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大人かもしれない








「マークは本当に明るくなった」




俺はそうだね、と笑った。フィディオと別れてから何ヵ月経ったのか、正直俺にもよく分からない。優しいひとも傍にいた。何も思い残すことは無いはずだった。

フィディオとは別れてなどいない。正確に言うと会えなくなっただけなのだ。俺に衝撃を与えたあの事実はもう掻き消したい。フィディオと別れてしまったのは、それが原因なのだから。

優しいひとは俺を愛してくれる。好き、とも愛してる、とも言ってくれる。愛の形ははっきりと自分に伝わって、何も嫌な事など無かった。大切にしてくれているのだとひしひしと伝わってきて心の奥底に灯る。何も思い残すことは無いはずだった。














俺は、ずっと綺麗な世界を見ていたいね。マークと。


偶然アメリカを訪れていたフィディオが俺に言った言葉。あの言葉はどれほど重かったか、自分でも今になってやっと気付いた程だ。あんなにも人を愛した瞬間はない。
今思えばプロポーズだったのかもしれないな、と俺は優しいひとに倒れこむ。優しいひとはくす、と笑うと髪を撫でた。




「またフィディオの事?」


「悪いか」


「忘れられないんだ」



忘れられる筈がない。
あんなにも愛した人を、俺は忘れない。優しいひとはくすくすと笑いながら髪を梳く。さらさらと動く髪を感じてうとうとしながら俺はフィディオの骨張った手を思い出していた。あの手が好きだった。綺麗な手をしていた。
凛とした蒼い目も好きだった。離れたくなかった。別れたくなかった。心残りでいっぱいになった海を、未だ俺はたゆたう。ぷかりと浮きながら、いつか鮫に食われたいとさえ考えながら。




純愛だった。
彼とは一度も体を交えないまま別れてしまった。キスだけだった。それだけが彼と繋がった証。幸せだった。今にしてみれば痛い思いをしてもよかったから、セックスをしたかった。愛をもっと深いところで感じたかった。余裕のないフィディオなんて、多分何回かしか見ていない。




「マーク何にやけてるの」


「にやけてなんかいない、目の錯覚じゃないか」


「そんなはずない」



優しいひとはまた笑う。よく笑うなあ。フィディオもよく笑う人だったけども。俺は表情に大きな変化が無いから、つまらないと言われる。思い切り笑った事もない。




いいんだよ。マークはそれで可愛いんだから。



そう言って頬を撫でたあの手の感触は、ずっと残っている。俺は微笑むことしか出来なくて、ただじっとしていた。
恥ずかしかったのだと思う。可愛いと言われたことに少しだけ腹を立てながらも、フィディオに愛されているのだと感じた時を、ただ想っていたかったのだ。






「あの時のこと、思い出したよ」



優しいひとはそっと話し始めた。俺はもう目蓋も上げられなかった。眠い。



「マークはもう、死にそうだった。何処へ行くのか分からない程ふらふらしていた。」



恋は怖いねとまた笑う。辛うじてぼんやりと耳に届いていた声は、フィディオの声とすり変わった。じんわりと目の奧が痛くなって、俺は泣きだしていた。



「いいよ、自分はフィディオの次なんだなって事くらい分かる。それでいい。でもあの時のマークを、忘れちゃいけないって心の何処かで感じてるよ」




世界が、消える。
目の中の水に。




「マークは時々泣きだしたり、うわごとの様に死にたいって言ったよね。その度にハラハラした。あの頃からだよ、マークは自分が守らなきゃいけないって感じたの」




世界が、消




「でも、立ち直ってくれた。本当に嬉しかったよ。それが、根本から腐っていて、もう手遅れだったとしても」



世界が




「マークは本当に気の毒だったと思う。あんなにフィディオの事好きだったのにね。」




世界




「………マーク?」




俺は聞こえないふりをする。これから始まる、もうとっくのとうに迎えた終焉を。




「寝ちゃったか………」




子守唄のような声が響いた。




「可哀相にね、マーク。フィディオと心中したイタリアの彼女がマークだったなら、マークはどんなに喜んだだろう」





世界が、消えた。
魂ごと別れたフィディオを、あの世の淵に置き去りにして。


















title:剥製は射精する





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