零の旋律 | ナノ

Corpse of fake


 冬馬と佳弥が去って数時間後、静まり返った空しい牢屋に一人の侵入者が現れた。

「李真」
「……奈月、どうして」

 李真は困惑した。視線の先にはローズレッドの髪を下ろし、黒が大半を占める衣装を纏った奈月が立っていた。その手には一心同体といっても不思議ではないほど大切にしている亜月ぬいぐるみがない。
 奈月は確かに李真にすれば、この場に現れるのがある意味一番相応しい人物ではあるが、同時に尤も此処までたどり着けたのが不可解な人物でもあった。

「そんなの李真に会いにきたに決まっているじゃん」
「どうやって此処きたんだ……冬馬や佳弥じゃないんだから……」
「秘密」
「……中に入ってこい。お前の展開術式なら鍵を開けることくらい容易だろ?」
「うん」

 あの時、冬馬の結界を分解したことに比べれば容易いのか、鍵はすぐに消えてなくなった。

「奈月、一つ頼みがある」
「なぁに」
「俺の手の平に冬馬のピアスがある。つけてくれ」
「わかった」

 奈月が手を近づけると、李真の手から零れた赤のピアスが掌にのる。李真に顔を近づけて、耳たぶを触りピアスを慣れない手つきでつける。

「有難う」
「どう致しまして、ってか自分でつければいいのに」

 奈月はそう微笑しながら、李真を捉える手枷に触れると、白の魔法陣が現れ、鍵同様その存在を分解する。足かせもあっというまに外された。久方ぶりに自由になった身体を動かす。薬のせいで動きは鈍いが激しい戦闘をしなければ支障はなさそうだ、と李真は判断する。

「奈月……今の俺はお前を何処かへ逃がしてやることは出来ない。だから、俺が出来ることは一つだけだ。願うなら、俺はお前を殺してやるよ」

 李真の瞳が奈月を射抜く。死にたがりで臆病な奈月。
 死ぬ前に李真が出来るとすれば――それだけだった。

「閖姫や今の生活が幸せだとしてもそこに恐怖があるんなら、俺はお前を殺してやるよ。それが俺に出来る唯一のことだ」
「……じゃあ、殺して」

 奈月は簡単にその身を李真に委ねた。
 李真が奈月の首に手を当てて力を込めていく。
 閖姫との毎日は楽しいし、以前より少しだけ我儘を言えるようになった。だからといって本性をさらけ出せるわけではない。奈月は自分の醜い本性を大切な人には出来るだけさらけ出したくないのだ。
 その苦しさは今だってある。閖姫と一緒にいると蓄積されていって――何れ、閖姫を殺してしまうだろう。奈月はそうわかっていた。
 だから、李真が殺してくれると言うのなら、生きていなくてもいいかなと思えた。
 指が首に食い込んでいく度に呼吸がしづらくなり、死へ一歩一歩近づいていく。
 死ぬ、と思った瞬間、死が恐ろしくなった。
 自分で自殺するのも怖くて、自傷することしかできず、誰かに殺して貰おうと思えば怖くて震える。
 かたかたと身体が震えるのがわかる。それでも奈月はあがこうとはしなかった。
 だが、呼吸が突然軽くなる。
 李真の指先が、奈月の首に食い込んでいなかった。

「かっは……はぁはぁ」

 奈月は荒い呼吸を繰り返す。

「殺そうとしたら怖くて震えるくらいなら、生きろよ。足掻いて、そして生きぬけ」

 李真がそう告げた。まるで――最初からそうなることがわかっていたかのように告げた。

「ねぇ、李真。君はこのまま殺されるつもり?」

 奈月も李真が最初から殺してくれないとわかっていたかのように、会話を続ける。

「そうだ」
「……冬馬や佳弥が自分のために何かを失うのが嫌だったんだね。結局のところ他人なんてどうでもいいって思っていたくせにどういう風の吹きまわし? だって……李真は別に犯した罪なんて後悔していないんだもん」
「当たり前だ。俺が人を殺して心を痛めるような人間に見えるか?」

