零の旋律 | ナノ
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 生い茂る木々の枝を伝うようにして、少女が走る。まだ顔立ちにあどけなさが強く残っているから、恐らく年の頃は16歳前後。毛先に少しクセのある黒髪はミディアムボブ、髪と同じ色の瞳には黒縁の眼鏡をかけている。これだけなら大人しそうな風貌で、とても危なげなく木々の上を走れるような人間だとは思えなかった。けれど忙しなく躍動する手足は鍛えられた細さを誇示しており、マラソンか短距離走の選手を彷彿とさせた。野生の獣ももかくやという勢いで、少女は走る。地面から見上げる形で彼女の姿を追っていた李真が音もなく手を動かすと、少女が着地する予定だった枝がスッパリ切れた。極々細いワイヤーは李真が好んで使う武器で、音もなく気配もなく、目標を殺傷する事ができる。今使っている糸の強度はそれほどでもないが、使い方によっては木の枝程度、簡単に寸断する事が可能である。
 
「ぅおっ!」

 頭上で少女の間抜けな声がした。そのまま地面に落下するかと思ったが、しかし彼女は予想に反して落下する枝を蹴り、枝を切られてしまった木の幹を蹴って、次の木の枝に着地する。その際少女は一瞬動きを止め、ぐるりと李真のほうをみた。気配を察知したのだろうか。それとも辺りを見回してたまたま李真を見つけただけか。
 
――いや、たまたまなら、こんなに真っ直ぐ視線と飛ばす事などありえない。

 ワイヤーで枝を切断した際、勘付かれたと思ったほうがいい。少女は一瞬だけ李真の姿を捕えると、何も言わず、何もせずにそのまま移動を再開した。障害物の多い森を走る李真と、その障害物の上を疾走する少女では移動速度に違いがありすぎる。案の定、追いはしたもののあっというまに引き離され、見失ってしまった。
 
「サルみたいな女だ……」

 苛立ちのあまり口調が素に戻ってしまった。その事にまた苛立って舌打ちをすると、横から棍棒を持った青年が顔を出した。
 
「なんだ、逃げたのか?」

 亜麻色の髪が青年の頬から首にかけてゆるやかに巻きついている。やわらかそうな髪はあまり太陽の光が届かない深緑の中でも美しく輝いていた。長いまつ毛に囲われた切れ長の瞳が、どこか楽しそうに細められる。
 
「冬馬、いままで何処にいってたんですか?」

 どうにかいつもの口調を取り繕って、けれど不機嫌さを隠さずに問う。すると冬馬は、苦笑を浮かべて肩をすくめて見せた。
 
「俺だって追いかけたよ。ただ、君とあの女に引き離されただけだ」

 どうせ途中で面倒になったんだろう。その言葉はギリギリのところで呑みこんで、かわりにため息をついて見せる。
 
「足場にしている枝を切り落として、足止めしてやろうと思ったんですがね。予想以上にすばやくて、逃げられましたよ」

「そうか。君が裏をかかれるなんて、珍しいな」

「少し予想が外れただけですが」

 冬馬はなにが可笑しいのか、くすくすと笑ってみせる。李真はまた、ため息をついた。本来ならこんな事すぐにやめたいのだが、授業の一環なのだから仕方ない。一応学園に身を置いている者として、このイベントに拒否権はないのだ。
 
「まったく、なぜ私がこんなことを……」


 問うても、詮無い事だ。不機嫌そうな李真を見て、冬馬がまた声をあげて笑う。
 アルシェイルに突然黒ずくめの男が現れたのが、すべての始まりだった。その男は異世界人を自称し、その荒唐無稽な話に納得せざるをえない証拠の数々を教師陣につきつけてみせた。そして、その男――テオ・マクニールが学園に提案したのが、『異世界人と学園生徒の摸擬戦』である。なんでもテオ・マクニールとその部下である先ほどの少女は、彼らの世界でいうところの特殊部隊に所属しているらしく、学園の生徒と摸擬戦を行えば生徒にとっても良い刺激になるだろう、とそういう事らしい。これについてもテオ・マクニールは信じざるを得ない数々の証拠を教師達に突き付けたようで、結果教師に選ばれた学園生徒三人が、ゲリラ戦を想定した摸擬戦を行う事になったというわけだ。相手に何か裏があるのは教師陣も勘付いているらしく、学園内最強といわれる覇王は、切り札を隠しておきたかったらしく候補から外れた。しかし異世界の人間相手に無様を晒すわけにはいかず、それなりの実力者を選んだ結果、冬馬、李真、奈月の三人が異世界人と摸擬戦をする事になったわけだ。本当に、できる事ならいますぐこんなくだらない事はやめたい。そういえば、今日はまだ杏仁豆腐を食べていなかったなと考えて、李真は木々の間から見える青い空に目を凝らした。


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