零の旋律 | ナノ
都神ナナエ様から「誰が為に鐘はなる」



 ガシャンッ……
 ガラスの割れる音がして、カサネは咄嗟に部屋の灯を消した。素早く壁に体を寄せ、首だけを動かして割れた窓ガラスを覗きこむ。
 何者かの襲撃。空気中に満ちる殺気に肌をなぶられながら、カサネは息を殺して辺りの様子を伺った。
 誰かが、誰かを殺す為に、ここに来た。
 誰を殺す為だろう?
 カサネがこの場所にいるのは、エレテリカさえ知らない。誰にも知られていない自信がある。だから、窓ガラスを割った犯人はカサネ以外の誰かを殺しに来たのだろう。

「襲撃ですか?」

 暗がりの中から、しわがれた老人ののんびりとした声が聞こえた。その余裕に舌打ちしつつ、カサネは

「そうでしょうね」

 と短く答える。

「目的は貴方ではないのでしょうから、お逃げになってはいかがかな?」

「そうもいきませんよ。ヘタに逃げたら捕まるか、殺されるか、なんにしろロクな事にはならない」

 ちらりと自分の足下を見やると、つい先ほどまで人間だったものが五つ、そこ転がっていた。相手の目標はこの中の誰かか、或いは、ここにいる全員か――ただ一人生き残っている、この老人か。

「ずいぶんといろいろな人に恨まれているようですね?」

 口の中で言葉を転がして皮肉の笑みを浮かべるが、暗がりの中の老人にカサネの表情は見えないだろう。

「そうだね。貴方も、そうだからね」

 カサネの言葉を受けて、老人はゆっくりと答えた。椅子から動こうともしない。動きたくとも動けないだろうとカサネは考え直した。致死量までは至らなかったものの、老人の体にも強力な毒が入り込んでいる。神経系を麻痺させるその毒は紅茶に一滴たらしただけでも死に至る代物だ。咄嗟に吐き出したとしても、体は自由に動けまい。

「そうですね。私も、貴方を殺していないのに逃げるわけにはいきません」

 捨て置けば死ぬだろう。そう思いながら、彼の信奉者がこの場に来て胃の洗浄をする可能性も捨てきれず、カサネは自らの失態を取り繕うように笑って見せた。老人は怯える様子も怒る様子も、また諦める様子も見せずただ椅子に座っていた。

「……私は、第三王子の障害物になったのかな」

 のんびりと、ゆったりと、目の前に死体が転がっているのに、怯えもせず怒りもせず、不気味なほど静かに老人は言った。

「王子だけじゃない。君はデルフェニ王家そのものの障害物らしいぞ」

 その声が聞こえてきたのは突然。カサネは咄嗟に声のするほうへ拳銃を向けたが、老人はピクリとも動かない。暗がりでよく見えない顔も、別段驚いてはいないようだ。

「レインドフ……」

 そこに立っていたのは紫がかった黒髪を肩まで伸ばした、眉目秀麗な優男。いつのまに部屋へ侵入したのだろうか。カサネが忌々しげに呟くと、レインドフと呼ばれた男は

「やっ、君もそこの男を殺しに来たのか?」

 と、商店街で知り合いにあったかのように気軽に声をかけてきた。声や態度は親しげなのに、肌に纏わり付く殺気が恐ろしく不快だ。毛穴という毛穴から体内に蛇が入り込んでくるような感覚。自分に向けられた殺気ではないのにこの始末。もっとも、戦闘狂と呼ばれるレインドフならば、ターゲットであろうとなかろうと、その場にいる全員を殺す程度の事はやってのけるだろう。だからこそカサネはアーク・レインドフという男を警戒しているのだ。男の、髪と同じ色の瞳が廊下から漏れる光を背にして妖しく光っている。その目を見ただけで、空気を澱ませる殺気が濃厚になったように錯覚してしまう。

――この男の執事をやっているはずの、無音(ヒースリア)はどこだ?

