零の旋律 | ナノ

Rejection to the future


 学園の秘密を知り、そのまま自室へ戻った冬馬は、部屋の窓枠に座っていた李真へ顔を向ける
 李真は心底学園の秘密には興味がないようで、感想を冬馬には求めなかった。

「李真……俺さ、近々、外出許可をとってトライデュースに一旦戻ろうと思う」

 佳弥に後押しされた勇気を持ち、決意を李真に告げる。
 豆鉄砲を食らったような表情を一瞬李真はしながらもどうして、と問う。

「前に進もうと思っただけだよ。何時までも過去に捕らわれていたって、何も解決しない。過去から逃亡したところで、意味がないって気がついただけだ。前に進むためには過去に蹴りをつける必要があるだろう? だから、俺は一旦トライデュースに戻ることにした」
「そうですか。では、私は冬馬の無事を祈りはしませんが、決着がつくといいですね」
「あぁ、って祈ってくれよ」
「祈るまでもなく冬馬がそうと決めたのなら大丈夫ですよ」

 柔らかく微笑む李真に冬馬は安心した。

「有難う」
「どう致しまして」

 李真は内心自分自身を嘲笑った。
 ――嘘だらけで本心を隠す奈月であるまいし、俺まで嘘をつくとはな――心にもないことを。


 翌日、李真は窓枠に座りながら外を眺める。神無月の季節は日に日に気温が下がり、襲撃による倒木を免れた木々は紅葉に近づいている。李真は一目につかないように外に出ていることはあっても、誰かと一緒に外へ出たり、誰かに目撃をされるような外出はしなかった。
 李真の心には苛立ちが募っていた。

 ――あぁ苛立つ。

 きっかけなんて冬馬には必要なかった。前に進む必要なんてない。捕らわれたままでいればよかった。そうであれば絡め取った糸で、束縛し続けておける。けれど、その糸が解けかけている。

 ――君は、俺のものだ。
 ――お前も俺のものだ。

 お互いに言いあった言葉。今でもそれは変わらないだろう。ただ、彼にとってそれ以外の道も開けてしまっただけ。
 彼には大切な存在が自分以外にもいる。それがたまらなく忌々しい。

 ――あぁ。もう――それに

 後悔はしていないが、結局このままでいられなくなっただけのこと。
 後悔はしない。自分の感情を制御できないのは今に始まったことじゃない。否、本当は制御出来るのかもしれない。制御した上で、出来ないふりをしているだけ。制御するつもりがないから。だから冬馬を傷つけられた憤怒に身を任せてハルモニアを殺戮した。
 ただの欲望のままに、ただ思ったままに。

「……潮時だ。これ以上此処に留まっていたって」

 李真は立ちあがり、部屋から出ると、廊下は閑散としていた。
 学園が混乱の最中である最中は暗殺者リアト・ヘイゼルの処遇は後回しになるだろうが、混乱が収まりかけてくれば、処遇は決定する。
 何時かは潮時が来る。何時までも学園の学生ではいられない。

「なら、もういっか」



 奈月はベッドに横になりながら亜月ぬいぐるみを抱きしめる。何も考えたくない。考えても思い浮かぶのは閖姫のことばかり。閖姫は、沢山の人を殺した自分に今まで通り接してくれる。それが理解出来ない。
 自分はただの人殺し。閖姫は誰も手にかけない優しい人。
 閖姫は沢山の友達と仲良くしている。それが忌々しい。
 僕だけを見て、そう言えればいいのに、束縛したくなくてそんなことも口には出来ない。
 ただ、暗い感情が心の中で渦を巻いて溢れ出ようとしているだけのこと。
 愛おしくて恨めしい。
 何より――誰もが前に進もうと歩んでいるのが辛かった。
 誰もが未来を見て、進んでいる。それがどうしようもなく辛い。
 扉が開く音がする。部屋に侵入してきた人物が、自分の前に立つ。ゆったりと奈月はベッドから起き上がった。視線と視線が絡み合う。

