになるやら」


「知らなくていい!」



俺だけが、ヒロトの全てを知ってればいい。ヒロトは俺を知る必要はないんだ。


本当の俺を知ったら、ヒロトは離れていくと思う。

















俺は鍵をかけた箱を持っている。多分、いや絶対にヒロトに中を見られたことはない。あったら…否、そんな恐ろしいことは考えたくない。

箱の中にはあらゆるヒロトに関するものが詰め込まれている。保険証や免許証のコピーは勿論、切った爪、髪の毛、精液、もう使わないからと言って貰ったピアス、古い歯ブラシ。俺の宝箱と言っても他言ではない。




(見つかったら、どうなるんだろう)


畜生以下の目を向けられるかもしれない。気持ち悪いねと真顔で言われるかもしれない。……ああやっぱり考えるんじゃなかった。





きっと俺はヒロトに捨てられるその日まで、此処に住んでいる。





「晴矢好きだよ、ずっと好き。だから此処にいてね」


ヒロトは俺を引き留めたくて甘い声を出す。そんな声を出さなくても俺は此処を出ていかないというのに。ヒロトは世間的に相当可笑しい。でもそんなヒロトを誰にも渡したくない程ヒロトが好きな俺も、とても可笑しい。



「………気持ち悪いな」


「俺の事が?どうしてそんなに素直じゃないのかな。断頭台で口塞いじゃおうか」


「はっ、考える頭すらないだろ」






別に、あんたになら何されてもいいけど。
だから明日も素直じゃない俺のために異色のスイッチを押してくれよ。



(あんたの手のひらで踊ってやるよ)



























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