零の旋律 | ナノ

The end of the slaughter


 奈月の腕から滴った血が蠢き、自在に飛び交う血液となる。少量の血液が対象に傷をつける。かすり傷程度でも傷がつけばそれは致命傷。奈月の血に侵入された血液は全て奈月の支配下に置かれる。人間一人分の血液量が全て内側から外側へ飛び出ればその人間は死ぬ。血を抜き取られた死体が無残に転がる。血液が複数に分かれ、空中に無数の刃を生み出し襲いかかる。

「あはははっ、ははは!」

 無数に襲う刃を交わした人間は問題ないが、僅かでも触れて身体に傷が出来ればそれで終わり。体内へ侵入した奈月の血が、他の血を全て塗り替え自らの支配下とする。次から次へと血によって殺戮される。殺せば殺すほど、操られる血の量は増えていき、殺傷能力を増していく。

「厄介な攻撃手段なことで」

 李真が高みの見物をしていると、薔薇を三輪刺した男が、血の猛攻をかいくぐり奈月を殺そうと剣を振り上げる。奈月は血液の壁で咄嗟に防御したが、加えられる連撃――奈月の血の強度はそれほど高くないのか、固まった血にひびが入る。

「ちっ――」

 李真は舌打ちながら、空中を闊歩して地上へ着地する。懐からナイフを取り出し男にきりかかる。だが、寸前の所で男は回避し剣が一閃する。李真は身体を逸らしたが、それでも右腕を僅かに掠めた。今まで無傷だった李真への一撃。小さいけれど意味のある一撃。

「ふざけ――!」

 李真はナイフを捨てて糸を手繰り殺戮しようとすると、それを見越したように奈月との距離を詰める。

「ちっ」

 再び李真は舌打ちする。奈月の血よりも李真の糸の方が警戒するべきだ、と男は判断したのだ。
 事実その通りであった。奈月が自傷した手首から血が滴る。ふらり、と身体が揺れたのを見過ごさず男は攻撃するが、李真の殺傷能力のない糸に腕をからめ捕られる。
 久遠がその隙を狙って魔術で援護するが、弾き返されてしまう。久遠は跳躍して跳ね返ってきた魔術を交わす。李真の糸によってハルモニアの人間はかなり数を減らしたが、まだ残っている。

「――灰を散らせ」

 魔術を詠唱して生きている人間を焼き殺そうと大地が灼熱へと変貌する。久遠の魔術によって何人かは絶命したようだが、全滅には至らない。すぐさま灼熱の大地が鎮火され、沼地のように足場が悪くなる。
 冬馬は残り僅かな魔力を振り絞って魔術を連発する。普段――膨大な魔力に任せて魔力を調節しながら魔術を扱うことをしなかった冬馬にとって、此処まで魔力を消耗する事態は初めてであった。額から汗が流れる。すれでも、膝をつくことはしなかった。
 佳弥の回し蹴りが決まる。王女だからといって彼女が戦うことを止めるはずもない。
 閖姫が相手の斧を吹き飛ばす。刀を反回転させながら、相手のみぞおちを殴打する。回転した刀で、別の相手が振り上げてきた剣を受け止める。
 フェルメが不ぞろいな弓矢を放ち、相手を射止める。
 傷を負っては、それでもめげずに彼らは攻撃を続けた。殺戮者に全てを任せるわけにはいかない――と。大切なものを守るために刃を握り続ける。

 李真が薔薇を三輪胸にさした男の首に殺傷能力のない糸を絡め取る。

「な!」

 男は糸を焼き切ろうと掌に僅かな炎をともすが、それよりも早く李真が糸を引き、首を絞める。殺傷能力はなくとも――人体の急所を折ることは可能だ。学園内を覆っていた結界が霧散する。
 相手が事切れたのを確認した李真だが、すぐさま遺体と化した男を縦にして後方へ逃げた。男の身体を貫いたのは血だ。血飛沫があがり、飛び散る無数の刃。
 血はそのまま狙いを李真に定めて襲いかかった――

「敵と味方の区別ぐらいつけやがれ!」

 李真は本日何度目かわからない舌打ちをしながら、糸を使って上空へと逃げる。学生が学生に攻撃する理由はわからないが好機、と踏んだハルモニアが李真を殺そうとするが、李真の糸はそれを悉く返り討ちにする。
 糸と血が占めた殺戮。
 大切な人を傷つけたハルモニアに対する報復。復讐だ。
 殺戮地帯には、次から次へと応援で駆けつけたハルモニアが集まる。それは好都合なことだった。一人残らず殲滅してしまえと李真は高笑いをしながら糸を操る。
 閖姫が、冬馬が、佳弥が殺さなかったハルモニアの人間までも李真は手にかける。奈月は閖姫が殺さなかったことなど目に入っていないから、敵は全て殺す勢いで血が縦横無尽に舞う。
 それでも幸いなことに――奈月が仲間に攻撃したのは李真だけだった。

