零の旋律 | ナノ

can compensate by a life.


 あぁ、と仲間の亡骸を抱きしめた学生が、絶望の表情を浮かべる。慣れ親しんだ建物の一棟が崩れた。学園の世界が全ての彼は世紀末か、と嘆く。そして――背後に迫った斧に気がつかず彼は生を終えた。

 慟哭しながら学生は槍を一心不乱に振るう。数多の死を見て、復讐心に燃えた彼女は結局一人も殺せず返り討ちにあった。

 夢や希望に満ち溢れた未来を望んでいたわけではない。けれど、充実した毎日を送っていた。途中、異変には見舞われたけれど、あの時は守ってもられた。しかし、今は誰も守ってくれない。腹部から流れる血を懸命に止めようとして、止まらなくて涙する。狂ったように笑う。死が訪れる恐怖に耐えきれず彼は自ら命を絶った。

 恋人と手を繋ぎながら、最期の時を一緒に迎える男女がいた。周りの悲鳴も喧騒も全てに耳をふさいで、二人だけの時間を数秒間だけ過ごした。

 日常を久遠が所属していたドミヌスよりもあっけなく驚異的な暴力でハルモニアは奪っていく。



 周囲の喧騒が酷く不愉快。周囲の音が耳ざわり。苛立たしい。
 誰かが言葉を口にするだけで、殺したい衝動にかられる。

「ハルモニア、お前らは何が目的で、こんな殺戮を行っているか俺には全く興味ない、だが俺はお前らを許さない。お前らは冬馬を傷つけたんだからな――代償は命で購え」

 李真が呟いた言葉は騒音に紛れて聞こえない。
 それが最後通告であったが、仮に聞こえたとしても結末は変わらない。ハルモニアが学生の言葉で引きさがるわけがないし、ましてや李真の中で彼らは既に生かして置く必要がないと認識されたからだ。
 李真がブレザーのボタンを開ける。そして内ポケットから李真は黒い手袋をはめた。
その様子に冬馬は何も言えなかった。ただ、唇を噛みしめる。失うのが怖いのに、代償を必要とせずに守ろうだなんて驕った考えだと、自らを自嘲することしか出来なかった。
 李真の“正体”を知っているフェルメは李真の行動に何も言わなかった。起こってはいけない奇跡が起こってしまった。縋るわけではないが、縋りたかった起死回生にして最悪の一手。
 ヒュンヒュン、風を切る音がする。
 鋭利な刃物は不可視のごとき刃となりて襲う。無数の糸が白銀の輝きを見せるよりも早く、鮮血を散らす。
 骨も肉も、それの障害になることは叶わず人間の四肢を切り落とす。
 刃零れもなく綺麗に両断された脳からは、脳味噌の残りが落下する。手が切られた衝撃で吹き飛び、閖姫の足元に転がる。鋭利な刃物で寸断されたそれは、恐ろしいまでの切れ味を誇っている。

「なっ――」

 閖姫が驚愕をしている数秒の間に、またもや閖姫の前に顔面が転がってきた。

「あはははははっ!」

 李真が嘲笑いながら、黒い手袋を嵌めた手を動かす。それだけで無残な程に残酷に、人が切り殺される。
 人間が流した大量の鮮血が、突如襲った殺戮の正体を明かす。
 真っ赤な血によって染められ、姿をみせるは糸だ。

「はははっ――てめぇら、一人残らず生きて戻れるとは思うなよ!」

 笑う。笑う。面白いように――殺戮を楽しむように笑う。
 笑いながら死刑宣告を下す。
 普段の、丁寧な口調で話す李真とは百八十度違う姿、それは李真の本性。
 人殺しを何とも思わず、流れ作業のように殺すことが出来る、ただの人殺し。

「冬馬を傷つけたんだから――な」

 冬馬を傷つけた、それだけの理由でその理由でハルモニアは殺戮者を目覚めさせた。学園を守るためでもなく、仲間のためでもない。ただ、冬馬を傷つけられたという理由で。
 無情に振るわれる一閃にハルモニアは恐怖する。この男は何者だ、と。
 ただの悪鬼羅刹にしか見えないそれは今まで出会ったどの人間よりも残忍であると直感出来る。