「どうせ、過去には戻れない。けれど、私らに未来などあると思っているわけでもないでしょう」

 そう言って手を差し伸ばしてきたそれは悪魔だ。この世に顕現していてはいけない悪魔だ。
 望んでいる言葉を――目の前に提示してくる悪魔だ。
 けれど――亜月ぬいぐるみをギュッと抱きしめてその歪な温もりを実感する。
 そう、過去には戻れない。万物の力を用いようとも過去には戻れない。そんなことはわかっている。
 だが、未来にも進めない。過去に捕らわれたままただ流れる波に揺られているだけだ。
 だから、手をとるより他になかった。手をとらないと壊れそうだった。
 これ以上――この場にいたいのにいたくなかった。
 大好きだからこそ、怖い。相反する思い。
 閖姫は今まで通りに接してくれる。けれど奈月を見せたそのさらに先――束縛心を独占欲を――依存心までも露わにしたら閖姫はどう反応する? それでも一緒にいてくれるのか、わからない恐怖。
 離しはなれたくない、一生傍においておきたいのにそうしてはいけないという心。
最早心は限界だった。
 だから――手をとった。手のぬくもりに悪魔も人の血が通っているのだなとどうでもいいことを思った。

「いい子だ。奈月」

 それが悪魔の頬笑みだとわかっていても、同じ過去に束縛された李真と歩むしか心が持たなかった。
 もとより選択肢がない。
 奈月の崩壊しかけた心に、心を壊さずに踏み込めるのは同じく既に壊れている心を持つ人物しか踏み込めない。
 そして、奈月が知る中で、奈月と同じように壊れた心を――それも歪に有しているのは李真だけだった。
 閖姫ならば、過去にどんな事件があっても持ち前の心で持ち直して未来へ歩める。傷は残ったとしても、それでも懸命に前に進んでいける。
 十夜は、過去に愛しの人を殺されたと言うのに、殺した本人を殺すこともせず生存を認めている。瓜二つの存在を毎日のように見ながらも、それでも未来に向かって進んでいる。過去を過去と認め生きている。
 久遠は、父親を殺して過去に決別をし、未来を――学園にい続けることを選択しそのことで周囲の反応が変化しても、気にも留めず何時ものように久遠のままであり続け未来へ進んでいる。
 冬馬は過去に捕らわれていたが、佳弥が過去を背負わせた。佳弥は冬馬が何をしても隣で手を差し伸ばし続けている。だから冬馬は過去と決別した。
 カナリアは毎日が充実した日々だと言わんばかりに未来へ胸躍らせて進んでいる。
 佳弥は、その強靭な心で過去を過去だと受け止めた上で、未来へ進み続けている。
 そんな彼らでは、今の奈月に近づくだけで壊れた心を跡形もなく破壊してしまうだろう。最早限界。
 だから、踏み込めるのは同じ壊れた心を持つ李真だけ。悪魔の誘いだとわかっていても――奈月に拒むことなど出来ない。
 未来を歩めないから。未来に恐怖するだけだから。恐ろしくて恐ろしくて恐ろしくてたまらないから。
 どうしたらいいかわからなくて枕をぬらすだけだから。
 だったら

 ――この暗殺者と一緒にいる。

 それが奈月の下した決断だった。李真であれば心が壊れることはない。未来に恐怖することがない。
 ただ、過去に縛られ未来が見られずに生き続けるだけだ。
 それは一番楽だった。

「行こう。奈月」
「うん」

 そんな未来を歩むのも――悪くなかった。
 此処にこれ以上いるのがこの上なく辛いから、逃げた。



 冬馬と閖姫が、李真と奈月がいないことに気がついて――皆で探したが学園の何処にもいないのがわかったのは、それから数時間後のことだった。


 組織ハルモニアが立ち去った後、教師はその対応に追われていた。
 その結果、多少は後回しにはなったが、それでもハルモニアを殺した殺戮者のことが忘れ去られることはない。
 暗殺者リアト・ヘイゼル
 李真と偽って学園で生活していたもの正体に、教師陣は同様が隠せなかった。その正体を唯一知って、その上で入学させたフェルメはやはり無理か、と内心舌打ちする。

「フェルメス・アーハイド。彼の正体を知らなかったのですか?」

 そう詰問されたがフェルメは

「存じませんでした。申し訳ありません」

 嘘を並べて謝罪する。冬馬ことイヴァル・トライデュースと、李真ことリアト・ヘイゼルが学園に入学希望してきた日のことをフェルメは今でも鮮明に覚えている。
 まさか、大貴族の嫡男と暗殺者が一緒にいるとは思いもしなかったからだ。フェルメは偶々過去に遠くからリアト・ヘイゼルの姿を視認したことがあった。それ故に、イヴァルと一緒にいた人物が死んだはずの暗殺者だと気がついた。普通ならばその正体に気がついた所で――アルシェンド王国に報告をするべきだったのだろう。
 けれど、フェルメは思った。学園に入学させれば――最悪の一手であるが万が一の時の切り札になるのではないかと、即ち学園の秘密が露呈した時の保険を考えていた。
 そして百分の一の確率でも、リアト・ヘイゼルの正体が露見しても学生として学園の留まり続けるのではないかと思っていた。だが、そうやすやすと奇跡に近い確率は二度も連続しては起こらない。