「おい、俺だけ仲間はずれか」

 その様子に李真は思わず失笑した。李真の糸は一対多数を得意とする獲物。是が、一対一を得意とする相手であれば、ハルモニアは人数に任せて李真を――リアト・ヘイゼルを殺害することも出来ただろう。けれど、李真にとっては相手が複数であればある程、糸の本領を発揮出来た。故に、ハルモニアはこの場所に集結するべきではなかった。少なくとも、他の場所の制圧を途中放棄して集まるべきではなかった。
 ただ、蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のように餌食になる定めと化すのだから――
 血が、糸が、魔術が、様々な攻撃手段が入り混じる殺戮の宴はハルモニアに上限がある以上いつかは集結を迎える。
 狩人はいつの間にか狩られる側に回っていることに気がつけず――狩られつくされた。


「さて、終わりましたか」

 李真が糸を指で巻き取り回収をする。ひと段落――と誰もが判断したが、けれどまだ一安心つくには早かった。
 ハルモニアは最早学園内において生き残りはいないだろう――仮にいたとしても、逃走するか他の教師によって取り押さえられるか殺害されるかだろう。集団が個になった時点で彼らに勝ち目はない。
 だから、ハルモニアに関しては安心して問題なかった。問題なのは――奈月だった。
奈月は未だ血を操り続けた。血を欲するかのようにナイフが奈月の身体を傷つける。果てなき自傷行為は、全てを拒絶する行為のようだ。自暴自棄とも取れる行動。
 閖姫が傷ついたことによって我を忘れている。

「奈月!」

 もう、敵はいない――そう閖姫が叫んだところで奈月は止まらない。奈月の耳には閖姫の言葉が聞こえない。感情の制御がきかない。
 今まで抑えていた感情が色々な嫉妬や愛情、憎悪や寂寥が全て敵を殺すという感情に変換されてしまっている。

「奈月……!」

 奈月を止めたくて刃を握ろうにも、今一歩が閖姫は踏み出せないでいた。
 奈月を傷つけたくない――けれど満身創痍の状況では、傷つける他、奈月を止める事が出来ない。
 力のなさを痛感する。いくら学生として優秀だとしても、実戦経験等皆無に等しい。何時だって――人を傷つけることを躊躇して何も出来ない。
 知識を総動員しても、傷つけることを尻込みして止めてあげることも叶わない。
 何より、万全の状態出ないが故に、奈月の猛攻をしのげるとも思えない。奈月の血に傷つけられればそれで終わり。ある種の一撃必殺のようなものだ。身体が思うように動かない。

「奈月、大丈夫だから!」

 閖姫は叫ぶが、止まらない。

「いやだいやいだやいやだ」

 最早『いやだ』すらまともに言えないほどに錯乱している。

「奈月、もう止めるんだ」

 辺り一面を彩る赤。糸と血がもたらした殺戮の結果。久遠やフェルメが殺した人数など数にならないほどに殺された死体の山。

「いやだ、いやだ、いやだ」

 繰り返される拒絶の言葉。
 どうすることも出来ない無力さ。怖い程、閖姫は悲しかった。

「……李真」

 棒を杖代わりにして冬馬は辛うじて起きていられる状態だった。久遠が治癒術を施してくれてはいるが、最初と比べ治る速度が圧倒的に遅い。魔力が枯渇しかけている証だ。
 万全の状態であれば、閖姫は奈月のためにすぐさま動き出しただろう。けれど万全の状態であればそもそもこのような悲劇は招かなかった。
 冬馬の掠れた声に李真は何と問う。答えを理解しながらも。

「ナヅっちゃんをとめてあげて、これ以上やったら死んでしまう」
「多少荒っぽくなるが構わないか?」
「……最小限で、本当に最低限で」
「わかった」
「さ、最低限だぞ!」
「わかってるよ……」

 李真が動き出す、奈月の敵も味方も関係ない血にまみれた攻撃を一切食らうことなく、華麗に交わす。
 閖姫は先刻知った。李真のその力を。李真の素性までは知らない、けれど自分たちよりも遥かに実戦に慣れ――否、人を殺す事に躊躇や迷いが一切ないその性格――残虐性を目の当たりにした。
 息も途絶え途絶えの閖姫は必至に少しでも体力を回復しようと努める。致命傷は受けていない。久遠の治癒術を受けなくとも死ぬことはない。
 閖姫は気がついた――自分がこんな状態だからこそ、奈月の心が限界を迎えてしまったのだと。何時も危うい状態だったことに気がつかなかった。奈月の心を占めていたのは恐怖や不安だったのだと。
 それがこんな時に気がついてしまうなんて、と自らを殴り飛ばしたかった。

