町の中の暴走
響いた悲鳴に、大通りを横切ろうとしていたディノとアドゥールは足を止めた。
見やる先で、人々が何かを避けようと慌しく走っている。
目をこらす間もなく、蹄の音と車輪の音が近づいてきた。
「アドゥール、ねぇ、馬車が暴走してるみたいだよ」
「そうだな」
一言答えて、何でもなかったかのように歩を進めるアドゥール。
「ちょっと!危ないよっ!」
ディノが叫ぶのとほぼ同時に、人波を強行突破してきた馬車が、アドゥールの目の前に迫った。
「アドゥール!」
引き戻そうと片手を伸ばしたディノだったが、アドゥールの背はあろうことか前へと傾いた。
何かが割れたような、妙な音が響く。
馬車はそのままの勢いでアドゥールの前を通過し、次の瞬間、後輪が派手な音をたててはじけ飛んだ。
当然、支えを一つ失った馬車は傾き、倒れる。
御者と、中にいた男性が這い出てくるのを、通行人たちが取り囲んだ。
危険な走行を、黙って見過ごすわけにはいかない。
数人が警備隊を呼びに走っていった。
「……アドゥール……何をしたの?」
人だかりを呆然と見つめていたディノだったが我に返って、悠然と佇むアドゥールを振り仰いだ。
魔法を使ったようには見えなかった。
というより、その気配を感じなかった。
ある程度の訓練をすれば、魔法の気配というものが感じ取れるようになる。
こんなに近くにいてそれを感じ取れなかったとしたら、ディノは今までの修行をやり直すことになってしまう。
まぁ普通に考えれば、こんなところで魔法を使うような真似を、アドゥールがするはずもないのだが。
往来で破壊行動に魔法を使用したなどということになったら、ギルドからとやかく言われることは目に見えている。
ギルドに所属していないアドゥールは、各方面からかなり叩かれるだろう。
破壊行動でなくても、ギルドの監視役がやってくることがあるのだ。
魔法を使っての犯罪が起こらないよう、魔法ギルドはかなり神経質に見張っている。
しかし魔法でなければ何なのか……。
返ってきた答えは、ディノの思考を遥かに上回っていた。
「蹴りをいれた」
「――え?」
近くで発言を聞いていたらしい女性が、ディノの声とほぼ同時に目を丸くした。
「かかとに身体の重みをかけて、車輪を蹴っただけだ」
「え?何それ?それで車輪が砕けるの?」
「軸を一本壊そうと思っただけなんだが、思ったより脆かったな」
「そういう問題じゃないよ!走っている馬車に蹴りを入れようなんて考えるの、アドゥールくらいだよ!」
車輪に足が巻き込まれそうで、ディノには怖くてとても出来ない。
多分、やろうと思って実行に移す人は、世の中にそう何人もいないだろう。
「でも、すごいねぇ!なんかカッコイイな〜。ねぇアドゥール、僕にも出来る?」
「……軽すぎるかもしれんな……」
そういう問題?
という顔で、先ほどの女性が呆れた顔をする。
しかし、アドゥールもディノもいたって真剣だった。
「え〜っ?じゃあ重くなれば出来る?僕も足一本で馬車倒してみた〜い!」
盛り上がるディノに、アドゥールが何かを言おうと口を開けた瞬間。
物凄い勢いでディノが背後を振り返った。
「――どうした?」
視線だけで背後を見やるが、何もない。
ややあって、複数の足音が近づいてくることに気づいた。
これは、誰かが呼びに行った警備隊の足音だと思うが……。
と、アドゥールが言うより早く。
「まっずい!アドゥール、行こう!」
「おい……」
アドゥールの腕をとって、ディノが路地へ走り出す。
アドゥールは一瞬ためらったが、やがて一緒に走り出した。
後ろの方で、誰かが到着した警備隊に「あの二人です」と言っているような気がしたが、聞こえないふりをして走り続けた。
見ようによってはあからさまに不審人物なのだが、この際仕方がない。
どういうわけか、ディノは警備隊に出会いたくないらしい。
そう単純に結論づけて、アドゥールは特に理由を追究しなかった。
するつもりがなかった、とも言う。
数日後。
街道を歩く二人の耳に飛び込んできた会話がある。
「いやぁ、手配されている強奪犯を鮮やかに倒して、自分は名乗りもしないで去っていくなんてなぁ」
「馬車を横転させたってんだから、並の使い手じゃあねぇだろうよ」
後ろの方で男性たちが話す内容に、ディノの肩がぴくりと動いた。
アドゥールは全く聞こえていないかのような調子で、いつもと変わらず悠々と歩を進めている。
「あれはどんなもんだったかな?色んなギルドにも手配書を配ったんだろ?」
「そうそう!正攻法じゃ捕らえられないかもしれないってんで、地方の魔法ギルドにもあったらしいからな」
この会話に、ディノは首を傾げた。
そんな手配書、見たことがない。
もっとも、自分はギルドから離れているしここ十数ヶ月立ち寄っていなから、最近のものであれば仕方がないことなのだが。
「賞金は十万ヴィラだったんじゃないか?」
その金額に、ディノは悲鳴を上げそうになった。
かなり高い部類だ。いや、それ以前に、まさかこれはひょっとして……?
「そのくらいじゃ、たいしたことねぇってことか?もったいねぇなぁ、俺にくれりゃあいいのによぉ」
感心するやら呆れるやらの声に、ディノは嫌な予感が全身を支配するのを感じていた。
後ろの話に気を取られていた間に、アドゥールとの距離が開いている。
ディノは小走りにアドゥールに近づくと、恐る恐るといった風に問いかけた。
「アドゥール、ねぇあの人たちの話聞いてた?あれって、もしかして……」
「ああ。この間蹴倒した馬車だろう。手配書にあった顔の一つが、御者と同じだったからな」
「えぇっ?アドゥール知ってたのぉ?」
何を今さら、と言わんばかりの口調に、ディノはアドゥールに詰め寄った。
「――知らなかったのか?」
その反応に、アドゥールも驚いたらしい。
眉を寄せてディノの顔を凝視した。
「わかるわけないよ!ギルドにも寄ってない僕にわかるわけがないじゃない!」
「……あのなぁ……それは威張ることじゃないと思うぞ。だいたい、あの手配書は街角にも張り出されていただろうが」
「そんなの知らないよ!なんであの時言ってくれなかったのさ〜!」
「突然走り出したのはお前だろう」
「そりゃそうだけど!賞金十万ヴィラだよ?もらえば少しはマシな宿に泊まれるのに〜!」
頭を抱えて、あれも食べられるこれも食べられる、と呟きだしたディノを呆れたような瞳で見やって、アドゥールは珍しく苦笑を浮かべた。
後悔が幾重にも渦巻いているディノには、残念ながらその表情は見えなかった。
- 42 -
[*前] | [次#]
ページ:
*感想掲示板*