君の選ぶ道 5


 ランプの明かりが、コップの中の液体を金色に見せる。
 ディノの前では絶対に飲まない酒を手に、アドゥールはテットと向かい合っていた。
「気づかれたかな」
「いや、なんとなく見た顔だと思ったくらいだろう。今頃は、考えながら寝てしまっている」
「さすが、よくわかっているな」
「お前が紹介しろなんて言い出すから、なんのつもりかと思ったぞ」
「他意はないさ。普通、ああするだろう?」
 しれっと言い放つテットに、アドゥールはため息をつく。
「ところで……アドゥール」
「なんだ、その間は」
「いや、どっちで呼ぼうか迷ったんだ」
「アドゥールでいい。もうその方が、慣れてしまったからな」
「そうか。ところでお前、神を降ろす神童って知ってるか?」

 テットの何気ない問いかけに。
 アドゥールの動きが止まった。

「おい、アドゥール?大丈夫か?」
 呼吸すらも忘れたように動かなくなったアドゥールを、テットは軽く揺する。
 その動きに、アドゥールは我に返った。
「あ、ああ……悪い、久々で、飲みすぎたみたいだ……」
「なんだよ、こんなくらいの量の酒で、目を開けたまま寝るなよ」
「悪いな。それで?神童がなんだって?」
 椅子の背に身体をあずけて微笑うアドゥールに、テットは少し訝しげな顔をする。
 なんだかさっきまでと雰囲気が違う。

「神を降ろすとか言ってたが、まさか、あの馬鹿げた集団の夢物語じゃないだろうな」

 飲みすぎたと言いながら、また酒を口に運ぶ。
 何かおかしいような感覚を抱きつつ、そういえば昔からこいつは「あの集団」の話が好きではなかったと思い出した。
 それで少し、嘲るような口調なのだろう。
 しかし、自分から話をふっておいて、なかったことにはできない。
「まぁ、結論から言えば、その馬鹿げた集団の夢物語、なんだがな」
「まさか、お前まで信じるとか言うんじゃないだろうな」
「信じる信じない以前の問題だ。……フェリナス神殿が、存在を公にした」
「なんだと?」
 嘲り笑うような顔が、急に険しいものへと変わり、アドゥールの瞳が鋭くなる。
「なんでも、次の神降ろしの儀式をシャレーゼで行なうと、各国の神殿へ通達したらしい」
「シャレーゼ……」
 シャレーゼといえば、ここから西へ数ヶ月歩いたところにある、通称「風の都」だ。
 絶えることなく風が吹き、その風のおかげで農耕が発展。莫大な富を得た街。
 そこで神降ろしの儀式とは、なんとも違和感のある話である。
「その、神童とやらも、連れてくるのか?」
「お前なぁ。神降ろしやるのに神童がいなくてどうするよ」
「では、フェリナスからシャレーゼまで、移動するんだな……?」
「ああ。問題は、そこなんだ。今のところ情報は、神殿関係者しか知らない。外部に漏れないよう気をつけてはいる。だが、どこから情報が漏れるかわからない」
「そうだな。それは時間の問題だ」
「それで、ものは相談だ。お前、護衛についてシャレーゼまで行く気、ない?」

 今度こそアドゥールは、動けなくなった。




「おはよう、アドゥール」
「ああ」
 いつもの朝の光景。
 ただ、今朝に限れば、アドゥールはひどい頭痛と闘っていた。
「どうしたの?顔色悪いよ?」
「大丈夫だ。昨日、テットの部屋で飲みすぎた」
「えっ?アドゥール、お酒なんか飲むの?」
 具合が悪そうで遠慮しているのか、ディノはいつもより小さめの声で話している。
 おかげで頭に響く高音がなくて、非常に助かる。こういうところは割と普通の感覚の持ち主だな、と、またしても変なところでアドゥールは感心した。
「男同士の話と言ったら、酒だろう」
「ずるい……」
「……は?」
「僕より先に、テットさんと男同士の話をしたんだ……」
 そういうことに、後も先もないのだが、ディノは本気だ。
 ここで笑ってはいけない。
「お前とも、いつか出来る日がくるだろう」
 思ってもみない言葉に、ディノの目が見開かれる。
 何故か、嫌な予感がした。
 アドゥールの発する空気が、いつもより重い。
 怒りのような、悲しみのような、切ないような……そんなものが周囲を包み込んでいる。
「ディノ」
「……なに?」
 アドゥールが呼ぶ、自分の名前。
 ディノは、何を言われても受け止めようと、真っ直ぐに見つめ返した。


「次の目的地は、俺が決めてもいいだろうか」


 昨夜、テットの話を、アドゥールは断った。
 彼は、その護衛団に参加を希望する者たちと共に、フェリナスへ向かうという。
 一団の出立は、明後日。
 途中の町で、その一行に逢うことができれば。
 シャレーゼに着く前に、逢うことができれば。

 ディノの目的は、果たされるかもしれない。

 何も聞かなくても、アドゥールはディノの目的を知っている。
 それは、ディノの抱えている後悔。
 そして同時に、アドゥールの抱えている怒りでもあった。



 当初の目的とは違う方向に行くことになったが、ディノはご機嫌だった。
 あの重苦しい空気の中、今度こそ別れを告げられるのかと覚悟していたのだ。
 実際は、自分に行きたいところができたという話。
 いつも自分の行きたい方に行ってくれるアドゥールに申し訳ないという気持ちになっていたディノには、そのくらいなんでもないことだった。
 むしろ、ちょっと打ち解けた感じがして嬉しい。
「あ、そういえばアドゥール」
「なんだ」
 朝よりは顔色も良くなったアドゥール。
 それでも昨夜の酒の影響か、喉が渇くらしく水筒を常に片手に持っている。
「テットさんにもらった道具って、なんだったの?」
 一瞬訝しげな顔をしたアドゥールだったが、昨日の話を思い出したらしく、荷の中から手探りで「それ」を取り出した。
「これだ」
 近づいて見てみると……
「……棒?」
「やつ曰く、行き先を示す棒、だそうだ」
「……ただの棒にしか見えないよ?」
「そうだろうな。使い方は、こうだ」
 真っ直ぐな棒を、地面に垂直に置く。指は真上に添えたままだ。
 その指を離すと、棒はカラン、と音をたてて地面に転がった。

「…………」

 言葉も出ないディノ。
「どうやら俺たちは、戻るべきらしいな」
 あながち間違ってもいないがな、と思いながら棒を拾うアドゥール。
 ディノは、がっくり肩を落とした。
「それって、そのへんの木の枝でもできるよ」
「そうだな。だがやつは、越えるらしいぞ」
「何を?」
「マイシェット・ルーディー導師を、だ」
 その名前に、ディノは顎が外れるのではないかというくらい口を開いた。
「む……無理だよ!っていうか、そんな話聞かれたら殺されちゃうよ!」
「相手にもされないだろう」
「笑顔で怒って実験の道具にされちゃうかもしれないよ!早いとこその考えだけは改めさせないと!」
 本気で怖がっているディノの肩を叩いて、アドゥールは先に立って歩き始めた。
 叩かれた肩に、ディノが驚いた顔をする。

 その感覚は、とても懐かしいものだった。



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