「ちっ――ふざけるな!」

 二輪の薔薇を携えた男が叫び上げる。ステッキを振り下ろす。魔力の本流が生み出され、李真を抹殺しようと水龍が七頭襲いかかる。李真は跳躍して人を殺した糸を縦横無尽に駆け巡り、水の魔術を回避し続ける。そして――不可視の糸が男を捕える。寸断された身体は悲鳴を上げることすら叶わない。

「――様!」

 男の名を呼んだ悲鳴が聞こえるが、その音を拾う必要が李真にはない。次の瞬間には、その悲鳴もまた消える定め。銃弾が襲いかかるが、李真の鍛え抜かれた身体と、卓越した糸の動きより悉く回避される。
 李真が空を舞う姿は、死神のようだ。

「っ――!」

 理外の理その状況化だったが、閖姫は刀を強く握り締める。未だ、鞘を抜けない刀で李真の加勢をしようと決めたのだ。

「殺せないならば指でもくわえて眺めていればいいものを」

 李真は舌打ちする。閖姫が乱戦の中に身を寄せるということは、閖姫を糸で殺してしまわないように注意を払いながら敵を殺戮しなければならないからだ。
 これで、閖姫が敵を殺せるのならばまだいい。けれど閖姫は殺せない。その状況で殺戮の輪に加わられることは足手まといだったが、閖姫がだからといって外から呆然と眺めることを良しとする性格でないことくらいは李真も理解していた。
 ましてや――李真の戦闘方法を正確には理解していない閖姫に、輪の中に加わるなというのは酷なものだった。

「……あいつは、まさか……いや、いい」

 久遠が魔術を編み込んだ矢を放つ。李真の正体その可能性に気がついたが、今この事態においてそれは関係ない。関係してくるとすれば事態が収束した後――ならばこの時だけは考える必要はないと判断する。
 李真に集中していたハルモニアの面々は久遠の攻撃に気がつかず絶命する。遠距離から攻撃を得意とする久遠に関しては、李真が注意を払う必要がなかった。
 天空を自在に駆け巡る李真の姿は、まるで悪魔の羽が生えたようだ。

「何がどうなっているんだよ!」

 学生に過去犯罪に関わっていた人間が入学しているだろうことは、ハルモニアの面々も予想はしていた。実際、現状で人殺しを躊躇しないものは嘗て人を殺害したことのある人間だろうと推測もしている。
 だが、ハルモニアは予想もしていなかった。奢っていた。結局過去何があろうとも現在は学生であり、例え、強敵が紛れていてもハルモニアの敵ではない、と。
 だから想像だにしていなかった。たった一人の人間によって圧倒的優位であった現状を覆されるとは――アルシェンド王国の王女アルシェアの姿が見えないくらいに――露にも思っていなかった。李真だけを彼らは視界に移すしか他なかった。
 そして、一度崩れた均衡はさらなる悪化を続けるだけだ。

 アルシェイル学園は異物で構成された“優秀”であることだけを求めた、他の全てを排他して“優秀”であることだけを要求された学園であることを彼らは身を持って知る。


 ハルモニアの面々は途中から連絡がつかなくなった――連絡する余裕を失っていた――場所へ集結しかけていた。学生の死体が転がっているのに一瞥もせず、動き出す。
 事前に打ち合わせしていた場所には、ハルモニアの幹部――薔薇を二輪刺した男だ――がいたはずであり、彼は優秀な魔術師でもあった。
 その彼から連絡がないのは不測の事態が起きてしまったに他ならないと他の幹部は判断した。
 これ以上人殺しをしてたまるものか、と杖を振りかざして攻撃していきた教師を返り討ちにして向かう。


 地上に足を下ろすことなく空中に張りめぐらされた糸と糸を伝って李真は上空に対空し続ける。
 指先が音色を弾くように動かすと糸が位置を変え、敵を両断する。

「――何故あいつは……糸を動かせる!」

 防御魔術で糸の介入を阻みながらハルモニアの魔術師は叫ぶ。糸は物理防御や人間の骨や肉を諸共せずに両断するだけの研ぎ澄まされた凶器。けれど、その糸を――本来ならば振れるだけで指が切断されるそれを、李真は自在に操り糸の上にまで乗っているのだ。