 アーク・レインドフよりも警戒するべき男の姿を捜し、カサネの眼球がぐるりとあたりを見回した。姿は見えない。気配もない。しかし、どこからやってくるかわからない。始末屋のターゲットはカサネではないが、アーク・レインドフという男は気分次第でカサネも殺そうとするだろう。最も、簡単に殺されるようなカサネではないが。
 
「……そうですか。始末屋を雇ってまで、私を消したいという方がいらっしゃる……」

 壁に背中をはりつけて警戒するカサネをよそに、老人はどこか疲れたように呟いた。ため息をつく老人の言葉に、レインドフが笑う。
 
「それはそうだろう。だって、アングラで出された君の本はすごかったもの。王家と貴族を完全に否定するような事書けば、殺されるってわかりそうなものなのに! もう年なわりには、怖い物知らずなんだな!」

「あれで少しでも考えを変えて下さる方がいればと思いました。最後の賭けでしたが……結果を見ることなく、私は消えてしまうのでしょうな」

 老人が椅子に体重をかけると、木でできた椅子がギッ、と短い悲鳴を上げた。唇は赤紫色に変色し、声は擦れているというのに、もはや体もマトモに動かせず死を待つしかない体で、取り乱す様子も怯える様子もない。つくづくいけ好かない男だと、カサネは小さく舌打ちした。
 
『人は離れ小島ではない、一人で独立してはいない、人は皆大陸の一部、それは王とて貴族とて同じ事』

 それは、老人が先日王族や貴族の目を盗んで出版した本に書かれていたものだ。王や貴族は市民とは違う特別な存在であるとする王政下、老人のそれはなによりも忌むべき発想だった。王や貴族が、市民と同等の存在であり、そして市民に支えられ、支えて生きているなどという発想は、王政を絶対的なものとするためにも決してあってはならないのだ。この思想が市民の間に浸透すれば、王政に反対する者もでてくるだろう。そうなればエレテリカの立場や将来も大きく揺らぐ。それを阻止するために、カサネはこの老人を殺そうと決意した。
 始末屋のレインドフも、恐らくカサネと似たような事を危惧した何者かに老人の暗殺を依頼されたのだろう。
 
「……大陸の土が波に洗われれば、大陸は狭くなります。少しずつですが、みなのものである土地が無くなっていく。人が死ぬのもこれに似て、みなの身体が削られている。だれもみな人類の一部なのですから」

 椅子に座ったまま動かない老人が、どこか遠い目をして呟いた。彼の言葉を聞き届けたレインドフが、不思議そうに首をかしげる。
 
「……だから、殺さないでくれっていうわけではないだろう? 言っても無駄だけど」

「まさか。岬が波に洗われるのを止められる人間がいましょうか。大地が削れれるのも人が死ぬのも、自然の摂理です。それを止められるなどとおこがましい事は考えておりませぬ」
 
 ですが、と老人が一言呟いた。
 
「誰が為に弔いの鐘は鳴るのか……それは、人類の為に鳴るのだという事を忘れないで頂きたい。鐘は貴方がたの為に鳴るのです」

 それは脅しのように聞こえた。言葉だけ聞けば立派な呪詛だ。まるで次に死ぬのはお前らだと言われているような気がしたが、しかし老人の声には恨みも怒りも含まれていないように思える。レインドフは言葉の意味を考えようともしていないらしく、ただニッコリと、この場には不釣り合いなほど整った笑みを浮かべているだけだった。

「誰が死んでも、弔いの鐘はその人のためにだけ鳴るのではない。人類全ての為に鳴るのです。人が一人死ねば、その誰かの意見、思想は永遠に喪われる。とても貴重な思想や意見が永遠にひとつ喪われるのです。大地が削られるのと、何が違いましょうか」

 ふいに老人が、ゆっくりとカサネのほうを向いた。暗がりの中でもわかるほどハッキリと、老人の眼光がカサネを射貫く。
 
「政治とは、最大多数の最大幸福を求める行為です。どのような賢者であれ、『より多くの人間の幸福』を、一人で求めることなどできません。最大多数の最大幸福は、さまざまな意見がぶつかり合い、妥協点を模索して初めて実現できるのです」