 李真があくどい笑みを見せると、奈月は肩をすくめる。

「全く持って見えないね。この街滅ぼしたって心痛めないでしょ」
「流石よくわかっているな」
「……冬馬や佳弥が出した条件くらい僕にだって推測はつくよ。そして、だから断ったってこともわかる。だけどさ、ねぇ李真。君は僕を助けてくれた。だから……このまま君に死なれて欲しくない」

 奈月は本題を切りだす。死なれて欲しくない、それが奈月の本心だった。
 李真と奈月が過去に捕らわれていたから共に逃げたけれど、逃げ出すチャンスを提示してくれたのは紛れもない李真だ。
 李真がいたから今の奈月がいる。ほんの少しだけ前に進めるようになった奈月がいた。
 それはあの時李真が、心が限界に近付いていた奈月を、李真が逃げようと誘ってくれたから。
 一人じゃなかったから。
 奈月はわかっていた。冬馬や佳弥は正攻法で李真をなんとかしようとする。その場合、李真が断る、と。冬馬と佳弥の将来を守るために、李真は生き伸びる道を捨てる。だから、李真に生きていてほしい奈月は危険を冒してまで現れた。

「李真、展開術式は分析、分解、そして――構築の力だ」
「まさか、人間の……死体でも作るつもりか」
「そう。李真――僕が李真の人間としての性質成分を展開術式で解析し、解析した情報をもとに、死体を構築する。そして、僕が死体を殺す。李真の血くらいは証拠のために貰うね。後、髪の毛を少し切らせて」

 奈月が何でもないように告げる。
 展開術式は性質を分析し、そして分解、さらに構築することが出来る術だ。
 だから、過去――組織ドミヌスが襲ってきて屋上でメイスを持った相手と対戦した時、奈月はメイスを分解して消滅させた。
 李真と逃げた時、冬馬が結界を張って閉じ込めようとした結界を分析して分解した。
 さらに――冬馬と佳弥に銃を発砲していた時、弾がなくなったはずの拳銃から銃弾が発射されたのは銃弾の成分を知っていた奈月が、銃弾を新しく構築したからだ。

「展開術式でそんなことが出来るなんて知らなかったぞ」
「奥の手はいつだって隠して置くものでしょ」
「この間のが奥の手じゃなかったのかよ」

 結界を分解した後、宿で質問した奈月に李真は奥の手だと答えた。

「奥の手が一つや二つとは限らないでしょ。まだ奥の手は隠してあるよ」

 あっけからんと奈月は答える。
 そもそも、奈月にとって最初の奥の手は血を使った攻撃だった。だから、奥の手は既に三つ李真に見せたことになる。李真には告げないが。

「ねぇ、李真。僕と逃げよう? 過去に逃避するわけでもなく、一歩でもいいから前に進むために、逃げよう。冬馬や佳弥には勿論内緒で。ううん、皆には内緒で、李真は死んだことになるけれど、それでも――生き続けて、僕と一緒にいよう」

 過去に縛られるわけでもなく、過去から逃げるわけでもなく。
 過去に縛られていたからこそ、前に進むために。未来を見るために、奈月が選んだ選択肢だった。

「李真はいいでしょ? それで。君は他人を殺したことに対して償う気持ちがないのだから。ただ、逃走しなかったのは、あの時皆がいたから。ただ、死ぬのを受け入れたのは、冬馬と佳弥のため。だったら、それらがなければ李真に死ぬ理由なんてないんだから」

 予想外の申し出に、李真は暫く呆然としていたが、やがて奈月の頬を撫でた。

「あぁ、いいよ。それで。一緒にいよう。けどいいのか、それは一緒にいるってことは閖姫と別れるってことだぞ?」
「構わないよ。僕は閖姫に依存しすぎる。今はよくても僕は何れ閖姫を殺してしまう。亜月を殺したようにね、そうなる結末が僕にはわかる。だから、閖姫を殺さないために僕は離れる必要があるんだ」
「そうか。じゃあ、俺と一緒に生きよう」
「うんっ。まずはばれないように偽物の李真を作り上げないとね。生きている人間を作り上げることは僕には出来ないけれど、生きていない人間もどきを作ることぐらいなら出来る」

