零の旋律 | ナノ
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「殺してやるっ!」
 
 イヤホン越しに聞こえてくる低い声を、テオは黙って聞いていた。学園内に作られた人工林のはずれでノートパソコンを開き、10mほどはなれた場所で交戦している部下と敵の様子をモニターする。数秒前、モニター画面に変化があった。一瞬のことだったので原因は解明できていないが、この世界には『魔法』のような概念があるらしいので、おそらくそれのせいなのだろう。イヤホンから聞こえてくる雑音に、テオは思わず舌打ちした。データが少なすぎて解析ができない。通常戦闘のデータなら嫌と言うほど仕入れられるから、欲しい情報は別にあるのに。
 
「おい、祐未。通常戦闘はいい。相手に術式を使わせろ」

 イヤホンの位置を弄りながら部下に指示をする。すると、電子音混じりに荒い息づかいが聞こえてきた。ノイズ混じりに返ってきたのは
 
「無理っ!」

 という、素っ気ない返事。テオが舌打ちすると、じゃあてめぇがやってみろと小声で吐き捨てられた。
 
「こっちは命がけなんだよっ! なんだよこの不利な戦闘っ!」

「仕方ないだろう。このくらい色をつけないと向う側がうんと言わなかったんだ。相手も教師陣から『殺さないように』と言われているらしいから、安心しろ」

「さっき思いっきり殺してやるって言われたんだけど!?」

 イヤホンの向こうからすさまじい雑音がする。障害物を気にせずに敵から逃げ回っているせいだろう。部下の少女はあの手の人種がひどく苦手だ。野生の勘なのか人生経験故なのか、あの手の人種は敵にまわすと厄介で、味方につけても益がないという事を理解している。怯えた祐未をどう動かせば、相手に術式を使わせることができるだろう。さてはてと首を捻るテオのパソコン画面に、突如異物が映り込んだ。モニター画面上で、自分の元に近づいてくるなにかがいる。イヤホンを外し、変わりに用意していた耳栓をつけて背後を振り返ると、桃色の長髪をゆるやかに纏めた人影がこちらに歩み寄ってくるところだった。
 
「あれ? なんでわかったの?」

 不思議そうに首を傾げた姿は、一見すると男なのか女なのか判別がつかない。向かって左側の目はケガをしているのか、眼帯をつけていた。右目の色は赤色だ。鋲の打ち込まれた黒いショートパンツに、胸元と袖にフリルのついた、やはり黒いシャツを来て、胸元はピンク色のリボンで飾られている。その上に丈が長い白のコートを着た様子は、テオの知る限りではゴスロリと称されるファッションの枠組みに分類されているものだ。左手にはピンク色の布でつくられた兎のぬいぐるみを抱いている。この人形は、なぜか片目に黒い眼帯をつけていた。右手にはナイフが握られている。
 
「まあいいや。僕の事がわかったって事は、やっぱりなんらかの方法でこっちを観察してるって事だし」

 テオが返事をしないことに焦れたのか、ゴスロリはナイフの切っ先をテオに向け、にっこりと笑った。耳栓をしているから、声は聞こえない。ただ、それに気付かれてはいけなかった。
 
「あの女の子に指示を出してるのは君でしょう? だからあの女の子は冬馬や李真の位置がわかるし、攻撃からも逃げられるんだ。だから、君を先に潰しちゃえばあとはこっちのものだ。めんどくさいから、早く終わらせたいんだよね」

 桃色髪は口元を三日月型に歪める。目は笑っていない。その変わりに、嫌な湿度が宿っていた。誰かに大切にして欲しいと願う目だ。それと同時に、玩具を強請る子供の目でもある。人に裏切られるのが怖いクセに一人では生きられない、弱くて弱くて強情な、人間という生き物を象徴したような矮小な輝き。
 
「60点だな」

 鏡を見ているような不快感と、理解できないものを見る吐き気を堪えて、唾の変わりに嘲笑を吐き出す。
 
「……なにが?」

 桃色髪がナイフの切っ先をテオに向けたまま、尋ねた。テオはパソコンの画面に目をやり、キーボードを叩く。
 
「俺の情報を教官から事前に知らせれていないにも拘わらず、祐未に指示を出す俺に目をつけた着眼点は悪くない。二人で注意を惹きつけておいてその間に残った一人が行動する作戦も、まあ悪くない。減点分は俺を見つけてすぐ攻撃しなかった事と、もう一つ――」

「なに? 教官にでもなったつもり? 自分の状況わかってる?」

 もう一度、カタンとキーボードを叩いた。エンターキーだ。ナイフを構える桃色髪の赤い瞳をサングラス越しに見据えて、テオは言う。
 
「俺達が、この状況に対してなんの処置もしていないと思い込んでいる所だな」

 言うと同時に、彼は素早く目を瞑った。まぶたの向う側で殺人的なほど明るい光がほとばしる。音は聞こえないが、轟音が響いたことだろう。なにせ、テオを囲むようにグルリと設置された罠……パソコンで操作できるように改造したスタングレネードが一つ、爆発したのだ。100万カンデラの閃光と160デシベルの轟音がその場に溢れ、敵の視覚と聴覚、思考回路さえもを奪う。
 
「……失神したか」

 暫時過ぎてから、耳栓をとり目をあける。桃色髪がナイフを握りしめたままその場に倒れていた。失神しているのか、一時的な難聴と失明で苦しんでいるのか判別がつかなかったが、テオはゆっくりとパソコンを持ったままそれに近寄り、様子を伺う。彼の足下に、眼帯をつけたうさぎのぬいぐるみが転がっていた。
 
「依存症か? 非常事態時まで持ち歩くのは少々常軌を逸しているが」

 ピンク色の物体を拾い上げ、観察する。別にくたびれているわけでもほつれているわけでもなく、むしろこんな状況になってまで持ち歩いているわりには小綺麗で、手入れがきちんとしているのが少し不気味だった。よほど思い入れがあるのだろうか。普通の人形とは少し感触が異なるようだ。もしかしたら長く形を維持するために綿以外のなにかを入れているのかもしれない。
 
「……ふぅん」

 長い耳のあたりを掴んで、観察する。ぬいぐるみにも、ぬいぐるみに執着する精神構造にも興味はないが、この妙な感触はなんだろう。
 
「……ぅ……」

 しばらく様子を観察しても解らなかったので、中身を見てみようとぬいぐるみの首のあたりに手をかける。丁度その頃、タイミングが良いと言うか悪いというか、足下に転がっていた桃色髪が意識を取り戻したようで、身体をピクリと痙攣させる。
 
「……ぁ」

 まだ焦点の合わない赤い目がテオを捉える。そして、テオの持つうさぎのぬいぐるみを捉えた瞬間、桃色髪の目が怒りの炎に輝いた。テオもポケットにつっこんでいたS&WのM38を構える。しかし桃色髪の動きは信じられないほどに速く、手元から離れたナイフを素早く掴んで振りかぶった。
 
「亜月をかえせっ!」

 鉄の塊が空気を切り裂き、テオに牙を剥く。刹那、ザクッと紙で手を切った時の音を大きくしたような、生理的嫌悪感を引き起こす音がその場に響き渡った。


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