 死の淵にいる人間のものとは思えない、強くハッキリした声だった。レインドフが面白い玩具を見るような目で老人を見た。死に損ないの老いぼれがそんな声を発したのが意外だったらしい。
 早く殺してくれればいいのに、とカサネは思った。はやくこのジジイを黙らせてくれればいいのに、カサネの毒で死ぬより、レインドフが殺した方がずっとこの老人の死は早く訪れるだろう。

「意見のぶつかり合いを拒絶すれば、それがどれほど他人の幸福を祈る意見であれ、やがて独裁と化すでしょう。貴方にはその覚悟がおありでしょうか」

 レインドフは動かない。もういい、自分で黙らせよう――カサネがそう決断して足を動かした。しかし、ガラスの割れた窓からひやりとした空気が入ってきた事で、その足を止めなくてはいけなくなった。
 
「それ以上動かないことをオススメします。でなければ貴方の首がパッックリ割れて汚い血が噴き出しますよ。無様な姿を他人にさらけ出したいのなら止めませんが」

 無音(ヒースリア)。始末屋レインドフの執事をしている男だった。ガラスの割れた窓から音もなく侵入し、壁から背中を離したカサネの身体をあっという間に羽交い締めにして、首筋にナイフを突きつけている。

――油断した

 舌打ちしても後の祭だ。食いしばった歯の隙間から
 
「なぜお前がここにいる」
 
 と、低い声を出せば、無音(ヒースリア)は忌々しげに眉を寄せて
 
「うるせぇ。ほんとに首かっ切るぞ」

 と吐き捨てた。
 
「俺が頼んだんだ! いやぁ、特別給料請求されたけどね。ここの屋敷って警備が厳重だと思ってたからな。まさかこんなに簡単に侵入できるなんて思ってもみなかったぞ」

 それはカサネがこの屋敷の人間全員を毒殺したからだ。わかっているだろうにわざわざ当てつけがましく言う辺り、性格の悪さが伺える。
 
「通常給料の値上げも要求します」

 と、無音(ヒースリア)が先ほどとはうって変わった慇懃無礼な口調で呟いた。目の前で行われる物騒な会話に、老人はやはり眉一つ動かさずカサネを凝視している。自分を狙う暗殺者が二人も現れたというのにこの態度。やはり気に入らない、とカサネは小さく舌打ちした。そんなカサネの様子を無視して、老人が言う。
 
「……カサネ様、貴方のエレテリカ王子に対する思いは愛情でも忠誠でも羨望でもなく、妄執です。貴方のその妄執のせいで、エレテリカ王子が未来永劫、貴方の手の届かぬところで独裁者と罵られることでしょう」

 最後の言葉が聞き捨てならず、今直ぐ老人を殺そうとカサネの身体が動く。しかし背後に立った無音(ヒースリア)はカサネの首筋にナイフを突きつけており、カサネが動いたせいで彼の首筋に赤い筋が走った。

「政治における意見のぶつかり合いを排除するというのは、そういう事です。私利私欲に走った人物であろうとも、少なくとも『個』の幸福を背負って政治の舞台に立っているのです。貴方がエレテリカ様と違う意見のものを排除し続ければ、エレテリカ様がどれほど人々の事を考えて行動していようと、人々との間にズレが生じるでしょう」

 レインドフがきょろきょろと辺りを見回し始める。おそらく、もう老人の話を聞くことに飽きたのだろう。手近な武器を探しているに違いなかった。

「その時貴方はどうされるのですか? エレテリカ様と違う意見を持つ大勢を、全員殺そうというのでしょうか。そうなれば、エレテリカ様の名は此の世で最も忌まわしい呪いの言葉となり、未来永劫口にする事すら憚れる事でしょう。貴方にその覚悟がおありか。貴方の妄執の代価として、貴方の手の届かぬ場所で、貴方の敬愛する王子が侮辱される。その覚悟がおありでしょうか!」

