零の旋律 | ナノ
V



「はっ、クソが……! なんでこんな事っ!」

 足下に人の気配がなくなった事を確認して、祐未は盛大に舌打ちした。それからすこし乱れた息を整えるため、足場の枝に座り込む。耳につけたイヤホンから、電子音混じりによく知る声が聞こえてきた。
 
「後方30m、7時の方向に生命反応2体。お前を捜しているようだ。手を出された時、なぜ反撃しなかった」

 淡々とした声は、祐未の嫌味な上司――テオ・マクニールのものだ。今は指定の場所でノートパソコンを弄り倒しているに違いない。咎めるような声を出す男に若干の苛立ちを覚えつつ、祐未は質問に答える。
 
「るっせぇ。せっかくのゲリラ戦なんだから、相手に気付かれてんのに攻撃するなんて無駄なことしてられっかよ」

 まいてからこっそり近づいて、後ろからぶん殴ってやる。そういうと、イヤホンの向う側からクスクスとテオの笑い声がした。
 
「当初の目的を忘れるなよ?」

 祐未がまた舌打ちをすると、テオがことさら大きな声で笑う。腸が煮えくりかえるような思いだったが、ここで怒鳴ってしまえば全てが無駄になるのでなんとか堪える。珍しくこれ以上会話を続けても無駄だと悟った祐未は、ため息をついたあとに小さな言葉を吐き出した。
  
「わーってるよ、ちょっと待ってろ。もう切るぞ」

 イヤホンから、わかった。という簡素は返事が聞こえてくる。ブツン、という音とともに通信が終わったのを確認して、祐未は足下の薄闇に目を凝らした。生い茂る深緑が太陽の光を遮っている。学園内に備え付けられた実習用の人工森林らしく、植えられた木々は背こそ高いものの、弱々しさが目立っていた。その木々の間を、二人の青年がゆっくりと歩いている。亜麻色の髪をゆるやかに伸ばした青年と、ふわふわとしたコバルトグリーンの髪を持つ青年だった。コバルトグリーンのほうは、先ほど祐未が足場にしようとした枝をワイヤーで切ってくれた人物である。極力音を立てないよう木々の間を移動し、彼らの背後に回る。二人で死角を作らぬよう背中を会わせ、ゆっくりと進行してくる。前後左右をくまなく見回していることから、何かを――おそらく、祐未を――探しているのだろうと思われた。息を殺し気配を断って、祐未はそっと腰のホルダーに手をかける。50口径のデザートイーグルにテオが開発した特殊ペイント弾を装填したもので、当たればそれなりに痛いが、致命傷は負わない。まあ、最強の拳銃と謳われる50口径のデザートイーグルから発射される特殊ペイント弾だから、軽いケガ程度は追うかも知れないが。
 
「こっちの方向にいったのか?」

 亜麻色の髪の青年が、小さな声で囁く。普通の人間なら聞こえないであろう声を、木の上で息を潜めている祐未の耳が拾った。コバルトグリーンの髪を持つ青年があたりを見回し、
 
「間違いありません」

 という。彼らの様子を伺いながら、祐未もゆっくりと木のを上を移動していく。二人の青年が祐未に気付いた様子はなかった。通常、人間は頭上を意識の外におきがちだから当然だ。背中合わせの状態でじりじりと歩きながら、二人の青年は目と目をあわせて会話する。そこに宿る妙な湿度に、祐未は思わず身を震わせた。こういう目をした人間を敵に回すと厄介だ。お互いがお互いを命より大切だと思っている。けれどその感情はどこまでも自分本位で、相手が命より大切だといいながら、自分の意に沿わなければ簡単に相手を殺すのだろう。この場合、彼らがなにより大切にしているのは『自分の心』だ。自分の心を傷つけない為に手段を選ばない。他人が命より大切ということは、生まれたときから持っていて当然の、『生きたい』という本能を無視できるほど強靱な意志を持っている事になる。本能さえ消え失せるほどからっぽになってしまった心に、なんのきっかけか入り込んだ存在がその面積の大半を占めてしまった。一度傷ついた心の割れ目に入り込んだから、それがなくなればまた心が壊れてしまう。それが嫌だから心に入り込んできたそれを自分の命よりも大切にするのだ。大切なのは自分の心であって、他人を守るのは自分の心を守るための行為に過ぎない。一見甘美に見えるそれは、結局我が身可愛さ故の保身でしかないのだ。その姿は知り合いの男に、そして家族にこだわる自分と、自分の弟に酷似している――そう思ってから祐未はあわてて首をふった。余計な事を考えている暇はない。大切なのは、この二人を敵に回すのがどれだけ面倒かという事だ。本能さえかき消す強靱な精神力は、たとえそれが別の側面から見れば本能に従った保身行為だとしても、とても厄介で、時として驚くべき瞬発力を導き出す。火事場の馬鹿力と同じ原理で、それよりも強靱な力を導き出すのだ。普通の戦場でも、精神は勝敗を左右する。より生き残る意志の強い人間が生き残る。それさえもねじ伏せる決意は、なによりも厄介で面倒だ。

