零の旋律 | ナノ

A king's commandV


 棟月は異端審問官のトレードマークである黒のスカーフに、ストライップがはいった青のシャツを脱いで、黒のシャツに同色のロングコートを羽織る。
 箱庭の街で異端審問官は恐怖の対象だ。下手に目立って絶対の王が命じることに障害が起きてはならないと判断したからだ。

「何だか別人みたいね」

 同室のフォルトゥーナが異端審問官の服を脱いだ棟月を見て感想を漏らした。

「別人って……寝巻とかを見ているでしょ」
「それとこれは別よ。だって、それは貴方の私服なんでしょ」
「一応はね」
「貴方が私服を着るとは思わなかったんだもの」
「……まぁ、俺も用がない限りは来ませんよ」

 異端審問官であることは棟月にとって誇りだ。だから、普段は常に異端審問官としての職務がこなせるように休日だってその服を脱ぐことは滅多にない。
 だが、私服を所持していないわけではないし潜入する必要があるのならば――それが絶対の王が命じたことならば異端審問官の服を脱ぎすてて別の衣装を纏うことにも抵抗はない。

「それじゃ、行ってきますよ」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「あぁ」

 棟月は異端審問官の城を後にして箱庭の街へ向かう。
 箱庭の街の元異能研究の塔跡地――そこが絶対の王が命じた場所。


 普通の服を着て紛れ込んだ棟月のことを、異端審問官だと気づくものはおらず道中悲鳴をあげられることも、虎に睨まれ動けない動物のようなものも、誰もいなかった。
 元研究の塔は、クロア=レディット――研究の塔における最高傑作にしてgTの異能を有していた少女が脱走し、一カ月後復讐のために赴いた際、研究所の最高責任者を殺して自らは異能に呑まれ元執行官であったユズリ=標葉と共に死亡。
 それ以降、研究の塔は破棄され、人間に異能を付加する研究はとん挫したと棟月は耳にしている。破棄され、とん挫した研究の塔は既に廃墟だった。
 研究の塔全体を覆うように包まれた結晶は、クロア=レディットの異能がもたらした結末。永久凍土の如く解けることのない結晶。
 建物の中、結晶に包まれていない場所も砕けており足場が悪い。

「……まぁいいか」

 棟月はそんな人が住めるような場所ではない研究の塔に複数の気配を感じた。気には止めながらも、気にはしなかった。恐らくはストリートチルドレンやそれに準ずるような箱庭の街において行き場のない人間たちが廃墟で人の近づかない場所で生活をしているのだろう。そのような状況は此処では普通の光景だった。
 箱庭の街、外界とは隔離された矮小な世界であり、生活水準も環境水準も外と比べて下回っている場所。

「……何をしにきたんです」

 今度は複数の気配ではなく、研究の塔入口からやってくる足音に振り向くと見覚えのある姿がそこに立っていた。
 約半年ぶり。半年前に絶対の王に刃向い組織を脱退した人物――ウィクトルだ。

「棟月の姿を視認したから何をしているんだって思ってやってきただけだよ」
「答えるまでもないでしょう」
「絶対の王の命令か」
「俺がそれ以外で動くとでも?」
「まぁありえないな」

 半年ぶりに会ったウィクトルは、以前と同じように伸ばした水色の髪を後ろで一本に縛っているが、幾分長さが伸びているように感じる。黒曜石の瞳が棟月を見据える。
 異端審問官を脱したが、脱し切れていないのか黒と蒼を中心とした――けれど異端審問官ではない服装を纏っている。背中には大剣を帯刀しており、此方は捨てることが出来なかったのだろう、以前から愛用しているのと変わりない。


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