 死に損ないの老人とは思えないほどよく響く怒号だった。武器を探していたレインドフもその音量に驚いたのか、動きを止める。耳が痛くなるような沈黙の後、カサネの背後にいた無音(ヒースリア)が、一言呟く。
 
「……下らない」

 低く、吐き捨てるような声だった。
 
「未来になにがあろうと、今を生きる私達には関係ないでしょう? 他人になにを言われようと、関係ないではありませんか。それを気にするのは弱い人間です。そんな脆弱な人間は未来を気にする前に、今に目を向けた方がいい。油断していれば道ばたの石に躓いて死ぬでしょうからね」

「その覚悟があるのならば私はもはやなにも言いますまい」

 ヒュッ、と何かが空を切った。俯いた老人の首が何かにぶつかり、ガツンと鈍い音がする。立て続けにボキッと乾いた音がして、今まで真っ直ぐにカサネを見ていた老人の首が糸の切れた人形のようにくたりと脱力する。月明かりに照らされた老人の耳から脳漿がタラリと流れ出てきた。鼻からは血を流し、眼球は衝撃で少し飛び出している。今までヒザの上にのせられていた手も、今は脱力したように身体の横にぶら下がっている。

「なんかつまんない話だったから、飽きたぞ」

 老人の背後に立ったレインドフが、困ったような顔でそう言った。無音(ヒースリア)がカサネを解放して、呆れた様にため息を吐いた。
 
「主、その頭は飾りなんですか? バカだバカだとは思っていましたが、とうとう人間の言葉すら理解できなくなりましたか。こうなったら私の給料がいくらかわからなくなるまえにさっさと殺して別の就職先を探した方がよさそうですね」

「えっ、あーちょっと待って! ただ難しかっただけで、言葉はわかったよ!」

「それがバカだというんです。それが言葉が理解できていないと言うんです」

 下らない会話を繰り返している二人の横で、カサネは椅子に座ったまま絶命している老人の足を軽く蹴った。まだ硬直していない死体は、蹴られた衝撃でバランスを崩し床に倒れ込む。耳から出た脳漿が絨毯を汚し、脱力した腕が床に投げ出された。
 
 きっと明日はこの男の為に、弔いの鐘が鳴るだろう。この男が言うのには、人類全てのためにだけれど。
 覚悟はあるかと老人は聞いた。
 覚悟ならしている。エレテリカに徒なすもの全てを抹殺するという決意を。
 その為にいくど鐘が鳴ろうとも、カサネは後悔も懺悔もしない。誰かを弔う鐘が、例えカサネの為に鳴ろうとも。
 その覚悟に未来は含まれているだろうか。すぐには答えられなかった。



------- なんぴとも一島嶼にてはあらず
 なんぴともみずからにして全きはなし
 ひとはみな大陸の一塊
 本土のひとひら そのひとひとらの土塊を
 波のきりたて洗いゆけば
 洗われしだけ欧州の土の失せるは
 さながらに岬の失せるなり
 汝が友どちや汝みずからの荘園の失せるなり
 なんぴとのみまかりゆくもこれに似て
 みずからを殺ぐにひとし
 そはわれもまた人類の一部なれば
 ゆえに問うなかれ
 誰がために鐘は鳴るやと
 そは汝がために鳴るなれば

Meditation XVII John Donne

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同盟にて都神ナナエ様にFragmentからアーク、ヒースリア、カサネの三人の小説を書いて頂けました。

シリアスな雰囲気、纏まった全体の流れ、言葉の一つ一つが一つの短編として完成していてもう読んでいて終始感激です…!
物語のオリキャラが内容を凄く味のある物語へ導いてくれていて、凄いっと心の中で何度も叫んでいました。
特にカサネの心情や言葉の一つ一つに想像が広がっていきます…!

この度は小説を書いて下さり有難うございます。



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