 そう言って奈月は、李真にくっついた。

「な、奈月?」
「人間を分析するのって――人間の成分を理解していても、個体差があるから難しいんだよ。距離が近い程分析しやすいから、このままでいて」

 李真と奈月の周囲に白の魔法陣が無数に浮かびあがり、回転と反回転が繰り返され螺旋を生み出す。
 魔法陣が身体の周囲を廻る不思議な感覚に李真は身動ぎもせずに黙っていた。
 やがて、奈月は分析を終えたのか李真から離れると、床に掌を当てる。先刻まで李真と奈月の周囲に浮かんでいた魔法陣と全く同一のものが浮かび上がり、魔法陣の中心から李真を形どったそれが形成されていく。見る見るうちに、それは“李真”になっていく。
 偽りの自分が形成されていく過程をまじかで見て、李真は客観的にみると自分はこいう身体なのか、と思う。ご丁寧に服装まで、解析して分析したのか、偽りの李真も李真と全く同じ服を着ていた。下半身から上半身へ、形成していった偽りの李真は、やがて顔も形成する。カーマインからレモンイエローのグラデーションの特徴的な瞳まで、色の寸分の違いなく構成されている。
 魔法陣が消え、完成したのだとわかると、李真は思わず自分と同色のアイスグリーンの髪に触れてみたが、触ってみた感触までもが同じだった。違いは生きているか死んでいるか、その差程度なものだろう。

「お前、本当に展開術式の扱い凄いな」

 感嘆の声を漏らす。

「魔術や輝印術とかは苦手だけど……展開術式だけは得意だからね。さて、李真。血をちょーだい」
 手の平をさし伸ばされたが、生憎今の李真に武器はない。爪も武器にならないように短く深爪になるまで切られている。
 歯で唇を噛んでもいいが僅かな血を流すだけだろう。

「傷つける道具がない」
「……? あぁそっか。そうだよね。李真なら武器くらい隠してそうだなって思ってたんだけど」
「歯まで入念に調べられたから、何も持ってねぇよ」
「じゃあはい」

 奈月がナイフを差し出す。李真はナイフを受け取るとワイシャツを捲って左腕出す。躊躇なく、ナイフを振りかざす。ザクリと肌がきれる皮膚を引き裂いて静脈を抉った結果、血が溢れだす。血が奈月の掌に滴り、それが零れて地面に滴る。

「で、どれくらい血を流せばいいんだ?」
「一応血も構築したんだけど、念には念を入れて本物を混ぜとこうって思っただけだから、そこそこでいいよ」

 奈月は持ち歩いている包帯を李真へ渡す。李真はもういいかと判断したところで、包帯を巻いて簡易止血をした。

「あと、髪の毛も少し頂くね」

 そういって奈月は髪の毛を一房ちぎり、それを無造作にばらまく。

「さて、後は僕が李真を殺すだけだ」

 奈月はナイフを振りかざそうとしたが、李真が止める。

「まて、奈月。その前に、リアトの手足を枷で縛らないと」
「あぁ、忘れてた。危ない危ない」
「おい。うっかりで俺の死体が偽物だって露見するようなことはやめてくれよ」
「気をつけるよ」

 死体の李真に、手枷と足かせを新たに構築し嵌める。

「よし、じゃあ――」

 奈月が今度こそナイフを振り下ろした――それは、リアト・ヘイゼルに恨みを持つ犯行だと思わせるには相応しい程に、無残に李真の身体を切り裂いた。
 リアト・ヘイゼルが何者かに殺害された。故に、生きていないそれが奈月の描いたシナリオ。
 偽物とは言え、容赦ないなぁと李真はその様子を眺めていた。
 そして――本物の李真と奈月は、その場から姿を眩ませた。

 再会し一緒に何処か遠くへ行く約束をして――。


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