Blade of readiness 久遠は切れた唇から血を吐き出すように、地面に鍔を吐き出す。 「たっく、嫌になるなこの元暗殺者は」 「そりゃなぁ、元暗殺者が弱かったら生きてねぇよ」 李真の言葉に久遠は複雑な表情をした。閖姫や十夜であれば意味を理解出来なかっただろうが、久遠は闇で生きてきた人間、李真の意味を理解したのだろうなと李真は思う。 久遠が立ち上がっている限り――休息を与えるべきではない、と李真は動く。動けば動くほど痺れ薬が身体中を廻って行くのを感じながら。 李真の蹴りを久遠は右腕で防ぐ。嫌な音がした。久遠は後方へ下がり距離を取る。 魔術で李真を捉えようと水の檻が無数に展開されるが、李真は糸を使って縦横無尽に動き回避する。そして久遠の背後に周り、久遠の背中を蹴りつける。 久遠は前のめりになって倒れる。すぐさま起き上がろうとするが、背中を押さえつけるように李真が足で踏んだ。痛みに顔を顰めながらも、久遠は魔術で李真への攻撃を試みる。李真が回避した結果背中を圧迫するものはなくなり起き上がるが、足がふらつく。李真からのダメージが蓄積していた。 「ほんと嫌になるな、この暗殺者様は」 久遠のはきすてた言葉が、何処か遠くの出来ごとのように閖姫と十夜には思えた。 ――李真の言う通りだ。こんなのは、自分が出来ないことを誰かに背負わせているだけだ。 ――傷つけたくないからって、刃を向けるのを拒絶するといことは、別の誰かに役割を押しつけているだけだ。 ――自分がしたくないことを、他人にやらせているだけだ。 ――久遠の言う通り、人殺しはしなくてもよかったとしても、李真の言葉は正しいんだ、俺は戦う覚悟を持っていなかっただけだ。人殺しをするつもりがなくても、それでも誰かに罪を身代わりしてもらっただけだ。 閖姫は覚悟を決めた。久遠との戦いを呆然と眺めていた十夜へ視線を向けると、十夜も覚悟を決めたのか頷いた。凛とした瞳は、屈することのない意志の表れだ。 ――戦う覚悟を持っていなかったのなら、持つだけだ。 閖姫は鞘から決して抜かなかった刀身をあらわにする。几帳面な閖姫は鞘から刀を抜かないからといって、手入れを怠ることはなかった。鋭利な輝きを太陽の光を受けて反射する。刃零れ一つ起こしていない真剣。 十夜も、鞘を地面へ落とす。他者を傷つけることを恐れて、誰かにその役割を押しつけることに何の意味があるのか。 「……行くぞ、閖姫」 「わかっているよ、十夜」 戦えるのならば、戦うべきだ。 殺す気はない。けれど傷つけることを恐れて刃を振れないのは、ただの奢りだ。手加減ですらない行為だ。 同時に駆けだした十夜と閖姫の瞳を見て、 「そう、それでいいんですよ――」 李真は微笑んだ。 交差される刀と槍を李真は糸を使って宙を移動する。 久遠は十夜と閖姫が加わったのを見て、治癒術で痛みが激しい右腕を急いで治癒する。 刀を舞うように振るう閖姫の切れは、李真を傷つけるかもしれない恐怖を覆い隠している。 恐怖は確かにあるが、だからといって刃が鈍るような閖姫ではなかった。閖姫と十夜の連携は長年――ずっと手合わせをし続けて相手の腕前を知っているからか、見事なものだった。李真の隙をついて攻撃をしてくる。 李真は回避行動が間に合わないと悟ると、ナイフでガードする。 ガードした間を縫って十夜が槍を突き出してくる。李真は開いている手で柄を握り、後方へ投げだそうとするが、十夜が反対側へ引っ張ることで均衡を生み出し閖姫が刀をナイフに衝撃を与えると、ナイフにひびが入り砕ける。 李真は危ない、と掴んでいた柄を離し、後方へバクテンしながら距離を取ろうとした時、久遠の矢が迫ってくる。李真は糸で矢の侵入を阻む。距離を開けきれなかった李真に対して閖姫の刀が迫る。 李真はそれを――右手で掴んだ。勢いを殺しきれなかった刃が右手から血を滴らせる。 僅かに閖姫の瞳が動転したが、だからといって閖姫は何もしなかった。 