――くそっ、厄介なもん押しつけやがって……!

 ここにはいない上司を心の中で罵るが、本人に言っても彼は鼻で笑うだけだろう。仕方がないのでこれ以上考えるのは諦めて、ついでに覚悟も決めてデザートイーグルを握りしめた。ゆっくりと木々の上を移動し、相手との距離をじりじり詰めていく。前後左右を警戒する青年達に隙はない。少しの間思考を巡らせた祐未は、一瞬だけ息を止めて足を動かした。ガサッ、と物音がして、青年達が即座に反応する。亜麻色の髪の青年は手に持った棍棒を構え、コバルトグリーンの髪を持った青年が手を持ち上げる。遠くでヒュンッ、となにかが空を切る音がした。音を頼りに身をくねらせると、すぐ近くに生えていた葉が宙を舞った。枝を切断したものと同じワイヤーだろう。ワイヤーを避ける事に専念しすぎてバランスを崩した祐未に、亜麻色のほうが棍棒を突き出してきた。腹部を狙い澄ました攻撃を避けるため、咄嗟に足を伸ばして棍棒を蹴り飛ばす。そのまま弾け飛ぶかと思われた棍棒は、しかし勢いを失う事なく祐未の身体を衝撃が襲った。
 
「なぁっ……!?」

 蹴って勢いを殺した筈なのに、それでもまだ人を吹き飛ばすだけの威力がある。ただの棍棒を使った殴打ではない――そう気付いた時には手遅れで、彼女の身体は宙を舞い、轟音と共に大きな木の幹に叩きつけ割れた。
 
「がっ……」

 背中の激痛に思わず妙な声が出た。しかし耳元でまたヒュンッ、と空を切る音がしたので咄嗟に頭を下げ、ワイヤーによる攻撃を避ける。体勢を立て直したと同時にデザートイーグルを青年達に向け、引き金を引いた。ペイント弾が装填されているといえども、モノは50口径のデザートイーグルだ。パンッ、と風船が破裂するような音がして、亜麻色の髪の青年にペイント弾が着弾する。衝撃はかなりのものだ。
 
「ぐっ……!」

 肺から空気を絞り出すような、苦しげな声がして青年が膝をつく。身体の重心から少し左にそれた――心臓の位置に、真っ赤なインクが付着する。この模擬戦のルールでは、学生にこのペイント弾がついたらその生徒は失格だ。こちらは生徒を殺せない上、相手は通常の武器を使用し殺す気でかかってくる上。三対一だなんてどう考えてもふざけている。別に祐未は不死身でもなんでもないのに、学生対プロだからという理由だけでこれだけのオマケをつけなければいけないのは業腹だった。
 
「お前っ……!」

――だって、学生だからってあたしより弱いわけじゃねぇじゃんか!

 全身の毛を逆立てるような勢いで怒鳴り散らすコバルトブルーに、思わず泣き叫んで逃げ出したくなる。祐未はこういう人間の相手は苦手だ。他人の事をモノとしてしか見ないくせに、自分の大切なものは異常なほど大切にする。そんな人間の瞬発力はひどく恐ろしいし、大切なもの以外はどうでもいい人種だから他人に対する扱いはひどくぞんざいだ。自分の世界以外に興味がないくせに、その世界を傷つけた人間に対する恨みは深い。取るに足らない野良犬が突然自分の腕を噛んできたかのように、理不尽なほど強い怒りを他人にぶつけるのだ。
 
「殺してやるっ!」

 だから祐未は、できることならいますぐに、勝負を放棄してこの場から逃げ出したかった。


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