「――まさか!」

 男は気がつく。殺戮を開始する直前、彼が何をしていたのかが脳内に蘇った。彼は――黒の手袋をはめていた。

「もしかして……その手袋は、糸で切れないのか」

 男の呟きは正解だったが、正解出来た所で意味がない。その手袋がどのような物質で構成されるのか理解できなければ意味がない。ましてや男にはそれ以上の時間がなかった。久遠の魔術が防御魔術を破壊したのだ。辛うじて致命傷は避けられたが、右腕を持っていかれた。それでも――まだ戦えるとその時男は信じていた。防御魔術がなければ糸の餌食になることを数秒でも痛みで忘却してしまったが故に、回避することもなく切り刻まれる。

「――まさか、あの姿は」

 応援にかけつけた幹部の一人――否、薔薇を三輪胸に刺している男はアルシェイル学園襲撃の指揮を任されている男だった。男は李真の正体に気がついたのか、唖然とした表情を浮かべていた。
 流石に三輪となるとくどいな、と上空から李真は思う。

「あいつは――リアト・ヘイゼルか!」

 男の叫びを上書きするように、ひゅんひゅんと風を切る音と共に不可視の糸が襲いかかる。首に絡みつく寸前で防御魔術が男の身を守る。

「へぇ――ご明察」

 李真が歪んだ笑みを浮かべる。糸によるハルモニアの死者は、応援が駆けつけるだけ増えていった。無防備に駆けつけたものたちは、死地へ足を踏み入れた瞬間切断される。
 糸を巧みに操る李真の手が――ふと、止まった。
 その視界に、ローズレッドの臆病な兎の姿が見えたからだ。


 奈月は騒ぎの元凶の場所に閖姫がもしもいたら困る――閖姫ならば、かけつけて他人を助けているに違いないと向かった、その先に閖姫は推測通りいた。

「閖姫!」

 良かった、と一瞬だけ微笑んだ奈月はすぐさま凍りつく。
 奈月の、脆く壊れやすい心は常に綱渡り状態。そして――心に突風が吹き荒れ綱渡りをしていた人間は落下した。
 
「いやぁあああぁぁぁあぁっぁああ!」

 奈月は閖姫が満身創痍の姿を見て取りみだした。ナイフを握ったまま、頬に手を当てて叫ぶ。

「奈月!? どうした!」
「いやぁああ閖姫がっ閖姫が!!
「どうしたんだ、奈月! 俺は大丈夫だ! 安心しろ!」

 尋常じゃない様子の奈月に閖姫は怪我を忘れて大丈夫だ、と叫ぶが奈月の耳には聞こえない。
 奈月の目に映るのは閖姫が怪我をした姿だけだ。言葉は耳に入らない。
 駆け寄りたいが、その隙を見てハルモニアが襲いかかってくる。足払いをして地面に倒したところで鍔の部分で殴打する。奈月の元まで賭けつける余裕はなかった――李真が閖姫を殺さないように糸に隙間を作っていたが故に、敵がその範囲に侵入すると李真としても手を動かすのが難しかった。下手をすれば閖姫を殺してしまうから。
 奈月の叫びに取りみだしに気がつかないハルモニアではない。奈月を殺そうと襲いかかってくる。

「奈月!」

 佳弥が叫んだけれど“遅い”既に“手遅れ”奈月の視線が閖姫から外れて――ハルモニアに、真っ赤な軍服を来た人間に向けられていたのだから。狂気を宿して。

「あははっ! ははははっ、あはっあははは」

 かすれた笑いは、李真の笑いを彷彿させる。

「閖姫が! 閖姫が閖姫が、閖姫が、閖姫がっ!」

 奈月は混乱していた。この場に移る人間が全て――閖姫を傷つけた人間にしか見えない。映らない。
 だから、奈月はナイフを振りかざした。容赦なく――自分の腕に。

「奈月、何を!」

 久遠が叫んだけれどやはり遅い。“誰の”言葉も奈月の耳には届かない――例え、“閖姫”の言葉だって届かない。最初から、届いていないのだから取りみだしたこの場で届くはず道理はない。
 大切な閖姫を傷つけられた。閖姫が怪我をした。その事実しか今の奈月にはない

 ――殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
 ――コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス

 不気味なほどに狂気の殺意を秘めた奈月の腕から血が滴り――そして凶器を振りかざした。


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