「……不可能だな」

 誰かの言葉に他の教師陣が同意を示す。
 アルシェイル学園は優秀であれば犯罪者とて両手を広げて歓迎する学園だ。だから、優秀であれば一人二人、十人殺していようともアルシェイル学園は拒まない。久遠のような国にとっては反乱分子の息子でも、久遠が優秀だったから受けいれた。
 だが――状況は違った。
 一人や二人、十人、二十人の数では済まないのだ。リアト・ヘイゼルという暗殺者が殺した人間の数は。
 暗殺者だったとしてもリアト・ヘイゼルという彼程の暗殺者でなければ学園は李真として迎え入れ続けただろう。
 だが、リアトは違う。
 その数が尋常ではないほどに人間を殺しているのだ。
 暗殺者として強すぎた、それは当たり前であり――何より逸脱した人を殺した数は単純に彼の持つ武器が一対一を得意とする武器ではなかっただけだ。
 学園一の――今であれば学園一とは呼べないかもしれないが、それでも卓越した技術を有する閖姫や、その次点につく十夜。彼らは基本的に大人数を殺害することは難しい。いくら卓越した技術を誇っていても、その技術はあくまで一対一に対して特化しているものだ。刀と槍。それは一体多数の武器ではない。
 対してリアトが得意とするのは糸だ。
 視認が不可視なのではと思えるほどに細く細く、そして鋭利な糸は骨すらも寸断する恐るべき凶器だ。その糸を縦横無尽に張り巡らせリアトは対象を暗殺する。一度に数多の人間を殺せるのだ。リアトが糸を張り巡らせれば一見すると何もないようにしか見えない空間は死地へ変化する。そして、リアトの攻撃範囲に入った瞬間蜘蛛の巣の如く身体を糸が絡め取り寸断する。
 一体多数を得意とするが故に、リアトが殺した人間の数は尋常ではない。
 嘗て、リアトを捕まえるために派遣した250名余りの騎士が殺害された末、大怪我をしたリアトを捉えることが出来た。ただ単に、リアトが大怪我をしていたから250名の犠牲ですんだ、とも取れる。満足に動けない状態だったが、糸を武器としたが故、李真は近づこうとした騎士を座ったまま糸で絡めり殺害したのだ。何よりリアトを捉えることが出来たのは、その時のリアトは全てがどうでもいいと――生き続けるために殺すのがめんどくさいという表情をしていたからだ。
 稀代の暗殺者は捕えた騎士を英雄化するか――他の暗殺者たちへの見せしめのためか、公開処刑される方針に決定した。だが全ての誤算はそこだった。
 生を諦め大人しかったリアトは、ただ一人の誤算によって再び生きる決断をした。そして、処刑の見物客、処刑人その他諸々その場にいた全員を瞬殺した――ただ一人を除いて。
 リアトは公の上では死んだことになっている。
 そうしなければ――みすみす捉えた危険人物を無残にも逃がしてしまったことになる。取り返しのつかない失態を隠蔽するためにリアトは死んだことにされていたのだ。
村や街を滅ぼしたという噂もある。故に、リアトは人を殺しすぎた。数多を殺害出来る糸<武器>を持って。
 犯罪者さえも囲うことが出来るアルシェイル学園の権力を持ってしても――リアトを囲うことは不可能だった。
 そうすれば、アルシェイル学園は滅ぼされる。誰に、ではなく誰からもの手によって。
 ましてや、アルシェンド王国がリアト・ヘイゼルの生存を認めるはずがない。
 優秀であることが唯一の条件であり、優秀であれば犯罪者でも入学出来る
 その方針が経った今崩れ去った。


 李真ことリアト・ヘイゼルをアルシェンド王国に突きだすことが方針として決定する前に、それを見越したリアトは姿を消していた――奈月と共に。


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