「邪魔しないでよっ!」

 何に対しての邪魔か、正確な判断を今の奈月はつけない。ただ向かってくるモノは全て敵。今の奈月の視界には敵しか映らない。そう――視界に映る全てが敵。味方などいない――この世に味方など、いない。
 李真は転瞬、奈月の背後へ周り、容赦なく背中を蹴り飛ばす。前のめりになった奈月が踏ん張ろうとするが、片手で頭を掴みそのまま地面へ倒す。

「ぐあっ……」

 掠れた悲鳴が奈月から漏れるが、李真はお構いなしだ。
 
「奈月、落ち着け」

 李真の言葉は届かない。声は耳に入らない。現状から抜け出そうと必死に暴れもがく。赤き血が変幻自在の刃となり、李真に襲いかかった。

「ちぃ」

 李真は一旦奈月から離れ、踊るような動作で血を交わす。
 奈月のその特異な力――血による攻撃は厄介だった。厄介といっても李真の経験上からすれば脅威には値しない。厄介な事柄があるとすれば奈月を殺せないこと、その一点だ。もとより、李真と奈月の身体能力はかけ離れている。

「……あんまり暴れると優しく出来ないんだがなぁ」

 最低限の怪我で奈月を止められる方法を思案する。
 閖姫が傷つけられた現状で、我を忘れた奈月が自らのナイフで切りつけた両腕から滴る血は留まることを知らない。いつ出血多量で死んでしまってもおかしくない。元々奈月は常に貧血でこれだけの血を流して動けるのが異常といっても差し支えない。

 ――動けるのは、閖姫への想いからか? まぁ……それ以外にはないか。

「死なせないためには、時間がないか。奈月、腕の一本や二本くらい折れても勘弁しろよ」

 李真は短期決戦を決め込む。奈月が力尽きるまで攻撃を回避し続けた場合は手おくれの可能性が高い。意識が鮮明な現状で終わらせる方がいい。
 足を一歩踏み出すそれは俊足にして神速。奈月との開いた距離が一瞬にして詰まる。
虚だった奈月の瞳が見開かれる。それは李真を“李真”として認識した証。眼前に迫った李真を認識した奈月にとってそれは尤も恐れる“敵”だったのかもしれない。

「やだっ!!」

 恐怖に彩られた瞳が思考回路を少し復活させたのか、錯乱したナイフ捌きから明らかに李真を狙った動きへ僅かに変動する。しかし、変動したところで李真にとって奈月のナイフ捌きは非常に甘く隙が多い。
 上段から下段へ振り下ろされた瞬間、李真の手が伸び奈月の手首を掴む。怪我をした手首を強く握られた痛みで奈月の手からナイフが零れた。

「……!」

 潤んだ瞳で李真をきつく睨みつける。

「あのさ、潤んだ瞳で睨みつけられても怖くないんだが」

 呆れ半分、李真は苦笑する。そういう姿はいじらしくて可愛いとさえ思った。

「ううっ……!!」

 奈月は必死に手首を自由にしようとあがく。
 脚で李真を蹴ろうと試みるが、その前に李真に蹴られ痛みで涙がにじむ。経験の差が如実に表れていた。

「つあっ!」
「少し大人しくなれって、ならないと奈月の怪我が増えるだけだ」

 勝てないとわかっていながら抵抗を続ける奈月に李真は淡々と事実だけを告げる。

「っ――」

 李真の本性を奈月は知っている。過去何度が李真の本性を垣間見ている奈月にとってそれが何を指すのか痛い程わかる。それでも冷静さを欠いた奈月にそこまでの冷静な判断は下せない。
 足掻きもがき、抵抗する。

「はぁ、奈月のキレモードは面倒だ」

 普段の奈月なら恐怖に負けて無抵抗になるが、今の奈月はそうではない。
 李真は仕方なく奈月の右腕を折った。あっさりと、何の迷いもなく。罪悪感もなく。
 ただ、その行為が手っ取り早いと判断したから。

「ああああああああっあ」

 奈月の悲鳴が響く。細い奈月の腕を折ることは李真にとって簡単な事で。
 掴んでいる手首を離すと、そのまま地面にしゃがみこむ。
 痛みで左目からはぽろぽろと涙が零れ落ちる。

