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兄×弟









四つ上の兄は大学三年生だ。高二という黄金時代真っ盛りの俺はある日部活から帰ってきた途端女の金切り声を聞くことになる。続いてばちんっという鋭い音。俺が何事かと固まっていると、ナチュラルメイクの女がずんずんと歩いてきて俺の横を通り過ぎて行った。がちゃ、ばたん。
何となく、察した。





「おい兄貴さんよお、弟がいることも考えてくれよ」



頬を赤くした(勿論照れているわけではない)兄は飄々とコーヒーを啜っていた。あほだろこいつ。たった今彼女と喧嘩して、この態度はなんなの。



「なあってば」



「別に、もう別れたんだから気にすることないだろう」


「は、…別れた?」


「何、なんかおかしい?」


「付き合って一週間経ってないだろ。何考えてんのあんたら」




兄は面倒臭くなったのかまたコーヒーを啜り始めた。こいつは顔はいいが性格はいただけない。何人彼女が出来ても長続きしないのはそれが原因だ。



「理想に全く近くないから、化粧に頼るブスだから、性格ブスだから」


「最悪だなあんた……。」



冷蔵庫の中のオレンジジュースをとってコップに注ぐ。そういえば母ちゃん達は温泉かどっかに泊まりで帰ってこないんだっけ。まあ明日は部活が休みだ、コンビニで何か買っていけばいいだろう。



「こちらにしてみればあっちが最悪なんだよ。別れ際はこうも醜いだなんてね、もっと早く気付けばよかった」


「いや十分早いと思う」


「この私に四日無駄にさせるなんて、万死に値する」


四日しかもたなかったのか……。俺は一気飲みを終えたコップを流し台に置くと自室に荷物を置きに行った。汗だくのシャツを脱いで洗濯機に放り込む。ご飯を食べてから風呂に浸かるとしよう。Tシャツを素肌に直接着てリビングへ戻った。




「晴矢は彼女家に連れてこないね」


「そんなん作る暇ねーし」


「部活バカ」


「うるせー女好き。モデルみたいな女ばっか連れてきやがって、香水くせーんだよ」


「女好きじゃないよ、ブラコンだからふられるんだし」


「おえ、やめてくれよ………」



どうやら今日の夕食は兄の作ったカレーらしい。こいつはカレーだけは作るのが上手い。テレビのチャンネルを適当に回す。しばらくリビングにはタレントの声とスプーンと皿とがぶつかる音だけが響いていた。
しかし引っ掛かることが喉をついて出てきた。




「おい、ちょっと待てよ」


「待てったって何処にも行かないよ」


「そういう事じゃねーよ!あんた、ブラコンって言ったよな」


「ああ」


「それって、確実にあんたの歴代彼女は俺を恨んでるってことだろ」


「四割くらいはな。六割は私」


「……うわ…だから俺別れ間際にいっつも睨まれるんだ…。」


「だから別れてよかっただろう」


「だからそれはあんたがブラコンなせいだろ!」


「別に私は晴矢の話をしているわけじゃないよ」


「……え?じゃあ何で…」


「この女なら続くかな、と思った奴に理想のタイプは晴矢だって言ってるだけだ」


「………………。」



オイ、ほんとにちょっと待て。



「…………それさ…ブラコンでとどめちゃいけないだろ…」


「寧ろブララブ」


「やめて、ホントやめて」


危うく俺はコップの水を目の前のこいつにぶちまけそうになった。これ以上言われたらカレーの入った鍋を投げ付けそうだ。



「別にいいだろう。晴矢に何かしてるわけでもないんだし」


「問題はそこじゃねえだろ」


「…何?してほしいの?」


「ちょっ、待て!絶対やっ…、……!」



翻した腕を掴まれてバランスを崩す。その拍子にコップが倒れて水がテーブルを流れるのが目に入ったがそれどころではなかった。目の前の兄は、中指と薬指の間を舐めたのだ。



「……………っ!!!」



何とも言えないくすぐったさに目を見開く。手が、動か、ない。体を引いても腕を掴んだ手に力が入るだけだった。



「や、め……ろっつってんだろ!!」


「…晴矢、甘い」


「んなわけあるかボケ!」



テーブルの下で思い切り兄の足を踏ん付ける。ガタタッと椅子の動く音がしてすぐ様手が離れていった。



「…俺を襲おうったってそうはいかねえぞ変態兄貴」


「……そんな子に育てた覚えはないよ晴矢…」


「俺もあんたに育てられた覚えはない。」


「私が育てたようなものじゃないか。大体小学生の時トイレに間に合わなくて漏らして泣き付いてきたのは何処の誰なのか」
「だああああぁそういう事掘り返すんじゃねえよ!」