「全く、覚悟を決めた途端厄介になるなんて、止めてくださいよ。私だって――」 その先は続けられなかった。 ――私だって、貴方達を殺すつもりはないのですから そう告げようとしていたと、李真は気がついて自嘲する。 冬馬以外どうでもいいと思っていたはずなのに、殺すことを躊躇するとはどういうことなのだろうか、と。 殺すつもりが李真にないことは、閖姫たちにも確実にばれているだろうが、自分から口にするのは認めているようでしゃくだった。 李真本来は一体多数での戦いを得意とする暗殺者であり、鋭利な糸で相手を切断することに長けている。 その――人殺しのための糸を李真は使っていない。 そちらでは、閖姫たちを殺してしまうし、手加減しても生かすのは難しいと李真は知っている。あれは殺すための武器。殺すために作られた鋭利さを――扱いを誤れば自らもを切断する刃だ。特殊な繊維で編み込まれた手袋――それと靴を履いていなければ扱えない代物だ。刀より、槍よりも凶悪な殺人技術。 じりじりと詰められる距離。冬馬や佳弥も李真を見ている。逃がすつもりがないのは明白だった。 だが――冬馬の誤算は、結界に閉じ込めれば安全だと思い込んでいたことだ。 「李真!」 奈月が声を上げる。李真が奈月の方を振り返る。チャンスだと閖姫が踏み込もうとして踏み込めなかった。 砕けた破片が消滅していく。自分たちを内側から捉えていた結界が跡形もなく消滅した――消滅させたのだ、奈月が。 李真は走り出す。痺れ薬の効果で速度が落ちているとはいえ、それでも閖姫や十夜が本気で走っても追いつけない。奈月をそのまま抱えてその場を疾走していく。 追いかけようとしても距離が開いていくばかりでやがて見失った。 「くそっ! 逃した!」 閖姫がもう走れない、と地面に座り込む。そのあとすぐ十夜も追いついて座り込んだ。 息が荒くてもう身体を動かしたくもない程に疲弊している。 その暫くしてから久遠たちが追いついてきた。李真と奈月の姿がないことに気がついて 「逃がしたか」 「悪いな」 「いや、俺たちじゃ到底追いつけないんだから仕方ない」 皆で地面に座り込む。少し休憩しないととてもじゃないが、動けなかった。 「まさか……奈月に結界を分解されるとは思わなかったよ」 冬馬が悔しそうに呟く。 李真に抱えられて近郊の街――にして王都へたどり着いた李真と奈月は、李真が真っ先に宿をとった。 宿に入ると、グラスに水を入れて一気に飲み干した。別のグラスにも水を入れて李真は奈月に渡す。奈月も喉が渇いていたのか、飲み干した。李真はベッドに横になる。 「李真? ……ひょっとして無理してた?」 「結構。久遠の使ってきた痺れ薬かなり強力なやつだったよ。身体に鞭うつ勢いで動かしていたから、そろそろ休まないと無理だ。久遠が痺れ薬を使ってくるのは予想外だった……。あと、俺はお前が結界を破れたのも予想外だが」 李真が横になっているベッドに奈月は座る。 「展開術式を使っただけだよ。冬馬は油断していたみたいだけど、まぁ仕方ないよね。冬馬は展開術式が得意じゃないんだから」 「ふーん。俺も展開術式は詳しくないけど、結界を壊せるんだな」 「違うよ、分解しただけ。壊すことは出来ないよ。分析、分解、構築それが展開術式に出来ることだからね。僕の奥の手だよ」 「そっか。じゃあ俺は少し休む。奈月も休むなら休めば」 「……うん、そうする」 そういって李真が横になっているベッドの隙間に奈月は潜り込んだ。 「なんだ……」 「一人は寂しいもん……それに眠い」 奈月はすぐにすやすやと寝息を立て始めた。 ――さて、奈月には睡眠剤を飲ませたことだし、俺も寝るか。 アルシェイル学園から離れた後、李真はこっそり睡眠剤を入手していた。睡眠は心の負担を和らげてくれるから、奈月には丁度いい時があるだろうと判断していたのだ。 李真は間にある亜月ぬいぐるみを踏まないよう壁側に可能な限り詰めてから休息をとった。 [*前] | [次#] TOP |