「ああっあやあ」

 痛みに必死に耐えようとしている奈月に対して李真は容赦なく腹部を蹴る。
 受け身も取れず奈月は地面を転がる。

「いあぁっ」

 掠れた悲鳴、直に伝わる痛み。
 奈月はこれ以上動けなくなっていた、が李真は念には念をともう一撃いれようとする――がそれを庇うように閖姫が動いた。みていられなかった。奈月が、痛みに嘆く奈月が。砕かれた心がさらに砕かれようとしている奈月が。

「……止めとけって、奈月がまた血を使い始めたら今のお前ではどうすることも出来ないだろう」
「だからって何も此処まですることないだろう!!」

 傷ついた身体に鞭を打って、閖姫が李真と奈月の前に立つ。

「あのなぁ……」

 李真はあきれ果てる。しかし続きの言葉を言う前に現状に目が言った。

「ゆ、閖姫?」

 涙で滲んだ瞳で奈月は左手で必死に閖姫を求める。目の前にいる閖姫を掴もうとしているのだ。

「なんだ、奈月」

 閖姫は李真に背を向け――奈月を抱きしめる。

「閖姫が生きているっ良かったぁ」
「っ――」

 力強く抱きしめる閖姫の温もりが奈月は心地よかった。


 李真はやれやれと肩を竦めた後、冬馬の元へ向かう。冬馬は李真の袖を掴んだ。顔は伏している。

「……お前、学園にいられなくなるぞ」
「何を。学園にいられなくなることより、冬馬を失う方が私は怖い。だから、俺は本気を出しただけだ」

 李真はあっけらかんと答える。

「……李真」
「冬馬は俺のものなんだから勝手に死んだら困るよ」
「ははっ何を、君は俺のものだよ。誰にも渡さない……」

 冬馬の中を渦巻いていた不安の心が僅かに霧散していく気がした。
 けれど――完璧に無くなることがないのは冬馬自身がよくわかっている。李真が本気を出してしまった以上、その事実が覆らないから。

「それにしてもやり過ぎだ」

 奈月は途中で我に返りかけていた、それなのに李真は攻撃を続けようとした。
 閖姫が止めなければ冬馬が枯渇しかけている魔術を使ってでも止めるつもりだった――止められるかは別として。自分に視線が向けばいいと思っていた。

「そうでもないさ、あれくらいしないと奈月は止まらない。それくらいわかるだろう?」
「そんなことは……」
「ない、何てお前は言いきれないはずだ」
「それは……」
「腕の一本で済んだんだ、むしろ僥倖とさえ思え」
「本当に、お前は……」
「久遠にでも治して貰えばいいだろう」

 腕の一本程度で何を危惧すると言いたげな李真の表情に冬馬は何も言い返せなくなる。
 生きてきた世界が違うからこそ考えたかも違う。

「……まぁ俺の考え方がお前らに好かれない事くらいはわかる。けれど今まで俺はそうやって生きてきたんだ、簡単にはその考え方を捨て去ることは出来ねぇよ」

 李真は嘗て多くの命を奪ってきた。そして常に奪われるかもしれない恐怖があった。
 生きていたかった。だからこそ他者の命を奪い、自分の命の期限を延ばしていた。

「けど、お前が俺を手放したくなっても俺はお前を手放しはしない」

 もうどうでもいいと思ったあの日、命が尽きかけようとしていた時、何もしらない馬鹿が目の前に降り立った。
 周りの反応に苛立った馬鹿は、何者と知らずに助けようとした、だからこそ面白いと、生きてみようと思った。
 また――他者の命を奪って。

「俺も手放さないさ」

 奈月が完全に大人しくなったのを確認した李真は奈月と閖姫に近づく。
 閖姫は思わず李真から奈月を庇うように力強く抱きしめ、李真を睨む。その様子に李真は苦笑する。

「これ以上は何もしませんから、大丈夫ですよ」

 何時もの口調で閖姫に話しかける。もう奈月と止めるために怪我をさせる必要はない。
 
「でも、これ以上放置していたら死にますよ、奈月は血を流しすぎた」
「そう、だな」
「私が運びますから。今の貴方では無理でしょう?」
「わかった」

 奈月を李真に預ける。李真はお姫様だっこの形で意識のない奈月を抱え歩き出す。建物内に入って行った。久遠の治癒術は佳弥や冬馬、閖姫に必要だと李真は判断したのだろう。
 今の閖姫の状態では奈月を運ぶ事は出来ない。自分たちは医師にかからなければいけない事は明白だが、命に別状はない。
 この場で優先されるのは奈月。血を流しすぎた奈月の顔色は青白く、何時死んでもおかしくはなかった。


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