思い切り兄の頭を殴って立ち上がる。何かあるとすぐ昔の話題を出すのは兄の悪い癖だ。おとなしく風呂に入ろうと思い直し、食器を下げて風呂場に向かったのだった。






風呂から上がって再びリビングに行くと、赤い髪と水色の髪が目に入った。



「あ、晴矢久しぶり!」



そこにはスーツのヒロトがいた。ヒロトは従兄であるが、ずっと一緒に育ってきたため兄弟と何ら変わらない。兄より少し年上で今年就職が決まったばかりだった。それから全く姿を見せていなかったのに。



「ヒロトがスーツ着てるとホストにしか見えねえ」


「失礼だなーちゃんと仕事してるよ!ほら名刺あげる!」


「いらね」


「ねえねえ風介、何で俺が遊びに来てるのに晴矢こんなにご機嫌ナナメなの」


「反抗期だから」


「あんたがセクハラまがいな事すっからだろ!」


「うわぁ風介ほんとに晴矢ラブなところ変わんないね!そろそろ法に引っ掛かるんじゃない?」


「やかましい、私は自分の好みを貫いているだけだ」


「晴矢早いところ職に就いてこの家出た方がいいよ……。」


「言われなくても心得てる。」




それから二人がぐびぐび酒を呑み始めたので俺はそそくさと自室に籠もった。でも何だか落ち着かなくて、リビングの扉の前に座り込んだ。二人の話している内容が丸分かりだ。どうやら四日で別れた彼女の話のようだ。




「………へぇ…晴矢の悪口言ったから別れたって相当だよね。君一生結婚出来なさそう」


「放っとけ。私は結婚しなくていいんだ。」


「え?結婚願望ないの?」


「全く」




俺は心底驚きながらその会話を聞いていた。兄が結婚したくないと言っているのを俺は聞いたことがなかった。まさか、そんなまさか。性格が悪くても、いい嫁を見つけて兄は早々と結婚しそうなイメージがあった。




「何というか、風介は全く変わらないね。俺は更に汚い大人になったよ」


「私は元々汚い人間だ。どうせ弟しか恋愛の対象として目に映らない」


「……それ、本当?」



俺は声も出せず両手で口を塞ぎながらうずくまっていた。信じられない事実に言葉が出ない。ヒロトの問いに兄が言葉を返す。



「出来ることなら、ずっと晴矢をこの家に閉じ込めておきたい。でも晴矢はもっと別の世界を知って私の知らないところへ飛び立ってしまうだろう。」


「…風介……」


「たまらなく嫌だ、嫌だよ。知らない誰かに晴矢をとられるのは嫌だ。でも引き留めるわけにはいかない。晴矢の歪んだ顔を見るのが怖いんだ。嫌われたくない……」



そのあとヒロトは何も声を出さなかった。足音を立てないように再び自室に戻る。あんなに卑屈な兄は初めてだ。今まで付き合ってきた彼女達に恋愛感情は抱いてなかったのか。どうして俺なのだろう。ただの兄弟なのに。

嫌われたくない、と兄はこぼしていた。分からない。俺は兄を嫌ってなんかいない。でも好きとか、恋してるとかそんなものでもなくて………。
もやもやとした気持ちは一向におさまらない。

俺はきっと、ギリギリの一線を越えそうで越えない兄が好きだった。そんな兄を笑いながら拒絶出来る、そんな関係が好きだったのだ。本気ではない行為。ただの戯れ。じゃれ合い。



でも兄の本当の気持ちを知ってしまった。もう戻れない。

じんわりと枕が湿っていく感覚に生ぬるい夜を感じた。














(こんなに苦しくても、誰も助けてはくれない)














続くんだか続かないんだか










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